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葬儀の「謎マナー」をつくるのは誰か 注意すべきSNS情報とマナーの本質

  • 2021.8.10
なぜ、「謎マナー」が生まれる?
なぜ、「謎マナー」が生まれる?

必要性に疑問が残る暗黙のルール、いわゆる「謎マナー」の出どころなのではないかといわれている一部のマナー講師を最近ではSNSなどで「失礼クリエーター」とやゆする声もあります。葬儀業界に身を置く筆者も葬儀における、理由に妥当性のないさまざまな葬儀の「謎マナー」が一部のマナー講師によって生み出されるのを見てきました。

一例を挙げると、葬儀の場では通常、香典袋に入れるお札は新札ではなく、使ったことのあるお札が望ましいとされます。これは「故人の死を待ち構え、準備していたように取られないように」という気持ちの側面と、葬儀の会計係が袋からお金を取り出して数える際、新札は手を切りやすく、かつ滑りやすいという実務的な側面の2つが現実的な理由です。

こうした「香典には新札でない方がよい」という一般的なマナーを一部のマナー講師が「『誰が触ったか分からないお札は清潔ではない。葬儀もできれば新札が望ましい』と自身の母が言っていた」などの理由で改変しているのを見てきました。解釈運用があるのがマナーの本質ですが、さすがにこれは改変し過ぎで、「失礼クリエーター」といわれても仕方がないところがあるように思います。

存在しない謎マナーで盛り上がるSNS

ところで、コロナ禍において、「『葬儀でのマスクは黒』というマナーが生まれたのはおかしい」とSNSを中心に盛り上がったことがあります。このときに筆者が調べてみたところ、「葬儀のときは黒マスクを着用するのがよい」をマナーとして示した記述は発見できず、「葬祭法事用布マスク」「葬儀用フォーマルマスク」といった名目で布製のおしゃれな黒マスクを売っている一部のサイトを見つけた程度なのです。

つまり、実際は、商品を売るためのキャッチコピー程度のものだったのでしょう。「マナー講師が言った」という事実の有無が正しく確認されないまま、あたかも「また、マナー講師がおかしなことを言ったに違いない」かのように話題となり、“架空のトンデモマナー狩り”が行われていたのが実情だと思います。

他にも、古いマナーの一部を切り取ったり、何十年も前に言われていたことを思い出したりした人が「葬儀は古くさいマナーが多くて嫌な思いをする」とSNSで発信している場合もあります。確かに昭和の時代はまだ、「フォーマルな場では、女性は女性らしい装いをしましょう」といった風潮がありましたが、それが現代も続いているかのように指摘するわけです。

その一例が「礼服ではタイツ禁止」ですが、実際は当時から、寒い地方・地域では女性もパンツスーツを着用していましたし、タイツを着用している人もいました。

マナーには原則と運用があります。そして、「装い」は気候や気温に合わせないと成立しません。そのため、これは「全国的に守りましょう」というものではなく、当時は「伝統的な性差に沿った格好をするのが、相手を不快にさせない基準ですよ」程度の話だったのでしょう。寒ければ防寒するのは当たり前のことですから。

このようにSNSで話題になりたいがために、ありもしないマナーの話をしたり、今では少ないマナーの運用をさも、現代でもそのまま守らなければならないかのように表現したりすることもしばしば見受けられます。「こんな、おかしなマナーがあったよ」と盛り上がっていても、それは単に大衆心理によるものの可能性があるということは、SNSを利用する上で認識しておきたいところです。

運用で変わり得るもの

さて、マナーというものは「一定の集団で共有される、相手を不快にさせない行動様式」のことで、先例を尊重し、そこにいる構成員の立場の上下によって運用されるものです。

例えば、有名な例として「ヴィクトリア女王のフィンガーボウル」の話があります。ヴィクトリア女王が晩さん会に招待した客人が、本来は指を洗うために用意されたフィンガーボウルの水を飲んでしまい、「そんなものを飲むなんて」と周囲から失笑が起こる中、それを見た女王が「お客さまに恥をかかせてはいけない」という気遣いとユーモアから、自身もフィンガーボウルの水を飲んだところ、誰も笑わなくなった――というものです。

フィンガーボールの水を飲むという行為は、形式上ではマナーに反するかもしれません。しかし、晩さん会での最上位の立場は招き主である女王です。上位の立場の人がボールの水を飲むことによって、その場におけるマナーの運用が変わり、「マナー違反の笑い者」をつくらなかったという逸話です。

マナーはいつも、そこにいる「集団」によって運用されるものなので、あらゆる集団にとって「絶対的に正しい」といえるものはありません。集団が変われば、相対的な立場の者によって、割と自由に運用されるのです。

一方で、「マナーが決まっていた方が楽だ」という見方もあります。例えば、「瓶ビールを相手のグラスに注ぐときはラベルを上にする」と聞いたことがあると思います。これはキリン・三菱グループ(旧三菱財閥)、アサヒ・住友グループ(旧住友財閥)、サッポロ・芙蓉グループ(旧安田財閥)…というように、企業系列の接待の席では「あなたの会社に気を使っていますよ」と示す意味もあったのです。

この場合においては「ビールの銘柄を気にすること=マナー」だということです。実際、葬儀の現場でも「ビールの銘柄の指定はありますか」と確認をしていましたし、「大企業の葬儀時は特に気を付けなきゃだめだよ」と言われたものです。

お札の向きにまで「マナー」?

まだ、景気がよかった頃は、お客さんに顔をつなぐために新入社員をたくさんの接待の席に連れて回っていたことがあります。この頃、「得意先や顧客の前で失礼なことをしないように」とマナー研修が盛んに行われました。

研修の場で、マナー講師はさまざまなことを聞かれます。「香典袋に入れるお札の向きは上下どちらだ、裏表はどちらだ」などと聞かれるわけです。本来はどちらでも問題ないようなことも「どっちですか」と聞かれるので、お金をもらっている以上は答えなくてはいけないと思うのでしょう。「お札の人物の顔を伏せるようにしましょう。悲しみで顔が上げられませんという意味です」といった回答をすることもあるようです。

その説明に納得した人が、そうした入れ方をするのは自由です。ただ、現実的な話でいえば、香典袋のお金の向きはどちらでもいいのです。多くの場合、会計係の人が袋から抜き取るのですから、お札の向きがどうだったかなんて遺族には分かりません。仮に、自分たちの想定しているお札の向きではなかったからといって、「この人は失礼ね」と思う人がいるでしょうか。

繰り返しになりますが、マナーとは「一定の集団で共有される、相手を不快にさせない行動様式」であり、敬意をもって運用されるものです。原則と運用に基づき、場の状況や立場の相対的な上下に合わせた柔軟な対応が望ましく、極端に言えば、「絶対に正しいマナー」と呼べるものは存在しないということになります。

その集団での行動様式ですから、本来は付き合いの中で聞いて学び、尊重していくものです。マナー本やマナー講習で身に付くものはあくまでもガイドラインであり、目上の人を大切にし、先例を尊重する姿こそがマナーの本質といえます。人や状況を見て聞いて、学び、徐々に身に付けていくものだということを理解すれば、「マナーを学ぶことは人を学ぶこと」だということが分かっていただけるのではないかと筆者は思うのです。

佐藤葬祭社長 佐藤信顕

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