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130:ヴァカンス

  • 2015.8.21
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長らく時事報道に関わり、ニュースを追ってきた。事件が起きたら現場に飛び、調べて書き、送る。予定はあって、なかった。昨日までと今日からの居場所が変わるのは、日常茶飯事のこと。いつも足下には、数日分の必要を詰めた小さな鞄を置いていた。ひるんでいる暇はない。うかうかしていると、ニュースが、そして生活の糧が逃げてしまう。時計との追いかけ合いは、それでも、リズミカルで楽しかった。
そういう毎日を何年も続け、ある日突然、止めた。
時計を外し、携帯電話を置いて、フェリーに乗った。背後に残してきたいくつもの一瞬を、引き戻って拾い集めてまわりたくなったのだ。

港を出て小一時間も経たないうちにみるみる雲が立ち込め、海は黒く沈んだ。ゴウという音とともに大風が吹き始めて、舳先には直角に立ち上がった海面が打ち当っている。そこそこの重量があるフェリーなのに、潮流と風に船体を左右に大きく揺らしている。流れ込む海水は甲板を怒ったように通り抜け、再び海へと戻っていく。
船員たちは波をかぶりながら、平然としている。持ち場からびくともせず、視線を彼方に投げている。
荒れ始めたときと同様に、まもなく海は何ごともなかったように静まり返った。
元通りの、空と海。青々と眩しく、水平線が見えない。

最初に着いた港で降りた。
小さな島は、乾涸びている。過酷な暑さと強風の通り道にある。
フェリーを降りるとき、
「戻るなら、これだから」
船員が示したのは、大きな時計が手描きされた板だった。
針は、帰路の出港時刻に合わせてある。
文字盤の中央には、稚拙な字で<Rolex>と記されていた。

追ってこない時計に背中を押されて、時間の止まったところへ行く。
置き忘れてきた、さまざまなときと会えるだろうか。

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