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家入レオ「言葉は目に見えないファッション」vol.50 自分のイメージ

  • 2022.3.18

クォーター・ライフ・クライシス。それは、人生の4分の1を過ぎた20代後半〜30代前半のころに訪れがちな、幸福の低迷期を表す言葉だ。27歳の家入レオさんもそれを実感し、揺らいでいる。「自分をごまかさないで、正直に生きたい」家入さん自身が今感じる心の内面を丁寧にすくった連載エッセイ。前回はvol.49 デビュー10周年

vol.50 自分のイメージ

私が映画や音楽、本に触れるのは、自分自身のことがもっと知りたいからで。週に1度更新されるホロスコープも、ネットサーフィン中に目に留まる心理テストも血液型占いも「信じる」とか「信じない」の二択ではなく、その記述に対して自分の心がどんな反応をするのか見てみたい好奇心が圧倒的に勝っている。「あなたは〜な人です」「〜なタイプです」と自分自身について解説された文章を目で追いながら「確かにそうかも」「ここは違う気がする」と自分が自分をどう思っているのか発見していくのが面白い。

エッセイを書いたり、歌詞やメロディを紡ぐことにも似たところがあって。上手く伝えられないけど、駅に行く、スーパーで買い物をする、郵便局で荷物を出す、誰かとご飯を食べる。そんな日々の何でもないことに、いつもちょっとだけ気を張って生きている私がいる。目の前の出来事や一緒にいる人に集中していて、自分の気持ちがいつも少し遅れてやってくる。帰りの電車に揺られながら「あっ私嬉しかったんだ」って急に恥ずかしくなったり、自宅の湯船に浸かりながらなんか泣けてきて「ちょっと最近我慢しすぎてるのかもな」ってざぶんっ!とお風呂から上がりノートに気持ちを書いていく。書きながら私は本当の私の気持ちを知る。音楽は私にとってセラピーで、自分を思い出すことで、自分の真実に辿り着くこと。

誰かと一緒にいながら、ひとりでいる時の自分でいられたら良いのになーってぼんやり思ったりするけど、それは甘えとかわがままとも隣り合わせなのかもしれない。仕事が忙しいと、たまに上京してくれる母が私を見て「あなたはそんなに喋る人じゃないもんね」と笑うのを、きっと周囲の人が聞いたら、そんなの嘘だと逆に笑われてしまうと思う。だけど、自分が思う自分をコントロールすることは出来るけど、他の人が思う「私」を変えることは出来ない。

デビューして、「家に冷蔵庫ありますか?」「普段アイスやお豆腐しか食べてなさそう」世の中のイメージと自分との間に距離を感じて、日を追うごとにそれはどんどん開いていった。私も当たり前に、泣いたり笑ったりするんだけどなーと、自分の言動をちょっと大袈裟に明るく表現しようとしていた時期もあったと思う。だけどある日ふと「あれ?自分に興味がありすぎるのもまた厄介だな」と我に返った。

例えばドライフィグ。小腹空いたなーと糖分補強したとして私はそれを「甘い」と感じる。それを見ていた友達が一個頂戴とねだりそのドライフィグを食べた感想が「酸っぱい」だったとしたら、私は彼女に「どうして酸っぱいなの!私と同じように甘いって感じてよ!」と怒るだろうか?「あーまぁドライフルーツ食べて酸っぱいってまた面白いこと言うねー」と適当に流すはずで、なのにその対象が「自分自身」になった途端に、なぜか許せなくなる。私が思い描いている私をあなたもイメージして!と。私が思っている「私」も確かにこの世界に存在する。そしてまた、他の人から見た「私」も同じ様に存在していて、それはその人から見た「私」なのだから間違いじゃない。どうして人は「自分」のことになると、何でもコントロール出来ると錯覚してしまうんだろう?

大切なのは、「世の中が思う私のイメージ」と「自分が思う私のイメージ」を近づけることじゃない。「世の中が思う私のイメージ」を正そうとして「自分が思う私のイメージ」を生きると無理することになり「自分が思う私のイメージ」が不自然にまたは過度に演出された純度の低いものになってしまう。これでは本末転倒だ。答えはシンプルだ。受け入れてしまえば良い。「家入レオは笑わない?」「家入レオは元気いっぱい?」どれも正解です!だってあなたの目にはそう映っているんだから。えっ、じゃあ家入レオが思う家入レオって何ですか?って?「それは秘密です」

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