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東京・上野で「クレオパトラとエジプトの王妃展」スタート! 絶世の美女の素顔とは?

  • 2015.8.3
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古代エジプト最後の女王クレオパトラ。その美貌でローマ軍の男たちを魅了したといわれていますが、実際にはどんな女性だったのでしょうか。上野の東京国立博物館で開催中の「クレオパトラとエジプトの王妃展」を訪ねてみました。

古代エジプトの女性たちにスポットを当てた展示です

古代エジプトといえば、ピラミッドやミイラなど、その歴史や謎に迫る展覧会が数多く開かれてきました。しかし今回の展覧会はそれらとは一線を画し、時に政治や宗教に多大な役割を果たした当時の女性たちに焦点を当てた企画展になっています。

ルーヴル美術館や大英博物館、ボストン美術館など、世界の名だたる美術館・博物館の収蔵品はもとより、一般の人が目にする機会の少ない個人コレクターからも作品が出展されており、その数は約180件にも上ります。

メイン写真:会場の入り口近くにある像「クレオパトラ」(マルセイユ美術館蔵)。毒蛇に腕をかませて自殺する場面を表している

クレオパトラの素顔とは

“絶世の美女”として知られるクレオパトラですが、実は彼女の姿を伝えるものほとんど残っていません。彼女の姿を伝える当時の肖像は、治世時につくられた銀貨に刻まれた横顔が残っている程度なのです。

古代の歴史家が残した記述によると、クレオパトラは特別な美女というわけではなかったようです。しかし、7カ国語を操る聡明な女性で、美しい声をもち、魅力的な話術とカリスマ性によって、カエサルやアントニウスらローマの将軍たちを虜にしたといわれています。

クレオパトラの数奇な生涯

クレオパトラはギリシャ系の王家に生まれ、父の死後、ローマの英雄であるユリウス・カエサルの後ろ盾を得て若くしてエジプトの女王となります。カエサルが暗殺されると、その部下であったマルクス・アントニウスと関係を結び、国を守ろうと画策しました。

しかし、ローマの覇権争いでアントニウスが率いる軍が敗れると、アントニウスの後を追って自らその生涯を閉じたのです。

クレオパトラの死をもって古代エジプトは滅亡し、ローマ帝国に吸収されていきます。

最後の女王となった彼女の墓は、いまだ見つかっていません。

注目したい女性たち

クレオパトラの死でその歴史を閉じた古代エジプトは、約3000年もの間、独自の文化を築いてきました。展覧会ではクレオパトラ以外にも、ファラオ(王)を支え、国を支えた女性たちを紹介しています。

ハトシェプストは、クレオパトラが生まれるよりもずっと前の紀元前15世紀の新王国時代に活躍した女王です。夫トトメス2世の没後、まだ幼かった後継者トトメス3世の共同統治者となり、数年後には自らファラオを名乗ります。

内政に優れた手腕を発揮し、周辺地域と平和的な交流をすすめ交易で国を繁栄させました。彫像やレリーフでは、男装してあごには付け髭をした姿が残っています。

当時の建築の最高傑作として名高い、エジプトのルクソール西岸にある「ハトシェプスト女王葬祭殿」は彼女が残したものです。

ティイは、ハトシェプスト女王の時代から少しあとの、古代エジプトが最盛期を迎えた頃に活躍した王妃です。夫であるアメンヘテプ3世を支え、国政や祭儀で傑出した能力を発揮し、その名は国外にも知られるほどでした。

今回展示されている「アメンヘテプ3世の王妃ティイのレリーフ」は日本初公開。エジプト南部のテーベ西岸にある高官ウセルハトの墓に施されていたたいへん美しいものです。

アメンヘテプ3世の跡を継いだのが息子のアメンヘテプ4世です。彼は太陽神アテンを唯一神とする宗教改革を行いましたが、この改革を夫とともに牽引したのが王妃であるネフェルトイティ(ネフェルティティ)です。

ドイツ・ベルリンのエジプト博物館にある「王妃ネフェルトイティの胸像」はよく知られており、“古代エジプトの美の象徴”といわれています。

こうやって見ていくと、はるか昔に生きた女性たちの息遣いが感じられるようです。

貴重な展示品の数々を見に、上野へ出かけてみませんか?

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