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「袖先赤いクットン」最終回 ジュノとイ・セヨンの熱演で幕下ろす 高い視聴率で有終の美

  • 2022.1.2
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▶ この記事にはドラマ本編のあらすじやネタバレの一部が含まれています。

MBC
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『袖先赤いクットン』が歴史上の事実と同じように宜嬪の最後を描いて幕を閉じた。

去る1日に韓国で放送されたMBCの金土ドラマ『袖先赤いクットン』は宜嬪となったソン・ドクイム(イ・セヨン)とイ・サン(ジュノ)の最後の話が描かれた。

この日、ソン・ドクイムはイ・サンの承恩尚宮(寵愛を受けて寝所に侍る宮女)になった。ソン・ドクイムはイ・サンの求愛を拒絶したが、イ・サンは「一生私と会わずに生きることができるのか」とし「本当に私を拒否するなら、お前を解放してやる。代わりに二度と会わないだろう」と話した。これを聞いたソン・ドクイムはイ・サンの求愛を受け入れることにした。

ソン・ドクイムは懐妊したが、イ・サンはソン・ドクイムの懐妊の知らせを聞いたその日、ソン・ドクイムではなく王妃のもとへ向かった。責務を果たすために懐妊を望んだものの子供に恵まれなかった王妃を先に気遣ったもの。ソ尚宮(チャン・ヘジン)はソン・ドクイムを慰め、ソン・ドクイムは「私の夫ではなく、王妃様の夫だということを知っている」とし、「何も望めず、期待してはならないということはわかっていた」と諦めたように話した。

イ・サンはソン・ドクイムに「宜」という嬪呼を下した。好きだという意味を込めて、ソン・ドクイムへの気持ちを表わしたもの。しかし2人に再び危機が訪れた。ソン・ドクイムの息子である文孝世子が病気で夭折したもの。妊娠中だったソン・ドクイムは闘病中の息子に会えず、死の知らせも内官の「東宮薨逝」という叫び声を聞いて知ることになった。ソン・ドクイムは結局食事ものどを通らず苦しんだ。これにイ・サンは「お前が着るもの、食べるものすべてが民が捧げる租税から出てくる」とし、「あなたは世子の親母であり、龍種を妊娠した正1品の嬪だ。いかなる悲しみを抱こうと、民の前では毅然とした姿を見せるべきだ」と非難した。ソン・ドクイムは「望んだものではない」とし、「望んでもいないものを得たからと、無条件に我慢して忍耐すべきなのか。私が妊娠して産んだ子供が死んだのに、思い通りに悲しむこともできないのか」と反発した。イ・サンは「私たちにはまだ子供がいる」としながら、お腹のなかの子供のために力を出すように頼んだ。さらに悲痛なことに親密だった宮女のソン・ヨンヒ(イ・ウンサム)が別監と私通した罪を犯したことが発覚し、ソン・ヨンヒは結局処刑された。ソン・ドクイムは「(イ・サンが)最初からそんな方だということを知っていた」と自分を納得させようとした。

妊娠中に倒れたソン・ドクイムは、人生の最後の瞬間が近づいているのを感じて、同僚たちを呼びつけた。イ・サンは自分ではない同僚の仲間たちを呼び出したソン・ドクイムに「お前は私を少しも恋慕しなかったのか」としながら、「とても小さな気持ちでも私にはくれなかったのか」と悲しむ心境を吐露した。ソン・ドクイムは「その気持ちがなかったら、どんな方法を使ってでも遠くへ逃げたはず」とし「結局、殿下のそばに残ったことが私の選択だったことがわからないのか」という言葉だけを残してこの世を去った。

イ・サンはソン・ドクイムの死後も聖君となって政治に邁進した。そんなある日、イ・サンは病気で倒れ、しばらく寝ている間に夢の中でソン・ドクイムと会って気持ちを伝えた。

『袖先赤いクットン』は自分が選んだ人生を守ろうとした宮女と愛より国が優先だった帝王の切ない宮中ロマンス記録だ。カン・ミガン作家の同名小説を原作にした作品だ。

昨年11月12日、初放送当時5.7%で始まった『袖先赤いクットン』は同時間帯に初放送を始めたSBSの金土ドラマ『今、別れの途中です』(6.4%)よりやや低い視聴率でスタートしたが、視聴者たちの口コミを通じて徐々に人気を集めた。特に16話は瞬間最高視聴率19.4%(ニールセンコリア)を記録し、最後回は17.4%(全国基準)を記録して有終の美を収めた。

去る3年間、連続ドラマや週末ドラマを除いたミニシリーズ作品のうち10%を超える作品がなかったMBCには恵みの雨のような作品となった『袖先赤いクットン』は17話で幕を閉じた。

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