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「自己肯定感」が叫ばれる時代の皮肉 他者承認は不安定、求められる“自助努力”

  • 2021.12.28
「自己肯定感」が注目される背景は?
「自己肯定感」が注目される背景は?

最近、何かと「自己肯定感」という言葉をよく見掛けます。本やウェブといった媒体で特に顕著です。「Googleトレンド」(ある単語がGoogleでどれだけ検索されているかを確認するツール)では、2017年ごろから、右肩上がりで上昇しており、今も数多く検索されているキーワードの一つのようです。

自己肯定感とは簡単にいえば、「ありのままの自分を受け入れられる肯定的な感覚のこと」「自分の存在に価値があると思えること」です。自尊心や自尊感情と同等の意味で用いられています。なぜ今、注目されているのでしょうか。

他者との接触機会の減少が影響?

以前、筆者は精神科医に取材したとき、「自己肯定感は結局、他者からの『肯定的ストローク』に依存している面が大きいので、自分の認識を変えるだけではどうにもなりません」という話を聞きました。肯定的ストロークとは、相手の存在や価値を認める働き掛けのことで、感謝を伝えたり、ほほ笑みかけたり、話を熱心に聞いたり、ハグしたりすることです。

経済学者のノリーナ・ハーツは孤独・孤立をテーマにした本で、さまざまな専門家や関係者に聞き取りを行い、コロナ禍での人との接触機会の減少が自尊心を低下させる事実に着目しました。彼女は「多くの思想家たちが指摘してきたように、人間の自尊心は、他者からの承認が大部分を占める」(「THE LONELY CENTURY なぜ私たちは『孤独』なのか」藤原朝子訳、ダイヤモンド社)ことに改めて気付いたのです。

つまり、昨今の自己肯定感ブームの背景には、多くの人々が他者と良質な関係性を構築できないことや、本来必要としているコミュニケーションが不足している現状があり、それによって、自己肯定感が得られにくくなっているために、早急に自己肯定感を回復するマニュアルが求められていることがあります。

しかし、このマニュアルが面白いことに「自分だけで解決する」といった自己完結型のものが多いのです。例えば、「自分が抱えている不安を紙に書き出して、その内容が本当に適切かどうか距離を置いてみる」「鏡に映った自分を褒めてあげる」「朝起きたら好きな曲をかける」「部屋を片付ける」「おいしいものを食べる」などです。

これはいわば、インスタントな解決法と呼ぶべきもので、良質な関係性や必要としているコミュニケーションの欠乏状態を、何か、あり合わせのもので補うような振る舞いに見えます。しかし、見方を変えれば、根本的な解決はハードルが高すぎるがゆえに、お手軽な弥縫(びほう)策でしのいでいるともいえます。

良質な関係性や必要としているコミュニケーションの中身は人によって、かなり異なりますが、多くの場合、すぐ手に入るものではありません。そのため、安易に「自分だけでどうにかしよう」という発想につながりやすくなります。要は、他者の存在が前提とされている問題であるのにもかかわらず、他者がほとんど関与しない答えにしがみつく作法です。

「私たちは進化の作用によって、仲間といれば安全を感じ、心ならずも独りになったときは危機感を覚えるようにできている」と述べたのは「社会神経科学」の創始者の一人であるジョン・T・カシオポらでした。何百万年も前に人類の祖先が直面した外敵の脅威というストレス要因に適応した神経回路網であるとし、それが「孤立感や愛されていないという感覚がストレス要因のとき」(「孤独の科学 人はなぜ寂しくなるのか」柴田裕之訳、河出書房新社)にも発現してしまうのです。

これはあくまで、主観的な孤独感における反応の問題なので、家族や友人が大勢いても深刻な状態に陥ることがざらにあります。逆に、浅い人付き合いばかりでも自足できている場合があります。とにかく重要なのは、コロナ禍も手伝って、各人にとって、心身を良好に保つことができる他者との関係や居場所が構築しづらくなっているということです。

もちろん、ここには地域コミュニティーや企業共同体の衰退などによる交流機会の消失、ちょっとした困りごともサービス頼みになる、生活圏の市場化といった要因が複雑に絡み合っています。

フィットネスクラブが救世主?

心理学者のケリー・マクゴニガルは22歳でグループエクササイズの講師になれたことについて、「私にとってどれほど幸運なことだったか」と語っています。「レッスンの生徒たちほど私を慕ってくれ、仲良くなった人たちはいない」と言い、「自分には居場所があるという感覚は、私の私生活のあらゆる面に影響をおよぼし、社交不安が緩和され、ストレスが強いときに孤立しがちな傾向も抑えられた」と振り返っています。

「リーダーのもとで人々が動きを合わせると、仲間同士の信頼感が醸成される。こうしたシンクロニー(同調)による絆がもたらす恩恵を常に受けるのは、ほかならぬインストラクター自身なのだ。スタジオの全員がインストラクターの姿を見て、その動きをまねる。つまり私たちの生徒たちも、何時間も私の動きをまねしてきたことによって、『この人は信頼できる』と体で感じたのだ。このような信頼感は、ある意味、労せずして得たものだ」(「スタンフォード式人生を変える運動の科学」神崎朗子訳、大和書房)

このエピソードは、さまざまな含蓄に富んでいます。自己肯定感の基礎となる社会的信頼の上昇というものが、集団への指導的立場、しかも、身体同調性を伴った活動からもたらされたということは、マクゴニカルが追記したように運次第という側面は否めませんが、あえて、そういった役回りを模索することや、身体同調の効用をルーティンに組み込むといった応用が可能という認識も導かれます。

前出のハーツも「米国のフィットネスクラブが教会に代わるコミュニティーになっている」という研究者の指摘を重視し、やはり、人々の親交を促す身体同調を主体としたプログラムが生理的・心理的恩恵をもたらす点を評価しました。これらはともすれば、ただ単に支払った分のサービスを享受することにしか関心を示さず、受動的な消費者の立場に甘んじがちな、市場化されたコミュニティーを、むしろ、自己肯定感を育むための居場所の一つとして賢く活用している好例といえます。

自己肯定感、自尊心を自己の責任において手当てしなければならない――これは時代の要請というより、もはや、変更不可能なゲームのルールになりつつあります。さらに恐ろしいことに、私たちの生きている社会経済システムは、自己肯定感を支える資源を脆弱(ぜいじゃく)にする副作用があります。

シャッター商店街とショッピングモールの対比が分かりやすいですが、どのみち、人の尊厳に関わるコミュニケーションの促進よりも、お金が効率よく流れ込む空間の構築を優先するものだからです。加えて、すべてを損得勘定に還元する消費者的な思考がまん延し、自分自身の価値をもその基準に当てはめて一喜一憂するようになっています。

皮肉なことに、自己肯定感がクローズアップされる時代とは、その必要条件である他者からの承認が安定的に得られないにもかかわらず、自助努力でメンタルをケアせよ、強化せよという掛け声だけが大きくなっている近年の動向を象徴しているのです。

評論家、著述家 真鍋厚

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