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【究極の悪女】おそれ多くも国王に暴力をふるった女帝とは誰なのか

  • 2022.2.14

国王は朝鮮王朝で絶対無二の人だ。なにしろ、朝鮮王朝は国王を頂点とする中央集権国家になっていて、国王はあらゆる権力を握っていた。わかりやすくいえば、元首であり、大統領であり、総理大臣であり、最高裁判長であった。

それだけに、国王に歯向かえる人は他に誰もいない……はずだったのに、実際には国王に日常的にあれこれと指図をして、ときには暴力をふるう女性がいた。

それが、王妃の中で一番悪名が高かった文定(ムンジョン)王后であった。

この文定王后といえば、『オクニョ 運命の女(ひと)』ではキム・ミスクが演じていた。ドラマの中でも彼女の悪女ぶりが露骨に描かれていたが、実際の文定王后はドラマ以上に醜態をさらしていた。

もともと彼女は、11代王・中宗(チュンジョン)の三番目の妻であった。そして、手先の鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)を使って権力を掌握し、息子を13代王・明宗(ミョンジョン)として即位させることに成功した。

『オクニョ 運命の女(ひと)』でキム・ミスクが文定王后を演じた
救いようがない悪女

そのとき明宗は11歳。未成年だったことで文定王后が後見人となり、彼女は庶民を絶望させるほどの悪政を行なった。

しかも、朝鮮王朝は仏教を迫害していたのに、文定王后は仏教僧侶を優遇して国政の人事を歪めた。もはや政治は機能しないほどに乱れてしまった。

それでも、文定王后の悪政は終わらなかった。明宗が成人して親政を行なったあとでも、文定王后は明宗に親書を日常的に送って、政治のことをあれこれと指図した。

さらに興奮すると、国王のそばに乗り込んでいって、罵詈雑言を浴びせた。

明宗も、まがりなりにも王朝の絶対君主である。たとえ母親といえども従うことができない場合がある。そんなとき、文定王后は明宗の頬をひっぱたいたり、ふくらはぎを激しく叩いたりした。

それは恐ろしい光景であった。

これでは国王の威厳もあったものではない。暴力で国王を脅した文定王后は、救いようがない悪女であり、最低の母親であった。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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