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日本のモダニズムを見つめ続けた、建築家・武基雄の自邸〈三角の箱〉に住み継ぐ

  • 2022.1.31
〈三角の箱〉現在のリビングダイニング

「東大の丹下、早稲田の武」といわれた俊英の小さな秀作。

神奈川県鎌倉市。江ノ電の極楽寺駅から南東方向に位置する標高50mほどの丘陵に、建築家・武基雄の旧自邸は立っている。今は閑静な住宅街だが、元は山林だった場所を宅地として造成した敷地だ。

急斜面を登り切って回り込んでいくと、白い箱の上に載ったピラミッドのような屋根が目に飛び込んでくる。外からは開口部がほとんど見えないつくりで、森のなかの東屋のように、ひときわ方形の屋根が際立つ。

建築家・武基雄の自邸〈三角の箱〉
現在の外観。アプローチのタイルを張り替えた以外は、ほとんど変えていない。急勾配の屋根の部分が2階になっている。2020年、鎌倉市から景観重要建築物等(第36号)に指定された。

竣工は1975(昭和50)年。武基雄が65歳のときだ。子供たちはすでに独立し、夫婦で住むことを前提に設計している。南側を地中に埋もれさせた半地下の1階に書斎と寝室、2階に開放的なリビングダイニングがある。
幅の狭い階段を上っていった先に広がる、てっぺんにトップライトを頂いた方形の天井がドラマティックだ。テラスからは、遠く海が見える。

建築家・武基雄の自邸 竣工当時の外観
(竣工当時)方形造りの屋根のてっぺんはトップライトになっていて、夜ともなれば天に放つように光が漏れる。近所から「トップライトの家」として認識されていた。©新建築社
建築家・武基雄の自邸 竣工当時のリビングのトップライト
(竣工当時)屋根の形なりの天井の、トップライトがリビングの中心。奥がダイニングスペースで、食器棚の向こうがキッチンになっていた。©新建築社

武は、戦後活躍した建築家であり都市計画家である。
「東大の丹下、早稲田の武」と呼ばれた俊英だったが、現在、丹下健三ほど世間にその名が知られていないのは、おそらく後半生は教育者として、その力量を発揮したからだろう。早大の武研究室からは、菊竹清訓ほか、のちの建築界を担う優秀な人材を多く輩出している。

長男の武惣一郎さんは、教え子である早稲田の学生たちが、自宅によく遊びに来ていたことを覚えているという。「父は勉強しかしていない秀才は建築家にはなれないと考えていたようで、君は旅をしたことがあるか?酒を飲んだことがあるか?と。まず人として豊かであれと、伝えたかったんでしょうね」

超高層ビルが都市に林立していく時代にあって、「鎌倉には高層建築は建てるべきではないと、よく言っていました。建築とは自然との調和。風景を壊すものであってはならない。時折、絵巻物を眺めては、江戸の町の美しさを語っていました」。

建築家・武基雄の自邸 竣工当時のリビングダイニング
竣工当時のリビングダイニング。テレビ収納や食器棚なども造り付け。床暖房もあり、設備も当時としては先端的だった。©新建築社
建築家・武基雄の自邸 竣工当時のリビング
階段側から南面の窓を見る。海の見える開放感のあるテラスと、屋根越しに庭の緑を切り取るフレーム。リビングからの眺めがよく計算されている。床の仕上げは絨毯。©新建築社

一方、家庭では一介の父であり夫である。この晩年の自宅に関しては、「台所が使いづらい、風呂場が小さいと、母がこぼしていました。2階リビングは今でこそ普通ですが、当時、家族からは不評で。

その前に住んでいた、やはり父が設計した平屋の家を、みんな気に入っていましたから。
その家を、飲み屋で知り合った人に、父が独断で売ってしまったんですよ(笑)」。家族にとっては、頑固な明治の男だったという。

Information

武基雄(建築家、早稲田大学名誉教授)

たけ・もとお/1910(明治43)〜2005(平成17)年。長崎県生まれ。石本建築事務所勤務を経て1950年武建築設計研究所を開設。戦災復興都市計画で広島県呉市を担当。長崎の平和公園内にある〈平和の泉〉の設計では碑文の選定から携った。

住み始めて気づく良さがあるのも、名建築ならでは。

猪熊克美さん、早苗さん夫婦が娘の小学校入学を機に、都内のマンションから旧武基雄邸に越してきたのは2019年春のことだ。

「以前、由比ケ浜の海沿いに住んでいたことがあって。今度住むなら江ノ電の駅から徒歩圏内、海が見えて津波の心配がない場所でと2年くらい探していました」

ネットの不動産情報で見つけたこの家は、その条件にぴったりだった。のみならず「ほかにはない、今の時代に自分たちでは建てられない家」であることが、大きな魅力だった。
武基雄という建築家のことは知らなかったけれど、モダニズムの系譜にある優れた建築であることは一目で理解した。さっそくネットで作品集を購入。売り主である武惣一郎さんとも面談をして、無事、お見合い成立となった。

〈三角の箱〉現在の玄関
玄関はアプローチからは見えないようになっている。ポーチ部分の床は、新たに張り替えた。屋上の手すりは竣工当時にはなく、武家がのちに取り付けた。
〈三角の箱〉現在のダイニング
ダイニングコーナー。左手奥のキッチンは全面改装。収納はキッチン内部に移動し、ダイニングとの境をガラスの引き戸にすることですっきりとした印象に。
〈三角の箱〉現在の和室
4畳半の和室は、竣工当時と変わらない。広々と開放的なリビングダイニングの一角にあり、閉じた部屋ならではの、ほんのりとした居心地のよさがある。

作品としてもこの家を残したいと考えて、鎌倉市から「景観重要建築物等」の指定を受けた。修繕費の一部を負担してもらえる利点もある。

「武さんは、鎌倉商工会議所の設計者でもあり、景観整備にも尽力された方。鎌倉市の若い職員も武さんのことをよく知っていました」と克美さん。

〈三角の箱〉現在のリビング中央のトップライト
方形の天井のてっぺんにあるトップライトが、この建築全体を象徴する、求心的な存在になっている。四方に照明が仕込んである。
〈三角の箱〉現在の階段への入口
階段への入口を境に、右側がキッチン、左側が和室。宙に浮いたように見える時計も昔からの造り付け。B&Oのオーディオから音楽が室内に心地よく響く。
〈三角の箱〉現在の1階
1階の予備室から寝室を見る。古い書斎の壁を取り払い寝室に変更。床、壁、天井の仕上げはすべて変えて、早苗さんが理想の寝室に仕立てた。

外観は、ベランダ以外は手を加えず、内装も床、壁、水回りなど使い勝手に支障があるところ以外は、できるだけ既存の意匠を残した。改修工事では、プランやイメージをウェブアプリで工務店と共有。360度カメラとiPadを使い細かく指示を出すなど、夫婦の得意なITを駆使した。

「空間の良さは残しつつ、設備は最新にしました。玄関はスマートドアに、エアコンや寝室の照明はスマート家電にして、スマホからも操作できるようにしています」

冬至には、テラスから見える海の真ん中に夕日が沈む。
「住み始めて気づく良さがたくさんあるのも、名建築だなと思います」

〈三角の箱〉現在のリビングダイニング
2021年のリビングダイニング。床はタイルをヘリンボーンに張って仕上げた。家具は、建物と同時代の北欧のヴィンテージが中心。

profile

〈三角の箱〉に現在住んでいる、猪熊克美・猪熊早苗

猪熊克美・猪熊早苗

いのくま・かつみ、さなえ/共に40代。夫婦でIT関連企業に勤務。今回の改修プランは、主に夫がリビングダイニングを、妻が寝室を担当。インテリアについては、日頃からWebのピンタレストでお互いに気になるイメージを集めて意見交換。部屋づくりに生かしている。

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