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昔の「不良少女」はこんなに破天荒。新聞記事から発掘。

  • 2022.4.15

今年(2022年)早々、読書界の一部で注目を集めた1冊の「奇書」がある。『問題の女 本荘幽蘭伝』(平凡社)。転職50回以上、50人近い夫と120人以上の交際相手を持ち、奇才か妖婦かと戦前、日本中の話題になった女性の評伝だ。当時は誰もが知る有名人だったという。

著者の平山亜佐子さんは、文筆家、デザイナーのほかに「挿話蒐集家」という肩書を持つ。その著書に『明治 大正 昭和 不良少女伝――莫連女と少女ギャング団』(河出書房新社)があると知り、「そんな面白そうな本があったのか」と思った人も多かったのだろう。このたび加筆と改稿の上、本書『明治・大正・昭和 不良少女伝』(ちくま文庫)として刊行された。

平山さんが戦前の不良少女に関心を持ったのは、ある雑誌のコラムで、「ジャンダークのおきみ」の存在を知ったからだ。本名は林きみ子。東京・丸ビル一の美人とうわさされたタイピストで、ハート団という不良グループの首領。彼女らは「婦女子をおどして金品をまきあげたり、万引きを強要したり、わるさのかぎりをつくした」と書かれていた。「ジャンダークのおきみ」については後で触れる。

不良少女の呼称は時代によって変わったという。明治期には「莫連女(女のならずもの、すれっからしの意味)」、「女愚連隊」「悪少女団(隊、組)」と書かれた。大正以降、「不良少女」「不良少女団」となり、飛躍的に数が増え、社会問題化した。昭和に入るとモダンガールの略称「モガ」のほか「バッド・ガール」と呼ばれた。

本書は当時の新聞記事を多数引用しながら、明治29(1896)年の「本所四人娘」から昭和11(1936)年の「満洲お君」まで、不良少女の変遷をたどっている。

最初に「本所四人娘」の所業が、講談か浄瑠璃のように描かれた読売新聞の記事を引用している。長文の記事を以下のように要約している。

「主人公のお芳は家業を手伝わず金を持ち出しては遊び歩き、出産しても子供を母に押し付けて出掛けてしまう。仲の良い四人組になって、金がなくなれば反物を売り、大金が入れば贔屓の役者を総揚げにする。そのうち首が回らなくなって芸妓になるも素養がなく、遊女にされそうになって脱出。あれこれあって四人は別れたが今も元気にしているらしい」

「子供を産もうがお金に困ろうが気にせず我が道を行く莫連女たちの自由さには呆れるよりも感心してしまう」というのが平山さんの感想だ。

ルックスが注目されるように

さて、大正13年に検挙された「ジャンダークのおきみ」こと、林きみ子である。新聞各紙を引用しているが、19歳で未成年にもかかわらず本名、住所や親の名前と職業などが遠慮なく書かれ、現代とは異なるメディア状況がうかがえる。東京朝日新聞は容貌を以下のように伝えている。

「持って生まれた美貌と粉飾を凝らした華美な姿は忽ち丸ビル中の評判となり丸ビル美人のスターとして限りない若い男を悩殺した、(中略)当時机を並べていた事務員達は『そりゃ凄い程の美人で、取りしまして仕事をしてる時なぞは何だかまばゆくて傍へも寄りつけない位でした、ああ云うのを妖婦型と云うのでしょう』」

「サンデー毎日」が「魔の女」として掲載した、きみ子の写真も本書に収めている。平山さんは「口紅や眉の濃さから厚化粧ぶりがうかがえる。特に眉は眉間から目尻の先まで長々と引かれている」ことに注目している。

そして、不良少女団の団長にこの頃から美人が多くなったことを指摘している。その意味するところを理解できなかったが、井上章一氏(国際日本文化研究センター所長)の解説を読み、腑に落ちた。先駆的なフェミニズムである高群逸枝の文章に触れ、社会は今後、「美人」のほうに、より強い脚光をあてるだろうと予想していたことと符合しているというのだ。

喧嘩に強い娘や度胸のある娘ではなく、団長がルックスで選ばれるようになったことに時代の変化を読み取っている。

16歳の少女がイタリア人商人をピストルで銃撃した事件も出てくる。母娘でダンスホールに入り浸っていたことが背景にあったようだ。劇場、映画館、ダンスホールが戦前の不良少女の居場所だったようだ。

昭和に入ると、親子の溝はさらに深くなり、上流、中流、下流を問わず、家出の増加と放任主義が目立つようになる。庶民はさまざまな理由で満州に移住。「シベリアお菊」「満洲お君」ら、大陸流の肝の据わった女性たちの所業を紹介している。

平山さんは、本書に登場する不良少女らを以下のように総括している。

「明治半ばの莫連女たちは、父親に逆らい、男装をして、家を飛び出した。大正の不良少女たちは少年たちと共謀し、映画館で客引きし、不良外国人を撃った。昭和初期のバッド・ガールたちは断髪にして、エロを武器に、満州で暴れた」

昭和戦後、平成、令和と不良少女の系譜は続いているが、破天荒さにおいて往年の不良少女にはかなわないだろう。社会が成熟するにつれて、不良行為もいじめなど内訌化しているのではないだろうか。

「映画や文学やダンスを楽しみ、お洒落に興味を持ち、恋愛をし、俳優を追いかけ、喧嘩もした。親に理解されないと怒って家を出たり、学校をサボって映画館に行ったり、喫茶店で長居したりと、少女ならではの楽しみや悩みは現代とたいして変わらないともいえるのだ」と、過去そして現代の不良少女にエールを送っている。

正統的な女性史研究からこぼれ落ちた「不良少女」という存在を通して、日本の家庭の様相が浮かび上がってくる。

BOOKウォッチでは、『問題の女 本荘幽蘭伝』を紹介済みだ。

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