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違和感に翻弄される、奇妙な名作『ドライブ・マイ・カー』。

  • 2021.8.27
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増幅するノイズの感触が、 劇場体験の豊かさのカギ。

『ドライブ・マイ・カー』

ノイズに耳を澄ます。そこに聴こえて来るあわいの感情を味わう。本作はそんな作品だ。舞台演出家・家福(かふく)が都内で走らせる愛車SAAB900。そのエンジン音は彼に降り積もる事柄を代弁するように不穏さを湛え、決して心地よい耳ざわりとはいえない。その音からは、村上春樹作品特有のからり乾いた行間の奥にある奇妙さがじわりどろり染み出す。妻が彼に語る夢物語の不穏さと併せ、快活なロードムービーとは一線を画す。

AI のように淡々と吹き込まれた妻による戯曲の朗読音声もまた、効果を増幅する。遺された音(妻の名も「音」)はたびたび家福と観客を捉え、亡霊のごとく私たちを地面に引き戻す。劇中劇『ゴドーを待ちながら』さながら見えない存在に緩やかに負荷を強いられた私たちは、そこに安易な解と快楽を与えられない。その変化の兆しは広島の運転手・みさきがハンドルを握る所から現れる。家福の心情の変化と併走するかのごとく瀬戸内を走る車の音は、風景と相まって次第に心地よく聴こえ始める。だが、不穏分子はざらり留まり消え去りはしない。

実際の舞台業界で近年国際的に活躍するカンパニーを複数参照し、本作は制作されたのだろう。多言語演劇という家福の作風もまたそこに生じるノイズの在り方に耳を澄まし、観客に負荷を共有させるタイプだ。劇中劇構造がそのノイズをより浮き彫りにする。

今や劇場に足を運ぶことは負荷だ。サブスクリプションで場所と時間から解放され負荷耐性が低くなった現代の観客に、映画や舞台は場所も時間も拘束しべらぼうに負担を強いるメディアだからだ。本作はその負荷に向き合う。

サウナで「ととのう」ように、そこで過ごす時間でしか得られない体験はある。そう、本作には劇場に足を運ぶべき豊かさがある。どうかノイズに耳を澄ませてほしい。

文/長谷川 寧作家、演出家、振付家「冨士山アネット」代表。異ジャンルとのコラボレーションを通じ本質を見つめ直す「疑・ジャンル」をテーマに国内外の舞台や映像で活動中。舞台演出作品に『Attack On Dance』『死刑執行中脱獄進行中』『音楽劇 白夜行』など。

『ドライブ・マイ・カー』監督・共同脚本/濱口竜介出演/西島秀俊、三浦透子、霧島れいかほか2021年、日本映画179分配給/ビターズ・エンド8月20日より、TOHOシネマズ日比谷ほか全国にて公開https://dmc.bitters.co.jp新型コロナウイルス感染症の影響により、公開時期が変更となる場合があります。最新情報は各作品のHPをご確認ください。

*「フィガロジャポン」2021年9月号より抜粋

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