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アーティストとレストランと、パンデミックの関係。

  • 2021.8.26
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写真・文/TAO

ロサンゼルスといえば、映画の都ハリウッドと連想する人は少なくないと思う。世界中から役者志望者が集まってくる特異な街である。

しかしその分競争は激しく、初めて会う人に「アクターなんだ」と自己紹介すると、「どこのレストランで働いてるの?」と聞かれるという通説があるほど、芝居一本では生活を支えるのが難しい役者たちが飲食業で生計を立てている話は有名だ。日本にも通ずるものがあると思う。ニューヨークではミュージシャンやアーティストなども含め、同じような生活スタイルを取っている人が多くいる。アーティストにとってレストラン業は、生活を支えてくれる大切な場所だ。

私の夫の従兄弟は長らくニューヨークでウェイターとして働いていたのだが、40歳を過ぎて役者を志し、インディーズの映画などに出演したりする傍ら、現在ロサンゼルスのレストランでウェイターとして働いている。彼によると、パンデミックが始まってからたくさんのレストランが経営不振に陥り、雇っていた人たちを解雇しなくてはいけなくなったのだが、いざ営業再開となった時に、職場に戻りたいと思ったアクターたちが少なくて、いまは人手不足だそうだ。

レストラン側もいつまたロックダウンなどに入り経営が不安定になるかも分からない中、長期で雇うことができない雇用主も多くなってしまった。

しかしロックダウンのストレスの反動もあるのか、外食をするという「いままでの生活」に戻りたいと願う人が多いようで、予約はいままで以上に殺到し、ウェイターが足りないという厳しいループの中にいる。

アメリカはご存知の方も多いようにチップ文化がある。時給は安くてもがんばれば、がんばっただけチップがもらえる。高級レストランなんかでは一夜働いただけで300ドル近くのチップが稼げたりする。

そのルーティーンに慣れてくると、お金のあまりない小さなプロジェクトに参加するよりも、短い時間で多く稼げるレストラン業を優先し始めてしまう人も多いと聞く。日々の支払いに追われ、いつのまにかアーティストとしての活動より気が付けばレストランでの仕事が忙しすぎて創作活動に手が付かないなんていうのも「あるある」話だ。

加えて高級レストランで働いている夫の従兄弟の話だと、土地柄裕福なセレブリティを接客することも多く、その桁違いのお金の使い方に嫌気が刺してしまった人もいるようだ。日本のフュージョン料理を出しているレストランで働いていた彼の話だと、一貫20ドルするような大トロの握りを50貫頼み、10貫も食べずに残す、などの無駄な頼み方をする富裕層が多く来るが、レストラン側も儲けになるので無駄にされると分かっていても提供してしまう。そういった金銭感覚や食べ物への軽視などを毎日目の前で見るのは心苦しいし、これだけフードロスの環境負荷や貧困問題が問題視される中、時代に背いているともいえる。

そんな中このパンデミックが起こり、自分と向き合う時間が作れたアーティストたちは、そういった麻痺した金銭感覚やライフスタイルを提供する場所から距離を置き、創作活動により勤しめるようになった。私自身も、レストランで働いていはいなかったものの、大きく生活リズムが変わったことにより、オーディションを待つだけではなく自分で脚本を書いたりする時間が増えた。人生観が変わったという人は、役者やアーティストに限らずたくさんいたんじゃないかと想像する。

慣れ親しんで安定していたルーティーンから脱却して、クリエイティビティを取り戻し、 自分の作品や夢に向き合えるようになったのは、アーティストたちにとって有意義な変化だったと思う。しかし収入が減った人たちは、家賃をセーブするために実家に戻ったりするケースも多いようで、いざこれからその創作したものを形にするには……というフェーズに来ている。

創造力が高まってもいざ実行するために貯えがないとなると、望んでいなくてもまたレストラン業に戻らざるをえない人もいる。戻りたくても前述のように雇用形態自体が不安定などの問題もある。

パンデミック中の失業手当などはあったものの、申請自体がとても複雑にできており、そういった事務的な作業が苦手なアーティストの方々は泣き寝入りするしかなかったという話もよく耳にした。

今回いち役者として上記のようなことを感じた傍ら、いままで何気なく利用してきたレストランやそこで働く方々への敬意も増した。飲食業に携わる方々の安定やクリエイティビティも同じように重視されるべきであるし、日本では長く営業の時短や自粛を勧められているレストラン側の方々への対応も見直されるべき部分があるように思う。

実際にどういう対応ができるのか、エコノミーに疎い私には答えが出せないが、せっかくこの機会に生まれた素晴らしいクリエイションたちが世の中に必要とされ、日の目を見れるように、こんな時だからこそいま一度芸術に敬意と評価が払われるといいなと切望している。

私自身もいま、この間に模索し、書き上げた自分の脚本を実現化できるように、自分のお尻に火を付ける毎日を過ごしている。そしてたまに外食に行ってはおいしいごはんに感謝しながら、早くみんなが安心して暮らせる日々が来るように祈っている。

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