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美しい天守、そびえ立つ石垣、往時の城下町…「城の魅力」を小和田哲男氏に聞く

  • 2022.4.6
松本城(長野県松本市)
松本城(長野県松本市)

4月6日は「城の日」。公益財団法人日本城郭協会(東京都品川区)が「し(4)ろ(6)」の語呂合わせから制定した記念日です。古代から日本各地で造られてきた「城」は、多くの人を引き付ける存在ですが、どのような点が魅力なのでしょうか。主に戦国時代や江戸時代の「城の魅力」について、日本城郭協会理事長の小和田哲男静岡大学名誉教授に聞きました。

築城者の理念や工夫、今に伝える

Q.戦国期から近世の城の魅力とは、どんな点でしょうか。まず、主に天守や門、御殿など建造物の魅力からお願いします。

小和田さん「お城に興味を持つ人は、最初は私もそうだったんですが、やはり、天守や櫓(やぐら)など、近世のお城の建物に魅力を感じて、『お城入門』してくる人が多いですね。ちなみに、天守のことを『天守閣』と呼ぶ人も多いのですが、天守閣と呼ぶようになったのは明治時代以降で、江戸時代までは『天守』と呼んでおり、最近は天守という言い方が一般的になってきました。

天守については、あの時代に素晴らしい建物を造ったということに、まず感心しますし、それぞれの天守に違いがある点もいいですね。また、現在も、江戸時代の建物そのものが残っている、いわゆる現存12天守と言いますけど、12カ所もきちんと残っている点も大きな魅力でしょう。

次に『櫓(やぐら)』も、多くの本物が残っていますし、城門もやっぱり多くのものが残っています。その時代の最高峰の建物、技術の粋というか、最高の技術水準で造られた建物を今見られるのが、城の建造物の魅力だと思います」

Q.天守などの建造物以外の城の見どころは。

小和田さん「石垣や堀もぜひ見てほしいところです。城の『堀』というと、水を満々とたたえた水堀をイメージする人が多いと思いますが、土を掘り下げて、両脇に高く積んだ『空堀』も見事な城が多くあります。

ただ、『城』というと、建造物のことを指すと思っている人は多いですね。昔、私が各地の城の研究を始めた頃、城があると思われる場所に行って、農作業中の人に『城はどこですか』と聞くと、場所は教えてくれるんですが、『行っても何もないよ』と言われることが多かったです(笑)。

『お城といっても、城はない』。一般の人は、城といえば、天守や櫓、城門といった建物がある、近世のお城を想像するんですね。しかし今は、戦国の城、建物がまったく残っていない城に魅力を感じる人が増えています。築城者の頭の使いどころというか、どこに堀を掘って、土塁を盛って、敵が入れないようにするか。そういった、築城者の築城理念や知恵、工夫を追い掛けることが、建物のない戦国の城の魅力として、認識されてきています。

日本城郭協会では2006年に『日本100名城』を選んで、スタンプラリーを始めたのですが、『全部回りました。次の100はないんですか?』という人が増えてきて、『続日本100名城』を選びました。最初の100名城の中にも、建物のない、土塁や石垣だけの城も入っているのですが、続日本100名城では、そうした城が増えてきて、今、多くの人がスタンプラリーをしてくださっています。建物のない城の魅力を伝える上で、いい流れになっているかな、と思います」

Q.初歩的な質問ですが、天守と御殿の役割の違いを教えてください。

小和田さん「天守は織田信長の時代から一般化してきたものですが、天守には本来、城主は住みません。唯一の例外が信長で、安土城の天守に住んでいました。天守は、戦いの際の司令本部であり、城の象徴、ランドマーク的な存在です。籠城の際の、最後の戦いの場という役割もあります。戦いのための施設ですから、内装は質素な造りの天守が多いです。

一方、城主が普段の生活を送るのが、本丸御殿です。大体が平屋の建物ですが、内装は立派です。例えば、大坂城の御殿は、狩野永徳の障壁画のような絢爛(けんらん)豪華さで有名ですね」

Q.城には「本丸」「二の丸」「三の丸」など「丸」がありますが、その意味を教えてください。また、「四の丸」「五の丸」は聞いたことがありません。なぜ、ないのでしょうか。

小和田さん「『丸』は、城の中で、堀や土塁で囲んだ区画を示す『曲輪(くるわ)』のことです。武田流築城術で『曲輪は丸く造る』ことが良いとされていました。四角形だと、四隅に死角ができてしまい、敵に攻められたとき、不利になります。隅を湾曲させると、死角ができず、城を守りやすいのです。

本丸、二の丸などの関係については、城の一番上に、城主が住む本丸があって、少し下に二の丸があり、その下に三の丸、あるいは、横に本丸、二の丸、三の丸と並ぶ形など、幾つかのパターンがあります。

『四の丸』がないのは、やはり、『死』に通じるので、嫌われたのだと思われます。四がないから、五以降もないのかもしれません。その代わりに大規模な城では、本丸、二の丸、三の丸のほかに、『東の丸』や『北の丸』といった名前で曲輪があり、数としては、4、5、6、7くらいまで造られていることがあります。

ちなみに、犬山城(愛知県犬山市)は少し変わっていて、本丸のほかに、『杉の丸』『樅(もみ)の丸』『桐の丸』『松の丸』と、木の名前が付いているんですね。昔、それらの木が植わっていたのかもしれません」

小和田先生、おすすめの城は?

城の魅力を語る小和田哲男名誉教授
城の魅力を語る小和田哲男名誉教授

Q.特におすすめの城を挙げてください。「天守ならこの城」「石垣ならここ」といった感じで、お願いします。

小和田さん「天守については、私は松本城(長野県松本市)と松江城(松江市)が好きですね。黒い城が好みです。例えば、姫路城は白いお城の代表的存在で、確かに美しいのですが、黒い方が戦国の雰囲気をよく伝えていると思います。

石垣も見事な城が多いのですが、私が好きなのは、加藤清正の築いた熊本城です。よく、扇の勾配といいますが、石垣の下の方は緩やかで、登れそうだなと思って上に行くと、だんだん勾配がきつくなってくる。攻めにくい石垣です。

伊賀上野城(三重県伊賀市)は、また違った造りで、見事な石垣です。清正と並ぶ築城名人と呼ばれた藤堂高虎が築いた城ですが、一直線に高くそそり立った高石垣です。よくあれだけ高く積み上げたなあ、と感心します。

大坂城の石垣も巨大な石を多く使っており、当時の技術で、あんな大きな石をよく運んだな、と思います。また、金沢城は『石垣の博物館』と呼ばれるほど、石のいろいろな積み方が城内で見られる城です。野面(のづら)積みもあれば、切り込みハギ、打ち込みハギもある。中でも『短冊型石垣』という、まさに俳句などを書く短冊のような形の石垣もあり、これは金沢城独特のものと思われます」

Q.堀や城下町で特徴のある城は。

小和田さん「堀は、山中城(静岡県三島市)がおすすめです。『障子堀』という、少し変わった技法で造られていて、堀底に障壁を残した構造が、今でもきちんと残っています。静岡県島田市にある諏訪原城には、『三日月堀』という、まさに三日月の形に掘られた堀があります。これも武田流築城術の一つです。

城下町は、彦根城(滋賀県彦根市)の町割りがよく残っています。彦根藩の足軽屋敷も残っていて、江戸時代の地図が今でも使えるそうです。武家屋敷がよく残っているのは、岡山県高梁市の備中松山城と、大分県杵築市の杵築城です。『城下町を見に行きたい』という人がいたら、『じゃあ、大分に行こう』と連れていきます。

連れて行って喜ばれる城という意味では、小谷城(滋賀県長浜市)は、曲輪がよく残っていて、おすすめです。島根県安来市にある月山富田城も、余分な木を切ったり、登城路がきれいに整備してあったりして、戦国時代の姿がよく分かる城で、案内すると喜ばれます。

幾つか有名な城を挙げましたが、実は、城の魅力としては『身近な所にもある』ということもあります。今回は主に、戦国期や近世の城についてお話ししましたが、城自体は、古代から明治期にも造られており、日本全体で3万から5万あると言われています。小さなものもありますが、日本各地、いろいろな所にあり、身近な存在という点も、城の魅力だと思います。近くのお城も訪ねてみてはいかがでしょうか」

オトナンサー編集部

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