1. トップ
  2. 【SWAY】背伸びをしていても仕方がない。自分にしかできないことを追求したい

【SWAY】背伸びをしていても仕方がない。自分にしかできないことを追求したい

  • 2021.10.29

SHOKICHIに誘われ、HIROさんに俳優を勧められた

――SWAYさんが劇団EXILEやDOBERMAN INFINITYで活躍するようになったのはどんな経緯があったんですか?

SWAY「中学校のときにバスケをやっていて、NBA選手を見てたらそこからHIPHOPを知って。その頃、Dragon Ashもオリコンで1位になったりしていて、HIPHOPに触れることが多くなったんです。それが13歳の頃でした。その頃、ダンスを始めて、16歳でクラブでライブをやるようになって、17のときに一つ年上のEXILEのSHOKICHIに出会いました。SHOKICHIは上京してEXILEになって、僕は19から21歳までカナダのトロントにいたんです。その後、札幌で25歳までアパレル店員しながらクラブでライブしていて、25歳の時にSHOKICHIから電話があって。これから、ソロ活動をやってみようと思うんだけど、そのとき、SWAYともやりたいんだと言ってくれて。それがLDHと契約するきっかけでした」

VOCE×SWAY
ニット¥101200 パンツ¥86900 シューズ¥107800/すべてFENDI(フェンディ ジャパン)

――最初は劇団EXILEとして関わるようになったんですよね?

SWAY「SHOKICHIから電話があったとき、僕自身も上京したいという思いがあって、そこで初めてHIROさんと会って話したとき、ラッパーはたくさん先駆者はいるけれど、当時はまだラップがあまりメインストリームに行ききれていなかったので、ラッパーとして頑張り続ければいい。まずは役者からやってみたらいいじゃん、役者は死ぬまで表現者でいられるしって提案されて、『なんでもやります!』っていうことで、初めて舞台に出て、それをきっかけに劇団EXILEに入りました。先に役者として契約はしたけれど、音楽はずっと中心にありました」

――SHOKICHIさんからの電話は突然だったんですか?

SWAY「SHOKICHIがEXILEになった後も、札幌でイベントをするときなんかも連絡がきていたし、僕がカナダから帰国して東京に何週間か滞在したときもSHOKICHIの家に泊まらせてもらたりしていて、ずっと連絡はとっていたんです」

VOCE×SWAY

会社に企画書を書くのは普通だと思っていた

――LDHにはほかにも北海道の方がたくさんいますよね。

SWAY「SHOKICHIのレーベルのKOMA DOGGに所属する佐藤広大も一緒にやっていた仲間だし、(青柳)翔くんは面識はなかったけど、同じ専門学校でかっこいい人がいるなって思っていたんです。SHOKICHIは北海道の頃からつながってたみたいですね」

VOCE×SWAY

――SHOKICHIさんはEXILEの中でも、いろんな企画を立ち上げて企画書を作ってプレゼンして実現してきたパイオニア的な存在と聞きましたが、SWAYさんも、そういう企画書を出したりしているんですよね。

SWAY「SHOKICHIがやっているのを当たり前に見ていたので、やりたいことがあると企画書を書くのが普通だと思ってたんです。HIROさんは僕らの夢をフックアップしてくれるので、提案にNOとは言われないんだけど、筋を通すために企画書にして持っていくという感じです」

自分自身、HIPHOPに対する思い込みがあった

――2014年にDOBERMAN INFINITYに加入しましたが、LDHというメジャーなところでHIPHOPをすることについてはいかがでしたか? 前にインタビューで、いろんな意味で偏見をはねのけたという話も見ました。

SWAY「当時はずっとクラブでやってきていたし、突然、役者を始めるのってどうなのかなという気持ちも少しはあって、東京のクラブで知り合った先輩に相談をしたこともありました。でもその先輩は、インディーズやストリートにはいつでも戻ってこれるから、今しかできない挑戦や経験をして、大きくなれるんだったら、そっちのほうがいいんじゃないかって。いろんなことをやって戻ってきたときに、俺らは何も言わないからって言ってくれて。それで、何も心配する必要はないんだなと思えました」

VOCE×SWAY

――HIPHOPをやるのに、どこか悪い部分とか、不遇な環境で育ったとか、そういう部分がないといけないと思ってたところもあったとか。

SWAY「HIPHOPを始めたときに、アメリカのアーティストはギャングだったり、刑務所の中で書いた曲をリリースしたりとか、『8 Mile』の中でのエミネムは、母と妹とトレーラーハウスで暮らしてたりして、そういう環境でないとリアルな歌詞が書けないのではと思ってたところがあったんです。そんなときもあったけど、カニエ・ウェストが出てきて、大学中退してラッパーしてることや、母親との関係性も良好ということを知って。ほかにも、ルーペ・フィアスコってシカゴのラッパーが、日本のカルチャーが好きだったりするということを知って、自分ってなんて背伸びしてたんだろう。自分にだって自分にしかできないことがあるんじゃないかって気づかされました」

VOCE×SWAY

シンプルなのにカッコイイ、が一番やばい

――――実際、HIPHOPを知った中高生の頃ってどんな子だったんですか? それ以前は、けっこう出かけるほうだったんですか?

SWAY「中学はバスケで高校からはダンスの練習をめちゃくちゃしてて。クラブでライブとかもしてたけど、次の日、学校を休むことはなかったんですよね。授業中、寝てしまってはいたけど。学校でも、話しかけにくいタイプじゃないし、クラブに行ってるだけで、それでかっこいいと思えてたんです。その頃、家がアパートからマンションになったりして、なんか思ってるHIPHOPとは違うなとは思ってたけど、でもクラブに行ってるだけでHIPHOPに近づけてカッコいいって思えてたくらいなので、けっこう素直だったというか」

――LDHの方は、昔はちょっと怖そうな見た目って感じで見てることもあったけど、基本的にみなさんオープンな感じで礼儀正しいし、HIROさんも「『イキがること』よりも、むしろ『謙虚であること』のほうがはるかにカッコいい」と『LDH OUR PROMISE』という本の中で言われていますね。

SWAY「僕が北海道からEXILEのHIROさんを見てたころは、クロムハーツをつけて全身黒でって感じだったけど、HIROさんが勇退された後くらいからは、いつも、何もジュエリーもつけないし、Tシャツでシンプルな恰好してるんですよ。何も飾らないんだけど、それがカッコいいと思いましたね。いろんな恰好をして経験をして、そこから何周もして、何もつけないのが真の姿というところにたどり着いたんだなと。SHOKICHIとも、『あんなシンプルなのにカッコいいってヤバくない? 俺らはまだまだ叶わないな』って言っています。まだ半周もできてないですね」

VOCE×SWAY

SWAY
Profile
1986年6月9日生まれ。札幌市出身。DOBERMAN INFINITYのメンバーとして活動。俳優として、ドラマ『来世ではちゃんとします2』、『おしゃ家ソムリエおしゃ子!2』や12月17日公開予定映画『私はいったい、何と闘っているのか』に出演。所属する劇団EXILEのメンバーと共に『JAM -the drama-』に出演のほか、全国公演『JAM -ザ・リサイタル-』も開催中。

問い合わせ先/フェンディ ジャパン TEL 03-3514-6187

撮影/長田克也(aosora) スタイリング/菊池大和 ヘア&メイク/藤原早代 取材・文/西森路代

元記事で読む
の記事をもっとみる