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オンライン葬儀は普及した?香典、生花、弔電…欠席でも義理果たせる行為は多い

  • 2021.8.2
オンライン葬儀が増えたというけど…
オンライン葬儀が増えたというけど…

葬祭業者のプレスリリースやマスコミの記事などで「コロナ禍でオンライン葬儀が人気(増えている)」といった表現をよく目にするようになりました。しかし、葬祭業に携わる筆者から見ると、実際はあまり普及しなかったと言わざるを得ないのではないのかと思います。

日本エンディングパートナーズ(東京都品川区)が500人を対象に実施した「オンラインやリモートによる葬儀」についての意識調査によると、99%の人が「実際にオンライン葬儀に参列したことはない」と答えており、「参列したことがある」人はわずか1%という結果が出ています。これは「普及した」とは言い難い数字でしょう。また、オンライン葬儀への参列について、全年代で70%以上が肯定的な回答をしていますが、高齢者層(60代以上)に限定すると64%が否定的な回答だったそうです。

「新しい様式」「ニュース性のあるもの」としてメディアに取り上げられてきたものの、実際には普及したとは言い難く、葬儀の支出を決めるメインの年代である高齢者層にはあまり支持が広がらなかった――。オンライン葬儀を取り巻くこうした状況が調査結果からみて取れます。

一方、新型コロナウイルスワクチンの接種も進み、9月末から11月ごろまでには国民の一定比率が2回目の接種を終えるといわれています。接種比率が進んだ国では、マスクの着用義務や葬儀などの集会を含む人数制限を段階的に撤廃している例も見受けられます。

日本でも、ワクチンの接種が順調に進めば、葬儀などの集会の人数制限や移動の制限などが順番に撤廃されることになるでしょう。そうしたときに、オンライン葬儀は「ゼロ」になるとはいいませんが、実施している業者は引き続き行っていくでしょうし、「やろうと思えばできる」程度まで縮小するのではないかと思うのが、筆者の素直な予測です。

香典、生花、供物…

さて、コロナ禍で人の移動や葬儀への出席人数が制限される前から、実は、葬儀には出席できない状況に対するセーフティーネットが多重にあったということを話しておこうと思います。葬儀はもともと、仕事や健康上の問題、そして、個人的理由などで出席できないケースが数多く存在していました。その際、出席した人と同列に、もしくは準ずるものとみなす仕組みが従来の葬儀には備わっています。

代表的なものの一つは「香典」です。「葬儀には出席できないけれど、せめて、お香典ぐらいは渡したい」と代理の人に預けたり、郵送したりする形は古くから行われています。記帳のやり方にも、代理人が出たときには「代○○」と書くマナーが一部に存在することからも、代理人の出席を認めているのは明らかです。

遠方の親戚が「さすがに行けないから」という高齢の親戚の香典をいくつか預かってくることも珍しくありません。このように、香典には「渡す」ことによって弔意を表し、出席に準ずるものとする仕組みがあるのです。

2つ目は「生花・供物」です。生花を出すことも出席に並び、もしくは準じて弔意を表すものとなっています。近しい親戚や仲のよかった知人、仕事で関係のある人や関係性の深い人が生花を出すケースもあります。葬儀に出席できなかったとしても、「わざわざ生花まで出してもらって」と遺族はありがたい気持ちになるものです。

そして、3つ目は「弔電」です。これも、出席できないときに弔意を表すものとして使われてきました。葬儀では、遺体の管理の関係で時間的に余裕がないケースもあり、地方では亡くなったその日に通夜を行うことがあります。そうした際に、出席の代わりとまではいきませんが、やはり、出席に準じて弔意を表すものとして弔電を打つ人も多いです。弔電は金銭的な負担も少なく、香典や生花まではいかなくとも、弔意を表せる方法として優れた部分があります。

以上のように、葬儀に出席できないときは香典、生花、弔電という3つのセーフティーネットが出席、もしくはそれに準ずるものとして重要な役割を担ってきました。いわば、葬儀での「義理」を果たしてきた存在ともいえます。

「義理」というと「形式だけのもの」などと思われることもありますが、義理という言葉は本来、人として守るべき正しい道、道理という意味です。お世話になった人の死や共に過ごした仲間の死に際し、「何もしないというわけにはいかない」という、人としての優しさが感じられる行為のことを「義理堅い」というのです。本来の義理の意味は人の道理に外れない、温かいものだといえます。

オンラインでなくとも…

オンライン葬儀に注目が集まると、葬祭業者は式典全般の中継にかじを切りました。それに付随するように、IT系の会社も「香典がクレジットカードで決済できる」「オンラインで記帳できる」「遺族へのメッセージがオンラインで送れる」といったサービスを拡充する形で、オンライン葬儀のパッケージ化に進みました。しかし、実際の現場の肌感覚としては、オンライン葬儀の生中継を望む人は「いないことはない」程度です。

本来はタブーとされていた死に顔の撮影をコロナ下での“特例”として行い、画像や映像を送ったり、SNSのライブ中継機能を使って、海外に住む孫に故人との別れのひとときを過ごしてもらったり、家族の中の「撮影係」が写真をたくさん撮り、参列できない親族に送ってあげたり…。撮影や葬儀の生中継はプライバシーの観点の他、撮影されていることやカメラを向けられていること自体にプレッシャーを感じる人もいて、あまり好まない層もいたのが現実だと思います。

先述したように、参列できないときにも「亡くなった」事実を共有するため、以前から、写真や手紙などのさまざまな方法が遺族の思いによって選択されてきました。出席ができなくても義理を果たすことができる、香典、生花、弔電といった基本ツールの存在も非常に大きかったと思います。

オンライン葬儀における約1年半の顛末(てんまつ)を通して感じたことは「新しいものがよく、古いものはだめ」という価値観自体が旧態依然としたものではないかということです。「永遠の別れ」という、いつの時代にも起こること、そして、何百年に1度の疫病のまん延という緊急事態であってもやらなければならないこと、そして、続けていかなければならない大切な事柄においては、対話をして、「本当にやるべきことは何なのか」を丁寧に聞き取り、話をすべきではないでしょうか。

オンライン葬儀が是か非かの前に、感染症のまん延を防止するため、今までのように葬儀への出席ができなくなったこの状況下でも、その代わりとなる行為は無数にあり、個々の遺族に提案して話し合い、適切なものを選ぶ必要があるということです。葬儀業者の本分である「遺族の意向をよく聞き、尊重できたか」が問われていると思います。

佐藤葬祭社長 佐藤信顕

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