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家入レオ「言葉は目に見えないファッション」vol.33 音のしない手

  • 2021.7.23
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クォーター・ライフ・クライシス。それは、人生の4分の1を過ぎた20代後半〜30代前半のころに訪れがちな、幸福の低迷期を表す言葉だ。26歳の家入レオさんもそれを実感し、揺らいでいる。「自分をごまかさないで、正直に生きたい」家入さん自身が今感じる心の内面を丁寧にすくった連載エッセイ。前回は vol.32 花を贈りたい人

vol.33 音のしない手

パチッ、パチパチッ。左手の親指から人差し指、中指、薬指、小指…順番に爪を切っていく。ゴミ箱の縁で爪切りを軽く叩くと、ついさっきまで私の一部だったはずのものがパラパラと底の方に落ちていった。本当は昨日の夜、ギターを弾きながら爪を切りたいと思った。だけど、夜爪を切ると親の死に目に会えないと言われて育った私はなんとなくその教えを今でも守っていて、だからこうして起き抜けの頭で朝からぼんやり爪を切っているのだった。

そう言えば…と昔仲が良かった友達とここでは決して書けないようなバカ話をした日のことを思い出した。ひと盛り上がりもふた盛り上がりもして、お腹を抱えてゲラゲラ笑い、喉が乾いた私は水を飲もうとテーブルの上にあるはずのグラスを探した。だけど私の目がとらえたのは透明なグラスではなく彼のほっそりした静かな手だった。手に静けさを感じたのは生まれてはじめてのことだったので私は混乱した。唇の端を歪めながら笑う俗っぽい感じの彼と今自分の目の前にある綺麗な手が結びつかない。その視線を違う角度で感じ取ったらしい彼が「俺、爪切った後のスースーする感じが苦手で」と伸びた爪を宙にひらひらさせた。彼の声色がいつも通り正しい形で私の耳に届いて、そのことに少なからずほっとした私は、スースーする感じがよく分かりもしないのに、とりあえず「分かるー」と同調しておいたのだった。

パチッパチッ。もう何百回何千回と繰り返して来た動作なのに切り終わった右手の爪は四角く不格好で。利き手じゃない左手で切ったことを差し引いても私が不器用であることは明白だった。「まぁこれも味ってもんでしょうよ」と心の中で呟いてから、あの日の彼を真似て手を宙でひらひらさせてみた。夏の朝は忘れていたことも忘れていたようなことを思い出したりするから面白いと思った。

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