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【横澤夏子】芸能界に染まらないからこそ築けた独自のお笑いキャリア

  • 2021.8.6

何度か立ち止まって。ずーっとその繰り返し

――今日はお忙しいところありがとうございます。今、どんな感じで一日の仕事をされてるんですか?

「今は子供を保育園に預けてお迎えに行くまでの9時半から17時半まで働いています」

――横澤さんは、「自分がこう進んでいきたい」っていう意思をすごく持って、実際に歩んでいるイメージがあります。これまで芸人をやっていて、先がわからないと感じるときもありましたか?

「やっぱり何度か立ち止まることはありました。ずーっとその繰り返しです。人に影響されやすいので、友達が結婚したら自分もしたいってなるし、友達が家を建てたら自分も建てたいってなるし。というのも、地元の新潟は友達のライフステージの変化が早いんですよね。私はNSCに入って12年経ちましたが、友達はもう職場で新人の指導係をしたりしている。そういうのを見てひとり焦って、その都度、立ち止まってしまうんです」

――横澤さんは学生時代は委員長とか生徒会の会長とかをしてて、目立ってたり、みんなを率先していた、みたいなことも関係あるんですかね。

「ほんとに、しゃしゃり出たり、人前に出たりするのが好きだったんですね。いいことをしたり目立ったりしたら親に褒めてもらえるということを覚えて。やっぱり、卒業式で答辞を読めば褒めてくれるじゃないですか。私は褒めてもらうのがとても心地よかったんです。うちの親が先生だってこともあったので」

――思春期に、目立つことを躊躇するとかっていう人もいると思うんですが、そっちの方向にはいかなかったんですか?

「もちろんありました。こういう方向で目立ってたらモテないんだってことに中3で気づいて……。だから、高校では目立たないという意味での高校デビューをしようとしてたんですけど、中学時代に生徒会長をしてたってことがバレて、そうもいかなくなって。でも、もともとがそういうキャラなので、それはくずせなかったですね」

結果を残さないと地元には戻れないという背水の陣で

――芸人になろうというときには、もうそういう思いはふっきれてたんですか?

「ふっきれてはいたんですけど、地元の友達には、吉本の学校に行くってことは伝えてなくて、卒業式の日に伝えようって決めてたんです。でも、学校には進路が決まったら報告しないといけなくて、卒業生の進路先を書いた掲示板には『吉本芸能学院』って張り出されて。本当は『吉本ニュースタークリエイション(NSC)』なんですけど、そう書かれているよりはよかったかなって(笑)」

――ほかの大学名とかと比べると目立ってしまいますもんね。

「で、友達に離任式の日に吉本に行くことを伝えるんですけど、『えーーー』とは言ってくれるけど、そこまでチヤホヤされるとか、『サイン頂戴よ』なんてことはなくて普通な感じで。だから、何かしら結果を残さないと戻ってこられないなという、背水の陣っていう感覚はありましたね。それに、このSNSの時代、つながってるから、どんな風に過ごしてるのかはバレちゃいますからね」

――そういう意識も、芸人を頑張ろうという気持ちにつながるんですか?

「むしろ、NSCに入ってからも、ずっと地元の友達を傍に感じながら生きてきたんです。負けたくないというよりは、同じ話題を持っていたい。子供の話をしてたら私もしたいし、生命保険に入ったって聞いたら生命保険にも入らないとなって。遅れをとりたくないなっていつも思ってました」

地に足をつけていたほうが、ネタにリアルさが増す

――芸能界に入ったら、その業界の人に感化される人のほうが多そうなのに、横澤さんは逆なんですね。

「それが、同級生は芸能界にいるからって特別な目線で見てくれるってこともなくて、みんなもみんな、自分自身の道を自信を持って生きてるんですよね。だから、私が東京とか芸能界に染まっていることって、竜宮城にいるみたいだなって思えてきて。いつか竜宮城から地元に帰って玉手箱をあけたら、煙が出てきておばあちゃんになっていた……みたいなことになりそうだなと思ってるんです。自分だけ浮足立ってしまうのは、やばい感じがして、ちゃんとしなきゃって思ったんですよね」

――地に足をつけていたいということですかね。

「私のネタも身近な人たちのネタばかりだし、そうやって地に足をつけていたほうが、ネタにリアルさが増すだろうし、ちゃんと常識を持っている人でありたいんですよね。地元を離れて東京にいても、新潟の糸魚川の“ちゃんとした子”でありたいんです」

――そういう世界にいたら仕方ないのかもしれないけれど、スタッフさんが身の回りのことを全部してくれて、それに無自覚に甘えているような人にはなりたくないと。

「憧れていた世界ではあるけれど、私が見てきた地元の大人の人のようになりたいと思ってしまっていて」

幸せな人ほどネタになる

――逆に東京に出てきて、新たな感覚で憧れる人というのも現れましたか?

「それは現れました。やっぱり都会の女性にも憧れていたから。でも、そういう都会の女性も地元を大事にしながら人生を楽しんでいる人で。私、幸せな人ほどネタになると思ってるんですよ」

――それはどういうことですか?

「幸せな女性って、ちょっとウザいところがあるけれど、その人自身は人生を楽しく生きているから、他人からすると、ちょっとつっこみたくなるような言葉を言ってしまうんだろうなって思うことがあるんです」

――それはある気がしますね。うらやましくもあるし。

「例えば『恋愛はお休みしようかな』って言う人がいたら、『なにそれ?』って思うけど、それって、それまでにめちゃくちゃ恋愛をしてきているからこそ言えることなので。そこまで言えるくらい恋愛してみたいなって思ったり。そういうところから私のネタはきています」

――実際に友人とおしゃべりしているときに、「これはネタになる!」って思う瞬間とかもあるんですか?

「ありますね。そういう瞬間は楽しくて、『早く言いたい言いたい!』ってなったりとか。友達の中にも、会うと8ネタはできるなって子がいて(笑)。その子自身も『これもネタに使っていいよ』って自分から言ってくれるんだけど、そういうときは面白くなかったりするんです(笑)。だいたいは憧れの言葉がネタになっていて、反面教師でこういうことは言わないようにしないとなっていうネタもあったりします」

ピン芸人は効率的。けれど、誰にも助けてもらえない怖さがある

――そういうときはメモするほうですか?

「スケジュール帳に何があったと日記替わりに書いたり、携帯にメモしたりしてます」

――ピン芸人としては、どういう手順を踏んでネタができあがるんですか?

「たまに、InstagramのDMで『こういうことがあったんで、ネタにして成仏させてください』って言われることもありますよ。練習とかは、NSC時代だと、コンビの人って練習時間を合わせないといけないし、場所もカラオケ屋とかでお金も取られるし、その時間帯はバイトもできないしと考えると、ピン芸人って効率的だなって思ってました。渋谷駅で降りて劇場に向かうまでの間、電話をかけるふりをして、台詞を練習したりしていました。練習しないと、うまくいかなかったときのことを考えて怖くなるし、ピン芸人だからこそ、誰にも助けてもらえないので自分の出番の直前まで必死で練習してました」

――NSCに入ったときは、率先してネタ見せもしてたんですか? 以前、ぼる塾の田辺さんにネタ見せのエピソードを聞いたとき、なかなかピンでネタ見せするのも、勇気がいることなんだなと思いまして。

「私も、最初はめちゃくちゃ怖かったです。でも、NSCって一年間で40万円で、絶対元を取らないとって思って。一回目はネタ見せの応募をしてなかったんです。ネタの作り方もわからないし。でも、これでネタ見せで前に出ないと一生できない気がすると思って、一回目を除いて、全部エントリーしました。今でも、コンビっていいなと思う部分はあります。地方に行っても、一緒にご飯に行けるし、ふたりでいるって、ひとりでいるよりも青春って感じもするし。でも、逆に合理的なところもあって。結婚して産休とるとかってなると、相方にも報告しないといけないし。今は、ぼる塾が産休や育休をとりながらやっていますけれど、そういうときのことを一年目から考えて、ピン芸人になりました」

中編「これまでの自分を支えてくれたNSC15期と先輩たちの存在」は、8月9日公開予定です

横澤夏子
Profile
あるあるネタや物まねなど、一人コントを得意とするピン芸人。ベビーシッター資格、チャイルドマインダー資格も持っており、大宮ラクーンよしもと劇場の託児所でも活動。自身の婚活経験を記した『追い込み婚のすべて』を出版。現在、第二子を妊娠中。

取材・文/西森路代 撮影/山本佳代子

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