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あなたは「許す女」か、「許さない女」か?

  • 2022.4.13

今の時代、許さない女のほうが潔くてカッコいい?

「罪を憎んで、人を憎まず」は、誰もが知る道徳。「許す人」が正しいのは誰も反論できない人の道だ。でも簡単にはできないことだから、許す人を見ると心が動く。つい最近も、たとえばオリンピックの団体競技で、失敗したり失格となったりした選手を、他のメンバーがハグして、一生懸命慰めたりする姿に、涙した人も多かったはず。

もちろん失敗は罪ではなく、裏切りを許すのとは次元が違う。それでも人を許す心はおしなべて気高く、人が人を許す姿はいつも例外なく清々しいものなのだ。

でも、女が男を許すか許さないかは、まったく違う意味を持ってしまう。夫や恋人が浮気をしたら、あなたは許せるのか? 許せないのか? どちらだろう。

いやこれは多くの人が、実際そういう立場になってみなければわからないと言うのだろう。ごもっとも。仮定では何とも結論を出しにくいテーマである。こういう話は言わずもがなケースバイケース、相手によるし、時と場合にもよる。つまり誰もが「許す女」と「許さない女」、どちらにもなり得るからこそ、そこには賛否両論が生まれる。

もちろん許すかどうかかは本人の勝手、本人さえよければそれでいいのだけれども、みんな何だかんだ同じ立場になり得るからこそ、自分なら許す、自分なら許さないと、その賛否両論が結構激化しやすいのである。

やはり時には、「こんなひどい不貞を許してしまうの?」という声なき批判も生まれたりしてしまう。とりわけ今の時代、如何なるセクハラも許すまじという新しいパワーバランスが生まれて以降、女性が泣き寝入りせずしっかりと立ち上がること自体に、拍手を送りたいという風潮が生まれている。夫婦間の問題はまったく別の話なのに、何となく「許さない女」のほうが、潔くてカッコいいように見えたりする傾向がなくはなかった。

しかしそんな中で、あまりにもあっぱれな「許す女」が存在した。言うまでもなく佐々木希さん。そして、元衆議院議員で今は人気コメンテーターである金子恵美さんである。

これまで、許すと言えば、きっぱりと断ち切る勇気が持てなかったり、一人で生きていく覚悟が持てなかったり、また世間体を考えたりする、消極的な許し方のほうが目立った気がするのだが、この人たちは違った。

断ち切る勇気ではなく、続けていく勇気を選んだのだ。ともかく、世間が何と言おうと窮地に立った夫を支え、家族を守っていく覚悟を持って、力強くそれを成し遂げようとしている人たち……。

正直、本当の意味でここまで強く頼もしく清々しい女性たちを見たのは、何か久しぶりな気がして、それこそ勇気をもらえた気がしてしまったほど。

期せずしてどちらも希代の美女、それぞれの世界でモテ過ぎるほどモテた人たちだけに、普通に考えれば自分を裏切る男がいるなんてという自負心が打ち砕かれ、荒れまくっても不思議ではないのに、夫を冷静に擁護するような立場をとったのは、美しいが故に何だか凄みがあった。

しかも、考えてみて欲しい。一般人ならばいくらでも誤魔化(ごまか)せるし繕える。自分が致命的にプライドを傷つけられたことも人に見せずに済むのだ。誇り高い人は、それを死ぬほど恐れているから。

でも有名人の場合、妻として絶対知りたくない詳細まですべて伝えられ、自尊心を完膚なきまでにズタズタにされる。まともではいられないほど。またそれをひっくるめて世間にもすべて知られ、公に恥をかかされる辛さは如何ばかりか、まさに想像を絶する。それでも身じろぎもしないように見えたのには驚いたもの。

でもそれ、一体どこから来るのだろう。一途な愛? 結婚を貫こうとする意志?いやそうであっても、それだけでは成立しない。

金子さんは後に『許すチカラ』という本を書いている。なぜ彼女ほどの人が夫を許したのか。誰にとっても不思議だったから。一説に、離婚しなければもう支持しないという地元の反発があったために、次の選挙で落ちたとも言われる。それでも離婚はしなかった。一体なぜ?

なぜその人たちは、パートナーの不貞を許せたのか?

この人はこう説明している。「強い人間だから、妻として立派だから許せたのだ」というふうには捉えて欲しくないと。自分だって完璧ではないからこそ、相手の別の面も見られたから、お互い本気で向き合い、一緒にやっていこうという結論に至れたのだと、それだけなのだと。ある意味、謙虚に自分を見つめ直し、相手を冷静に見つめ直せたから許せたということなのだ。

一方、佐々木希さんに関しては、元ギャルは一度好きになった人を滅多なことでは嫌いにならないから……と分析する元ギャルもいたが、妙に説得力がある。どちらにせよ、上から許してあげるという意識はないようで、そこにあるのは投げずに一から前に進もうという思いだけ。

ただ、それができたのはやはり本人たちの中にある生命力であり、生きていく上で前に突き進むエネルギーが、人並み外れていたから、そうとしか思えない。

つまり嫉妬や怒り、恨み辛みで、自分も相手も壊してしまうのではなく、そうした耐え難い感情をちゃんと包み込んで処理できるだけの人間のパワーが備わっていたということ。要はそれこそが、男も女もなく、人の罪を許せる人だけが持てる胆力というものなのだろう。

かくして今は、どちらの家庭も事なきを得て前に進んでいる。言うまでもなく、佐々木希さんは引く手数多。金子恵美さんも元政治家のコメンテーターとして活躍、唯一無二の存在感を放っている。むしろどんどん追い風が吹いている状況。災いを転じて福となす、などという簡単な話ではなく、どう考えてみても、許す力がもたらした特別な結果なのだ。

そこで確信するのは、人より早く幸せになれるのは、こんなふうに人を許せる人なのではないかということ。想像するに、あんな不幸のどん底から、ほんの数年で新たな幸せまでせり上がっていくパワーは、とてつもないもの。何にも増して尊い力だ。これさえあれば、どんなふうにでも自分の人生をアレンジしていけるくらい尊い力。そこに人を許したご褒美のようなものが働いたとしか思えない。

大体が日々の生活も、小さなことで人に腹を立てるからストレスが溜まるわけで、もっと寛大になったら、人間もっと楽に生きられる。いわゆるウェルビーイングの考え方も、嫌いな人がいないことが、自分の幸せへの近道だと説いている。

実際、ストレスの多くは対人関係で生まれるもの。他者に対して負の感情を抱くからこそ、形あるストレスになるわけで、矛先を人間に向けなければ、それだけ自分が楽になる。問題そのものに向き合い、そしてむしろ自分のせいにしたほうが、人間は結果的に楽なのだ。

いろんな挫折やつまずきを、いちいち人のせいにする人は、その時、一時的に楽になっても、ずっと人を恨んでいるから、いつまでも幸せにはなれないのである。それこそ罪を憎んで、人を憎まずで、誰にもネガティブな感情を抱かず、寛大に鷹揚に生きることは、めぐりめぐって自分のため、と気づくべきなのだ。

だから人を許せる人ほど幸せになれる、人を許さない限り自分にも幸せがやってこない、そう言い切れる。

人を許すたびに体の中で広がる喜び。それは、人から褒められたときに生まれるのと同じ幸せホルモンの分泌を高め、さらに生きる意欲や能力を高めてくれるという。許すほどに生命力が高まるのは、神様がくれた人間の素晴らしい仕組みに他ならない。そういうこともひっくるめて、許すことは人の進化。やはりワンランク上の人間の能力なのである。

人を許せる人ほど、誰より早く幸せになれる。許すほどに生命力が高まるから。ある種のご褒美だから。自分も完璧ではないからと、人を許せるのは、人間の進化なのだ。

撮影/戸田嘉昭 スタイリング/細田宏美 構成/寺田奈巳

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