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子どものつきあいを「ギブ&テイク」と言い放つ親にギョッ!<半径3メートルの倫理>

  • 2022.3.23
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いまの世の中、「自己責任」という言葉をよく耳にする。子育てをしていると、育児のつらさも教育費の負担も、「好きで産んだんだから自己責任だよね」という文脈で語られることが多く、なんだかモヤモヤしてしまう。だからこそわが子には「お互いに助け合って生きていってほしい」と願うもの。しかしその助け合いさえも、「世の中ギブ&テイクだから」という理由によるものだとしたら......?

そんな身のまわり=半径3メートルの中にあふれる些細なモヤモヤに、ちょっと変わった視点から答えてくれるのが、オギリマサホさんの『半径3メートルの倫理』(産業編集センター)だ。

高校で倫理を教えながらイラストレーターとしても活躍しているオギリマサホさん。本書では、誰もが抱きうる20の疑問・お悩みに、古今東西の哲学者の見識や言葉を引用しながら回答している。

BOOKウォッチでは、4つのお悩みを抜粋してご紹介! ウイットに富んだ回答もさることながら、イラストもシュールで味がある。あなたのモヤモヤも晴れるかも......?

今回は、小学生の子どもを持つ母親からの「子どものつきあいを『ギブ&テイクの関係』と言い放つ親にギョッとするのは筋違いですか?」という質問について、フランスの哲学者、デリダの言葉をもとに考える。

「テイク」のない「ギブ」ができるか?

相談者は小学4年の息子がいる35歳の女性。学校の保護者会で、「お子さんにどんな子に育ってほしいですか?」という先生からの質問に、ある父親がこんな風に答えていて、思わずギョッとしたという。

「誰とでも助け合って生きていって欲しいです。世の中ギブ&テイクですから」

子ども同士のつきあいにも損得勘定が発生するのか、とびっくりした相談者。もしかしたら、たまたまお母さんのピンチヒッターで出席したお父さんが、会社モードでそう表現しただけなのかもしれないけれど......。

「ただ、もし大切な子どもに託す信条がそれなのだとしたら、その言葉には、何か私の考えが及ばない真理が隠されているのかもしれない、とそれ以来その言葉が気になってしょうがありません。」

(以下、本文より)

あなたがそのお父さんの言葉に違和感を覚えるのは、無理のないことだと思います。たとえば私たちは、道に迷って困っているおばあさんを助ける時、「お礼が欲しいから」とか「周囲の人から人でなしと非難されたくないから」とかいった理由で助けているわけではないでしょう(ちなみに古代中国の思想家・孟子は、このように困っている人を見過ごせないという「惻隠の心」を、人間に生まれつき備わっている良い心の芽であると考えました)。キリスト教でも「無償の愛」をよしとするように、何か行動する際に見返りを求めることは、道徳的に見てあまり良くないことと考えられてきたものです。

一方で、現代の社会に生きる私たちは、商品を手に入れるために対価を支払う、という資本主義の交換のシステムを当然のものとして暮らしています。もしあなたがいきなり、子どものクラスメイトの保護者(しかも、あまり親しくない)から高価なアクセサリーを贈られたとしたら、どのように感じるでしょうか。恐らくあなたは訝しみ、その贈り物を断るか、受け取ったとしたらそれ相応のお返しをしなければならないと考えるでしょう。私たちはこのように、贈り物の値段の高い安いで関係の親密さを判断し、その贈り物と同じくらいの商品価値を持つものを相手に返さなければならない、という消費社会の構造に絡めとられて生きているわけです。クラスメイトのお父さんが「ギブ&テイク」という言葉を用いたのは、恐らくこうした構造が影響しているのではないでしょうか。

しかし、ここで気になることがあります。「テイク」のない「ギブ」、すなわち相手に対して一方的に与えるということが、私たちには本当にできるのだろうかということです。こうした「贈与」の問題について考えたのが、フランスの哲学者デリダでした。デリダは、贈られた側に「贈与」が「贈与」として意識されてしまうと同時に、もうそれは純粋な贈与とはなり得ないと考えます。なぜなら、贈られた側はその「贈与」を認知するやいなや、それを負債と感じ、お返しをしなければならない、と考えてしまうからです。純粋な「贈与」とは、贈られる側にそれを「贈与」として認知されないものでなければならないとするのです。

普通に考えれば、そうした純粋な贈与は不可能なものです。ですから、私たちが「他の人に何かをする」という時には、多かれ少なかれ見返りが発生してしまうものなのではないでしょうか。あなたが言う〝「ギブ&テイク」という言葉に隠されている真理〟とは、まさにこうしたことだと思われます。

「ギブ&テイク」という言葉があまりに直接的でギョッとするのであれば、「持ちつ持たれつ」という言葉に置き換えてみてはどうでしょうか。途端に、思いやりにあふれた温かい社会が思い浮かびます。物は言いよう、ということですね。

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■オギリマ サホ(Saho Ogirima)さんプロフィール

1976年、東京都出身。イラストレーターとしてシュールな人物画を中心に雑誌や書籍などで活躍する一方、中高一貫校で社会科講師(倫理)として教壇に立つ。「散歩の達人Webさんたつ」で「さんぽの壺」、「文春オンライン」で「文春野球コラム」など、イラストコラムを連載。著書に『斜め下からカープ論』(文春文庫)がある。

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