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友人の結婚を約7割が喜べないと答える時代の理想の結婚

  • 2021.7.15
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好感度の高い結婚、低い結婚。一方に人の心を癒やす結婚があった

友人や同僚の結婚を心から喜べない、それを密かに悩んでいる人がいるとの説があり、そもそもそういう人って何割くらいいるのだろうと、いくつかのアンケートを掘り返してみた。どのアンケートからも大体同じような結果が浮かび上がり、心からは喜べないと答える人は、約4割。逆に、どんな場合でも喜べると答えた人は、3割強。残りの3割弱は?といえば、「複雑」とか、「相手による」とか、「寂しい気持ち」とか、明快な答えを避け、言葉を濁した形だが、要は手放しに喜びはしない人たちだ。もちろんケースバイケースだろうが、喜べない人は何だかんだ7割近い。その中には「自分は何と意地が悪いのだろう」と、自分を責めたり嫌いになったりする人もいる。人の結婚を喜ぶのが人間……とくに女性は、それがまるで地球の法則であるかのように喜びの感情を強要されてきた気さえする。でももし本当に7割近い人が心から喜べないというのなら、そもそも法則の方が間違っていたと考えることもできる。厳密に言うならば、人の結婚は“祝福する”もの、心の底からは喜べなくても、祝福はできるはず。笑顔でおめでとうと言えれば、それで充分なのだから。

逆に言えば、幸せを心から願える相手だけが“真実の友”である証。またとくに親しくなくても“天使のような人”の幸せならば、心から願えるのが人間だ。そしてごく稀にだが、ほとんどの人を喜ばせる結婚も存在する。いや厳密に言えば、人々をホッとさせる癒やしのような結婚が存在するのだ。それが異例の話題を集めた「逃げ恥婚」だった、ということ。

まず好感度の良い結婚に共通するのは、打算がない、浮ついていない、思いつき感がない、そして結婚をアピールしない。要するに嘘臭さが一つもないこと。もちろん結婚式や記者会見など不要とは言わないが、概ねひっそり結婚する大物カップルの方が評価は良い。自分たちの結婚に大はしゃぎするカップルはあんまり見たくないし、どういうわけか、結婚式や結婚時のアピールが強烈だったカップルほど、破局や不倫などの結果を招くケースが多いことも、世間はよく知っているのだ。派手な結婚式とその後に訪れる結婚生活のギャップに、あらかじめ気づいていない危険をも。

結婚というものに対して人々は、なぜかとりわけ強い道徳心や正義感を持っていて、自分の結婚は棚に上げても、他人の結婚には非の打ち所のない正しさを問う。長続きする堅実な結婚生活を求めるのだ。だからこそ、まずは二人の人柄が際立って良く、誰からも悪口を言われない、誰の悪口も言わないような人たちでないと、正しい結婚と認めない、まさに意地悪なくらいのシビアさがある。そういう意味で「逃げ恥」カップルは、確かに理想的な堅実さをお互い持ち合わせているように見える。もちろんドラマの筋書きを勝手にダブらせているからに他ならないが、そこへさらに新垣結衣の清潔感と、星野源の才能が加わるから、正しさ印象はさらに強固なものとなってくる。そうなのだ。世間は“派手めの美人”を妻に選ぶ男と、“大金持ちの男”を夫とする女をあまり信用しない。でも、「清潔感」や「才能」が宿った男女には、いかにパーフェクトなビッグカップルであっても、そこに結婚における究極の正しさを見い出してしまうのである。

人は普通、結婚によって少なからずイメージが変わる。誰とどんな結婚をするかに価値観をそっくり露呈してしまうから。まるで家の中まで覗き込まれるように。そういう意味で昨今一番イメージが変わってしまったのが、芸能人でもないのに小泉進次郎。結婚とはつくづく異なもので、見事にお似合いなカップルでさえイメージが激変してしまうのだ。一方、組み合わせはビックリさせられたものの、どちらもイメージアップを果たしたのが蒼井優×山里亮太であり、夏目三久×有吉弘行。まさに男と女は、組み合わせてみないとわからない化学反応によって、それぞれのイメージを塗り替えるようである。ただ今回の、新垣×星野組は、まったくイメージが変わることがなかった。しかも二人の好感度はさらにアップ。そのくらい二人が演じた奇妙な男女関係は、意外にも本気の支持を得て、現実とドラマとが混同しながら、この世の理想になり始めている。奇しくも今、恋愛は面倒だし傷つくのが怖いという人も、結婚だけはきちんとしたいと思っている時代。設定は奇想天外ながら、結果として理想的な形を示したということなのだ。

「低刺激な時間」から生まれた分を浄化する清らかな結婚

結婚報告コメントで、新垣結衣は「現場で試行錯誤する日々はそれはそれは刺激的な毎日で、いつしかその分、私生活は“低刺激な時間”を求め心がけ過ごしてまいりました。そんな私が、皆様に私生活についてこのような報告をする日が来るとは」と綴り、とくに“低刺激な時間”という表現は、物静かで禁欲的な生活の中で丁寧に育まれていった関係であることをほのめかした。まるで昭和初期の結婚のようだが、昭和初期の人々も驚いたに違いない逃げ恥婚を、なおさらダブらせることになる。家政婦と雇い主の契約結婚がやがて愛を育んでいくという不思議な男女関係。肉食的な匂いをまったくさせず、不器用なまでに敬語で話し合う家庭生活が、現代人を何だか知らないがホッとさせ、心から癒やしたのである。

もちろん実際二人がどんな関係であるかはまったく定かではなく、かなり前から同じマンションの別の部屋に住んでいたという説もありながら、これほどドラマの役柄と切り離しにくいタイプのカップルはない。だから歴史上これほど清潔な結婚もなく、世の中を浄化したのだ。

隠されていたセクハラやモラハラが次々糾弾され、またジェンダーフリーの急速な潮流によって、男女の差がどんどんなくなっていく今、何かこういう禁欲的な結婚がしたいと思う人も、またそういう結婚が世の中に増えたらいいと思う人も、にわかに増えているのだろう。

自らを浄化する清潔な結婚、ひょっとすると今後はこれが一つのテーマとなるかもしれない。マッチングアプリでもこうした関係づくりはあり得るし、独身を通してきた人が歳を重ねてから、自然に敬語を使う清潔な結婚へ向かっていく流れもありそうだ。一生涯独身を決め込んだのは、女性より男性の方が多いわけだが、そういう男たちもこんな結婚ならば恐る恐るでもできると思うのかもしれない。なんだか家庭の中でもこういう関係を保てたら、心が荒れず、家庭も平和であり続けるのではないかと。

いや既婚者も、結婚ってやっぱりいいものだなと、しみじみ思わされたはずだ。
結婚に関心を失っていた人も、諦めていた人も、婚活バリバリの人も、ちょっと立ち止まって何か改めて結婚というものを考えさせられたのではないだろうか。お互い敬語を使い、遠慮もいっぱい、丁寧に丁寧に、息が止まるほど丁寧に相手に近づいていって、全身全霊で相手を理解し、そして結ばれていく。何かそういう清らかで全身全霊の結婚っていいなと。こういう人間関係を完全に忘れていたと。今までギスギスしていた夫婦さえ、彼らを見るとふとやり直そうと思ったりするほど。いやホント。こういう結婚が増えていったら人の心は自ずと浄化され、世の中の人間関係も穏やかになり、平和な低刺激な日々がもたらされるのではないかと。今時ちょっと不注意に言葉を吐けば、たちまち四方八方から糾弾される殺伐とした世の中で、だからこそ、逆に家の中はこのぐらい清らかなのが良いという発想なのである。

こういう結婚なら誰もが祝福してくれる。そしてこういう結婚をしたら、穏やかな幸せがしみじみと広がって、逆にどんな人のどんな結婚も祝福してあげられる。自分を不幸にしない、意地悪にもしない鍵として、それは明らかに新しい生き方のヒント。二人の結婚はそれをリアルな未来として見せてくれたのである。

齋藤薫

撮影/戸田嘉昭 スタイリング/細田宏美 構成/寺田奈巳

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