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幸せをアピールする人は、本当に不幸なのか!?

  • 2021.11.10

人間“幸せ”のフリをして自ら脳を騙すことが大切なのだ

SNSで「幸せをアピールする人」は、幸せではない……。超有名ユーチューバーが言及したことで、改めて注目を集めているその正否。実はこれまでも多くの人が、まったく同じことを指摘している。もともとSNSをやらない人は、やらないことをちょっと誇らしげに思うのだろうし、当たり前のようにSNSに「もう最高」「めちゃくちゃ幸せ」といったノリの投稿を続けている人は、楽しいことを楽しいと言って何が悪い? じゃあ一体何のためにSNSがあるの? という反論の仕方になる。

実際、SNSはそもそもが幸せを披露するステージであるとの見方もあって、だからやらない人は頑なにやらない。幸せは人に見せるものではないし、見せれば必ず反感を買うからと。他人の幸せがうれしいわけはないからと。幸福観の違いも相まって、やるやらないが、人間のタイプを分ける境界線にさえなってきた。

どちらが正解とも言えない。その両方に“幸せにまつわる真実”があるからだ。幸せの取り扱い方それ自体が、極めて難しいからなのである。そこで、幸せアピールする人の心理を分析している人も既にたくさんいるので、まずはそこから紐解いていくことにしよう。

ざっくり総合すると、こんな具合……。自己顕示欲。自己肯定感の低さ。認証欲求の強さ。プライドの高さ。これらが、幸せを一生懸命にアピールする人に共通する特徴とされるが、明らかにそこには矛盾が見える。つまり、自己肯定感が低いのに、自己顕示欲が強い人。自分に充分な自信があるわけではないのに、自分の充実ぶりをアピールしたいという矛盾がそこにある。あるいはまた、承認欲求が強いのに、プライドも高い人。つまり、自分を知ってほしい、そして多くの共感を得たいという欲求は強いのに、自分が不幸せだとは決して思われたくないという、ある種の矛盾がそこにもある。

一見単純に見えても、やはり他者に幸せを披露する心のうちは複雑。でもそれが人間なのではないか。心の中に葛藤があるのが人間。矛盾だらけなのが人間。そして何より、自分が幸せかどうかよくわかっていないのが人間。幸せという概念自体が曖昧で逆説的な意味を含んでいるから、どこか不幸な部分もある人が、幸せアピールするのはむしろ当たり前のことなのかもしれない。

その証拠に、今“デジタルでデトックス”という名のもとに、もう疲れた、もう無理とSNSをやめた人が、しばらくしてSNSに戻る現象が起きている。数百万、数千万のフォロワーを持つハリウッドセレブにも、そういう人が続出。ケンダル・ジェンナーやヘイリー・ビーバー、テイラー・スウィフトなどは、一度アカウントを閉鎖または投稿をすべて削除し、すぐに再スタート。いろいろ疲れることがあってシャッターを閉めても、しばらくすると、やっぱり幸せそうな自分を見せたい思いがむくむく湧いてくるのだろう。

それだけ見ても、人間にとって幸せと不幸せは本当に背中合わせ。単純に前を向けば幸せだけど、後ろを向けば不幸せ、際どいところで行ったり来たり、そんな不確かな心で生きている人がほとんどなのではないだろうか。

だからこそ、実は人間“幸せのフリ”が必要なのだ。ウェルビーイングの世界では、この“幸せのフリ”がとても重要なテクニック。嘘でも何でも、私は何て幸せなんだろう、そう思うと本物の幸福感が生まれてくると考えるから。でも、“フリ”って一体、何をどうすればいいの? そこからみんな戸惑うのだろう。おすすめなのは朝、家族に思いっきり嬉しそうに楽しそうに、「オッハヨー」と促音(小さな「ツ」)や、語尾伸ばしをしっかり使って言ってみる。もちろんハイトーンでクリアに艶やかに。一体どうしちゃったのと言われるだろうが、これが一番いい方法。一日の始まりで幸せなフリをすると、幸福感がほぼ一日続くから。一人暮らしでも、カーテンをサーッと開けながら「オッハヨー」。バサバサと大げさにベッドメーキングしながら、今日もいい日になりますよーに! 観葉植物にお水をあげながら、何だかとっても幸せー! バカバカしいと思うだろう。でもハッキリ言って、そこまでしないと“フリ”にならない。ひょっとしたらこれ、現実かもしれない、と本気で自分の脳を騙すような演技が必要なのだ。そう、忘れてはいけないのが、口角を上げて、あごを上げて、斜め上を見ながら元気に幸せを演じきること。できればそのままの感覚で一日を生きること。もっとも簡単に幸せになる方法である。

逆に言えば、背中を丸めてひざを抱えてずっと下を向いていたら、自分ほど不幸な人間はちょっといないかもと思えてくる。人間の生体は本当によくできていて、むしろ行動が精神をつくるのだ。人が見ていないところでゴミを捨てれば、心が荒れてくるし、電車でとっさにお年寄りに席を譲れば、心が浄化されていく。自分はもっといいことができる人間だと思えてくる。「習慣が人間をつくる」とはそういうこと。人間は複雑で矛盾だらけであるのと同時に、どこかがとても単純にできていて、面白いくらいに体と心の辻褄を合わせることができるのだ。だから日々を機嫌よく過ごすだけで、細胞から幸せが増殖してくるはず……。

エマ・ストーンやスカーレット・ヨハンソンに共通する匂い

では、SNSによる幸せのフリはどうだろう。〇〇で〇〇を食べました、最高でーす!とあげるのも、気がつけばフリだったりしないか? ただ、書くことは時に“口にすること”以上に確実に、自分に暗示をかける効果を持っている。従って、朝の「オッハヨー!」以上に効率がいいのが、SNSでのフリと言えなくもない。書くことで幸せなフリをするうちに、どんどん幸せが本当になるなら、それでいいのじゃないか。

もちろんそれを他者から、“不幸の裏返し”だなんて言われたくない。ただ“幸せのフリ”を人に見せているのだから、そう思われるのは当然のこと。それが嫌ならば、何回かに一回は不幸せのフリをする。要はバランスを欠いた執拗な幸せ投稿こそが、不幸の裏返しと言われるのだから。

ただ一番大切なのは、あくまで人にどう思われようといいという割り切り。ひたすら【自分のために】幸せのフリをSNSにしたためているだけなのだという。でも本気の割り切りができたら、その人にはもうSNSは要らなくなっている。つまり幸せのフリは必要でも、やっぱりいつかは卒業すべきなのだ。人に見せる幸せアピールは。本来フリは自分に見せるためのものなのだから。

ちなみにSNSを疲れきってやめた人に、エマ・ストーンやキーラ・ナイトレイがいる。そしてもともとSNSを危険だからと否定する人に、ケイト・ブランシェットやスカーレット・ヨハンソンがいる。この顔ぶれにはやっぱり何か共通した匂いがある。達観。悟り。そして落ち着き。SNSを必要としない時、人はどこかの境地にたどり着くのかもしれない。自分を人に見せないようにすることが、 幸せの鍵だと訴えているよう。

「幸せとは、幸せかどうかを問題にしないこと」。そんな格言がある。本当にそう。幸せアピールをやめた時、その人は本当の意味で心が満たされ安定するのだろう。

アピールもフリもしなくなった時こそ、本物の穏やかな幸せがやってくる。人と比較しない、だから人の不幸も望まないし、自分も幸せに執着しない、完全に他者と切り離された自分だけの心の平和……。いつかはそこにたどり着きたい。その時、きっとすべてが変わる。何のアピールもせずに、あなたは光を放ち、誰もが一目置く存在になっている。逆にまわりに幸せを与える存在になっている。だから、いつかその境地へ!

“幸せのフリ”で、人は本当に幸せになれる。ただそれを人に見せるか見せないかの違いはやっぱり大きい。いつかは卒業すべきなのだ。幸せアピールは。本来、幸せのフリは【自分に見せるためのもの】なのだから。

撮影/戸田嘉昭 スタイリング/細田宏美 構成/寺田奈巳

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