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シャラ ラジマ「オフレコの物語」vol.2 身に染みていく装い。後編

  • 2021.7.7

バングラデシュにルーツを持つ、シャララジマさん。見た目で容易に規定されることなく、ボーダレスな存在でありたいと、髪を金髪に染め、カラーコンタクトをつけてモデル活動をしている。“常識”を鵜呑みにしない彼女のアンテナにひっかかった日々のあれこれをつづった連載エッセイ。

前回記事「身に染みていく装い。前編」はこちら

仕事で得たファッションへの感覚をプライベートでどう生かすかを考えた時、自分の好きなものを詰め込み、表現することができると知った。「おしゃれをする」という考えからはじめるよりも、「好きなものを詰め込む」という考え方のほうが私には抵抗なく入ってきた。ファッションを通して古着を好きになっていた私は、資金的にもその多様性的にも試すことが可能だったので基本的に古着を纏うようになった。そして自分が好きなシルエットや色味を探究していった結果、60年代の様式にたどり着いた。

歴史、音楽、映画から哲学まで全てが転換期である60年代は私の大好きな時代で、そんな時代の様式を纏えたらどれほど素敵だろうと思ってそういうシルエットや色使いのものを纏うようになった。特に映画やその頃のライブ映像は視覚的にイメージがしやすく、よく参考にしている。映画の登場人物が気に入って、彼が着ているジャケットや彼女がしている髪型を真似ていった。ライブで若者がしている着こなし方を取り入れた。ちなみに直近の冬は、当時のミック・ジャガーの彼女だったマリアンヌが着ていたコートを参考にして、茶色のフェイクファーばかり着ていてた。ファーはおしゃれな上に、あたたかい正義のアウターだ。

ビームスで買ったフェイクファーのコート。

当たり前だが、60年代という時代に、年齢的にも地理的にも存在することができない自分がそんな格好をしていくことは、私をSF的な気持ちにさせた。私の場合、自分の髪、肌、眼の色使いに対してメタリックな色使いのものやメッシュなどの異素材を組み合わせたり、ぴったりしたトップスに、『ガタカ』というSF映画の中のユマ・サーマンの髪型を真似てピタッと纏めてみたりしてみると、近未来のムードが足される。自分がコンセプトを持って作り上げた容姿が「異星人」に見えることも手伝って、このようなSF的な要素を掛け合わせることはとてもオリジナリティがあって、私の好きなものとイメージを混じり合わせたものが出来た。これこそ私のコンセプトに通ずる時代と地域と人種を交差するような、不思議なイメージを成立させるものになればいいなと思って洋服を纏っていった。

ロンドンやベルリンのクラブに行ったとき、週末などの人気のクラブには凄く寒い中で何時間も並ばないと入れないことがよくある。寒い中でも耐えられるよう、みんなモコモコの厚着をして待つ。しかしひとまず中に入り、一番温かい上着を脱げば、皆びっくりするほど薄手の格好をしており、それこそほとんど裸同然のような服装の人もたくさんいた。そのクラブに何千もの人が入ったとしても、全ての客の分厚い上着が入るようなクロークのための広い空間が用意されている。厚手のアウターを脱げばお洒落なクラブ用の洋服になるという若者の流れと行動も含めてクラブ側はわかっていて、利便性のための上着を脱ぐと中では「自分のアティチュードを示すための格好」をするという構造がそこには存在していた。全員が違う服を着てるはずなのに、なぜか一つの方向に向かっているように感じられた。

クラブという空間は普通のアーティストがライブをする場所とは違い、その日のパーティーに合わせてDJが爆音で音楽をかけている。使われなくなった廃墟を利用し、照明も音楽も、そしてそこにいるお客さんのアティチュードも、その人たちが着ている洋服も全てが一体となって一つの空間を作り上げていて、その空間はどの要素が欠けていてもうまく成立しない。彼らの生き様としてのファッションがまざまざと活きていて、全てが渾然一体となっている様というのはまさに文化を形成しているのを見て感じ取れるし、匂いでわかるような状態がそこにはあった。

私はそんな自由自在な服装をしている空間を初めて見た時、プライベートで懇意にしていただいている〈ジョン ローレンス サリバン〉のデザイナーである柳川荒士さんが話していたことを思い出した。彼はこの服が似合うから着る、着られるから着るんじゃなくて、この服を着たい!着たいから着る、と思わせるような服を作りたいと言っていて、その洋服も考え方も含め、強くありたいと思っていた私の心に色濃く印象に残っていた。その頃まだパンクという文脈を知らないままに、なにかとパンクな精神を持っている女だった私に、その考え方とこのクラブの空間が妙にリンクして深く響いた。

様々な文化を見て、経験を通して多角的な視点から体感して選び抜いた洋服は、古着であれ、ブランドものであれ、組み合わせることで、思想を込めて愛を通わせることで少しずつ自分自身のものになっていった。

どんな洋服を着るかはその人の年齢やその所属によって様々だ。利便性や機能性を重視した社会的な理由や自分の文化的なジャンルを表すための手段だったりするかもしれない。GINZAの読者はそもそも洋服が好きで、抵抗なく様々な装いをできる人が多いだろう。しかし私のようにもともとは洋服やおしゃれという概念に疎かった人もいるかもしれない。一概に「おしゃれ」というワードや洋服に親しみがない人でも、別の入り口から入ることができる。それは誰かのためのおしゃれでもなく、むしろおしゃれかどうかの判断を要求しないような方法だってある。洋服をその洋服のブランドとして纏うだけでなく、そこに自分の思想も組み込んでみるのはどうだろうか。好きなものをどうして好きか、全て事細かに説明できるわけではないが、言葉では表せないけど惹きつけられるもの、自分と同じ文脈にないけど好きなものをたまには纏ってみると新しい世界が見えることもある。

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