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「授業参観中に子供に手を振り、撮影」近年増加し学校を混乱に陥れる"微毒親"の正体

  • 2022.3.4
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毒親の元で育つ子供たちは、どうすればそこから抜け出せるのか。国内外の中等・高校でスーパーバイザーを務める林純次さんは「高校生くらいの年代になると“猛毒親”よりも、“微毒親”の方が厄介な面も多かった」という――。

※本稿は、林純次『学校では学力が伸びない本当の理由』(光文社新書)を一部再編集したものです。

家庭内暴力。怒った母親がおびえる娘を叱る
※写真はイメージです
幼少期の生育環境の影響は大きい

責任転嫁だと指摘されようと、ゲノムの次に重い要素は幼少期の生育環境だと喝破したい。

私が青臭い教員だった頃、親が無責任で全く家庭教育がなされていない子でも「俺の力で賢くしてやる」と息巻いていたことがあった。確かに生徒の偏差値を20~30ポイント向上させたり、授業アンケートで好成績を残したり、在籍者全員が第一志望に合格できたこともあった。その過程で、彼らは自律すること、疲労や不安と向き合いそれを乗り越える力を身に付けていった。

同時に、毒親としか表現できない親を持つ子で、どうにも交流や改善ができない者もいるという現実を知っていった。その子たちは短期的に、あるいは中期的に頑張り続けられない。すぐに弱音を吐く。健康状態や精神状態が不安定、時として自傷他害行為をするという傾向が見て取れた。

毒親の4分類

精神科医である斎藤学は、毒親を4分類している。

①過干渉、統制タイプ:何でも先回りし、子どもに「こうすべき」と指示する親、②無視タイプ:ワーカホリズム(仕事依存)の親。ネグレクトも含む、③ケダモノのようなタイプ:暴言・暴力といった虐待、性的虐待などをする親、④病気の親:精神障害や反社会性人格を持つ親、である(※1)。

このような親が事件を起こしたニュースを聞きながら、「なんで子供を産んだんだ」「責任持って育てろよ」「(子供が)かわいそう」とテレビの前で言うのは容易(たやすい)。我々教職の人間は、その被害者たる児童・生徒の気持ちを少しでも落ち着かせ、我々の考える健全な状態に近づけようと奮闘しなくてはならない。多くのパターンで、被害者である児童・生徒本人に嫌われながら。

というのも、子供は親が好きなので、虐待する親でも親の味方をするからだ。前記のレベルの“猛”毒となると、教育者だけでは対応が困難で、医療関係者や福祉関係者、時として司法関係者の力も必要になる。

これだけ多くの大人が関わって生活改善に勤しんでいる最中に、勉強をしろ、などとは言えないし、言ったとしても無駄だろう。

家庭背景に課題のある生徒の数は偏差値に反比例する

公立の小中学校には、このような家庭背景を抱えながら登校してくる子供が一定数いるものだ。高校くらいになると比率こそ減るが、それでも何人かは確実に在籍していると我々は身構えているし、悲しいかな、偏差値に反比例してその数は増えるように思われる。

特に③に分類されるだろう暴言を吐く親は少なくなかった。「何かというと怒鳴られる」とか「酔った父親がむちゃくちゃなことを捲まくし立てる」とはよく聞いた相談だ。実際に児童相談所に寄せられる相談の過半数が心理的虐待だとのデータもある(※2)。

私の教師生活も「なんで子供を産んだんだ! 育てる気はないんか!!」という怒りを胸に仕舞い込み、そういう親と対峙する日々だったように思う。

児童相談所の限界

虐待事件が起きて悲惨な結末が報じられると「児童相談所は何をしていたんだ」と糾弾する傾向が見られるが、あれは全く核心を突けていない。

2019年、全国の児童相談所に寄せられた相談件数は54万件超、児童虐待相談の対応件数は19万件超と、どちらも過去最高を記録している(※3)。1990年の対応件数は1101件だったので、約30年間で176倍になっているのだ(※4)。

この件数を全国225の児童相談所、約1万5000人の職員(そのうち児童福祉司4500人強、児童心理司1800人強)の体制で受け止めているのである(※5)。担当する案件が被らないという前提に立って単純計算すると、1相談所あたりの相談対応が年間2400件以上、児童福祉司一人あたりの対応だけで年間120件、児童虐待事案が年間40件以上となる(※6)。

児童相談所は、警察や社会福祉法人、学校や民間団体と連携して業務を行っているのが現状だが、それでも業務量は多い。1回の電話や訪問でも膨大な時間がかかることは容易に想像できるし、一つの案件を早々に解決できないことも自明である。また、虐待の事案や通報が深夜・早朝に成されることも少なくない。対応が手薄にならざるを得ない状況なのである。

訪問しただけでぶち切れられる

さらには、その案件内容が現場の職員を苦しめる。正直、怒りと同情と切なさと、そして無力感に苛さいなまれる日々ではなかろうか。

「訪問するとさ、ジソウ(児童相談所)から来たって言っただけで、ぶち切れられることは多いよね。胸倉を掴まれたこともあるし、子供が悲しい顔して親の味方しちゃうことも多いし。何もできずに不幸なことになっちゃうと、正直シンドイなあって思う」

知り合いの福祉司は疲れた表情でそう語ってくれた。

子供の心や成長の助けにならない一時保護や誤認保護という問題も散見されるが、基本的には、その設立主旨に基づいた運営が成されていると言ってよい。

言葉による虐待は知能の発達に悪影響

我々教師も真剣に向き合えば向き合うほど、狂った親たちに苦しめられる。しかし、苦しんでいるのは子供たちに他ならないし、見えないところでは彼らの身体も壊れていっている。

林純次『学校では学力が伸びない本当の理由』(光文社新書)
林純次『学校では学力が伸びない本当の理由』(光文社新書)

福井大学子どものこころの発達研究センター教授・友田明美は、小児期に身体的虐待・性的虐待・ネグレクト・心理的虐待の被害経験を持つヒトの脳を、MRI(核磁気共鳴画像法)を使って可視化し、脳の形態的・機能的な変化を調べた。その結果を示そう。

まず言葉による虐待(暴言虐待)について。物心ついたころから暴言による虐待を受けた被虐待者たちは、大脳皮質の側頭葉にある「聴覚野」の一部、特に上側頭回灰白質の容積が平均14.1%も増加していることがわかった。

これを受けて友田は、子供時代に言葉の暴力を繰り返し浴びることによって、人の話を聞き取ったり会話したりする際に、その分、余計な負荷がかかることが考えられると分析する。「生まれてこなければよかった」「死んだ方がましだ」など、暴言を受け続けると、聴覚に障害が生じるだけでなく、知能や理解力の発達にも悪影響が生じることも報告されていると言う。

体罰は脳に打撃

肉体的な「体罰」でも脳が打撃を受けることがわかった。厳格な体罰(頬への平手打ちやベルト、杖などで尻をたたくなどの行為)を長期かつ継続的に受けた人たちの脳では、感情や思考をコントロールし、犯罪抑制力に関わっているとされる右前頭前野内側部の容積が、平均19.1%も小さくなっていたと同氏は報告している。さらに、集中力・意思決定・共感などに関わる右前帯状回も16.9%、物事を認知する働きを持つ左前頭前野背外側部も14.5%減少していたという。

これらの部分が障害されると、鬱病の一つである感情障害や、非行を繰り返す素行障害などに繋がると言われることを示した上で、「体罰と『しつけ』の境界は明確ではない。親は『しつけ』のつもりでも、ストレスが高じて過剰な体罰になってしまう。これが最近の虐待数の増加につながっているのではないか」と警鐘を鳴らしている(※7)。

人間の脳は言語的衝撃に弱い

さらに、我々が目を逸らしてはならない事実がある。夫婦間DV(Domestic Violence:家庭内での暴力や攻撃的行動)を子供が目撃してしまうことの危険性である。DVを平均4.1年間目撃して育った人は、視覚野の一部が平均16%減少していた。特筆すべきは、夢や単語の認知に関係する舌状回の容積が、身体的DVでは3.2%の減少に対して、言葉によるDVでは19.8%の減少と6倍にもなっていたことだろう。人間の脳は物理的衝撃よりも言語的衝撃に弱いのだ。

この研究を受けて友田は次のように提言する。

「子どもたちは癒されることのない深い心の傷(トラウマ)を抱えたまま、さまざまな困難が待ち受けている人生に立ち向かわなければならなくなる。トラウマは子どもたちの発達を障害するように働くことがあり、それによって従来の『発達障害』の基準に類似した症状を呈する場合がある。子どもたちの発達の特性を見守るのが周囲の大人の責任であることを再認識しなければならない」(※7)

この知見には強く賛同する。最難命題である大人の意識改革、換言すれば“解毒”に臨まなくてはならない時期がきているのかもしれない。

もう一つの毒親類型

前述の斎藤が見落としている毒親類型に、もう一つ重要なタイプがある。それは、親が親であることよりも、男や女であることを優先するタイプだ。子供と過ごす時間は面倒も見るし、教育費も出す。家事もするし、暴力を振るうわけでもない。が、不貞行為を働く。子供も年を重ねればわかってくる。女子だと小学校高学年から中学生、男子だと中学生から高校生の間に気がつくことが多かった。自分の親が仮面夫婦だとか、親が親を騙しているとかに。

「先生、うちの母ちゃん、不倫しているんだ。……親父は知らないけど」

と高校生男子から相談を受けたことがある。その子は、不倫はもう何年にもなるし、親と自分は違うから、と冷静に受け止めていたが、その事実を知った中学生のときは荒れた、と教えてくれた。学校教師としては、保護者を呼びつけて「不倫は止めなさい!」とも言い難い。彼らの話を聞くしかない。批判を受けようと切に願う、親になるときには、親になる覚悟を持って欲しい、と。

授業風景
※写真はイメージです
“微毒”親の問題

実は、この“猛毒”親と同程度に難しい存在が“微毒”親である。子供のことを愛していて、興味もある。食事も作る。しかし過去の親たちと大きく異なるのが、友達親子とか甘やかし過ぎの親の増加である。実は、高校生くらいの年代になると“猛毒”よりも、この手の親の方が厄介な面も多かった。高校生にもなると、“猛毒”を認知し、親と距離を取ることや反抗することもできる子が増えるのだが、“微毒”だと子供たちも搦め捕られていることが多いからだ。

彼らは文化祭や体育祭、授業参観となると学校に馳せ参じ、動画・写真撮影に勤しむ。そのための場所取りで他の保護者と険悪な関係になることも珍しくない。授業参観中に自分の子供に手を振り撮影のチャンスを狙う。そのことによって授業を中断させることになっても意に介さない。いつ、誰が、何のために見るのかわからない動画や写真を一通り収めると、スマホを弄いじり出したり他の親と、あるいは電話でお喋りを始めたりする。

現場の教員たちはその場を丸く収めるため、奮闘したり、柔らかい諫言かんげんを学んだりするが、厳しく注意はできない。このタイプの親が教育委員会や管理職にすぐにクレームを付けることを知っていて、彼らは保護者の意見に弱く、保護者への注意がブーメランのように自分自身に突き刺さることを知っているからだ。そして教員たちは正義を失い、上司に付和雷同する存在として完成していく。

ちなみに、かつて私が研修の講師を務めていた際、「時間は守るべき」と主張していた校長自身が遅刻してきた。「校長といえども時間は守って下さい」と注意したところ、研修終了後にすぐさま教頭が飛んできて、「あれはない。私は引いたよ」と叱られたことがある。生徒には「遅刻厳禁」と言っているにもかかわらず。

頑張れない子かわがままな子をつくりだす

“微毒”親たちは、親としての教育力が弱い。子供に嫌われたくないのか、物わかりのいい親振りを見せたいのか、進路などの重要事項について「子供の自主性に任せています」という伝家の宝刀を振りかざしてくる。それでいて、子供の社会的なマナー違反や嘘、怠惰をきちんと叱っていないから、子供は堕落した生活をしていたり、自分を律せなかったりするようになる。不登校や引きこもりが始まる一要因と言って間違いはなかろう。一言でまとめれば、「頑張れない」子か「わがままな」子になっていくのである。

“猛毒”親の子たちは、自暴自棄になったり厭世観が強かったりするケースもあるが、親の毒を否定できる賢さを持っている場合もあり、「自分の人生を自分で作っていこう」「親は親、おまえさんはおまえさん。別の人格だよ」という助言や交流が成立する。

ところが、“微毒”親の子は親を否定しない。むしろ親に感謝していたりする。だから、親の意見・思想の傘の下から連れ出すことが難しい。先のアドバイスはもちろん、「今のままじゃ、目標実現できないぞ」とか「クラスのみんなのことも考えようよ」と促しても響かない。「受験は団体戦の要素があるぜ」と言っても駄目。最終的に、自己の利益だけを緩く追求し、結果が出ないパターンが多かったように思う。

※1 斎藤学「毒親と子どもたち」(日立財団webマガジン)(2022/1/15閲覧)
※2 令和2年度 児童相談所での児童虐待相談対応件数(2022/1/15閲覧)
※3 厚生労働省「福祉行政報告」(2019)(2022/1/15閲覧)
※4 同上と「平成29年度 児童相談所での児童虐待相談対応件数〈速報値〉」を相関させて書いた。
※5 厚生労働省 児童相談所関連データ(2022/1/15閲覧)
※6 川松亮明星大学常勤教授の計算方法を参考に筆者が計算した。
「児童相談所における虐待対応の現状と課題」(2020)(2022/1/15閲覧)
※7 友田明美「体罰や言葉での虐待が脳の発達に与える影響」(2022/1/15閲覧)

林 純次(はやし じゅんじ)
教育スーパーバイザー
1975年埼玉県生まれ。京都大学大学院教育学研究科修了。大学卒業後、大手新聞社に記者として入社。事件・事故、医療、政治、教育、高校野球などを担当する。フリーランスジャーナリストに転身した後は、カンボジアやパレスチナなどの貧困地帯や紛争地域を取材。教育者に転身し、国語教育や平和教育に勤しむ。2012年度読売教育賞優秀賞(国語教育部門)受賞。IB(国際バカロレア)校での教頭職や教員研修の講師を経て、現在は関西の私学で教鞭を執る傍ら、国内外の中等教育学校のスーパーバイザーや、教師向けのインストラクターを務めている。著書に『残念な教員』『本物の教育』〈共著〉(いずれも光文社新書)がある。

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