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お台場「パレットタウン」営業終了へ 開業30年、激動の歴史を振り返る

  • 2021.7.24
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先日、お台場のパレットタウンが営業を終了することが発表されました。今回は「お台場の顔」として知られた同施設の歴史について、20世紀研究家の星野正子さんが解説します。

2021年12月から順次営業を終了

1993(平成5)年3月の開業以来、「お台場の顔」となってきた複合施設のパレットタウン(江東区青海)が、2021年12月から順次営業を終了することが先日発表され、大きな話題になりました。

パレットタウンの敷地内には大観覧車を始め、商業施設のヴィーナスフォートやライブ会場のZepp Tokyoなどがあります。終了の理由は、お台場の開発計画が進展したことによるもので、2025年には1万人規模のスポーツやコンサートが行われるアリーナが完成する予定です。

開業当時のパレットタウンはお台場の「希望の星」でもありました。なぜなら、お台場は湾岸の都市開発で整備が進んだものの、その発展には苦難が伴っていたからです。

開発の総事業費は約500億円

都市開発の起爆剤となる予定だった1996(平成8)年の世界都市博覧会ですが、前年に同博覧会の開催中止を掲げて当選した青島幸男都知事が公約を守り、中止を決定。それ自体は評価されましたが、湾岸の開発はストップし、広大な空き地ばかりになってしまいました。

パレットタウン内にあるヴィーナスフォート(画像:(C)Google)

そんななか、森ビル(港区六本木)、三井物産(千代田区大手町)、トヨタ自動車(愛知県豊田市)などが、当時の臨海副都心のST街区(東京都江東区青海一丁目地先)だった都有地の事業用借地権を取得して開発に乗り出したのが、パレットタウンだったのです。

参加企業で構成されるパレットタウン運営協議会の下、共同開発された敷地面積は7万2832平方メートル(東京ドーム1.6個分)で、総事業費は約500億円でした。

不況の時代にあって、これは久々に期待できるビッグプロジェクトで、開業時点のテナントは約160店舗。イタリアやフランスのクラシカルな街並みをイメージしたテーマ型ショッピングモールは日本初でした。

またZepp Tokyoはライブハウスとして世界最大級で、直径100m、高さ地上115mの大観覧車も同様。

トヨタによる自動車のテーマパーク・MEGA WEBや、世界初のアトラクションが設置されたエンターテインメント施設のネオジオワールドなど、お台場を一気に観光名所にする要素がめじろ押しでした。

宇多田ヒカルの伝説ライブも開催

こうして1999(平成11)年3月19日に開業したパレットタウンは、大勢の人が早速詰めかける街となります。

そんな街が一躍熱くなったのは4月2日のこと。Zepp Tokyoで宇多田ヒカルのファーストライブが開催されたのです。宇多田がシングル「Automatic/time will tell」デビューしたのは1998年12月、で、3月にはファーストアルバム『First Love』が爆発的な売り上げを記録していました。

パレットタウン内にある大観覧車(画像:写真AC)

そんな熱狂のなかで開催されたライブは、ラジオ番組を通じた抽選招待制でした。ネプチューンのコントに続いて登場した宇多田はハーフコートを脱ぎ捨て、ノースリーブに黒いショートパンツ姿でのっけから全開で熱唱。その姿を見た人は、今でもその感動をまるで昨日のことのように語ります。その後、パレットタウンは東京のみならず、日本全国で最も注目されるエリアになっていきました。

この記事を書くにあたり、さまざまな資料に目を通しましたが、開業から数年間はほぼ毎日、新聞・雑誌にパレットタウンの記事が掲載されていたことに少々驚きました。

パレットタウンのある江東区青海はそれまで目立った施設もなく、フジテレビ(港区台場)やお台場海浜公園のにぎわいとは対称的に、駅があるにもかかわらず、誰も人はいませんでした。

その風景は一変し、開業5か月後の8月末には入場者数が既に700万人台に到達。休日の昼過ぎともなると、敷地内にある商業施設・サンウォーク周辺は、百貨店のバーゲンセール並みの混雑ぶりで、消費低迷を吹き飛ばすような活力を全国に放っていました。

こうしてお台場の顔となったパレットタウンですが、2009年に「観覧車がなくなる」といううわさが駆け巡ります。それには理由がありました。

東京都は土地の賃貸契約を10年の期間限定としていたため、2010年に期限が切れた後、事業者は更地にして土地を返却しなければならなかったのです。つまり、パレットタウンはもともと2010年で終了予定だったのです。

世界的な金融危機が施設を延命した

当初の予定をベースに、東京都は2008(平成20)年、土地を森ビルとトヨタ自動車に売却、新たに地上23階建てのビルを建てオフィスやホテルなどの施設を設置する計画を進めます。

ところが2009年、世界的な金融危機で経済環境が激変したため、両社は計画を見直し、パレットタウンを当面続行することを決定。東京都も「現施設もにぎわっている。より良い計画を作る間、継続してもらう方がよい」と、この方針を支持しました。

こうしてリニューアルを経ながら、パレットタウンは当初予定の倍以上の期間を営業し、お台場の顔となったのでした。

パレットタウンの全景(画像:国土地理院)

この20年あまりの間で、パレットタウンのある青海の風景も大きく変わりました。2011年頃から要望されていた、東京ビッグサイトの補完施設の誘致は東京五輪を契機に青海展示棟として実現しました。

2020年9月には、東京国際クルーズターミナルも開業し、にぎわいのエリアはどんどん広がっています。

多くの人が思い出を作ったであろうパレットタウン。次はどんな施設が集まるエリアになるのか、これからも目が離せません。

星野正子(20世紀研究家)

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