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「いとみち」横浜聡子監督が思う人生の不安定さ「大事なのは、不確かなものを受け入れること」

  • 2021.6.23
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津軽弁なまり 文字で見る新鮮さがあった

――原作は越谷オサムさんの小説『いとみち』(新潮社)。どのような経緯で映画化することになったのですか。

横浜聡子さん: 2017年の秋ごろにプロデューサーの松村龍一さんからお話をいただきました。その時は「原作を読んでから決めます」とお返事して、半年後に再度連絡を受けて、「やります」とお返事しました。
原作も映画も、舞台は青森県。私は青森市出身なので、知っている街が出てくる面白さがありました。読みながら、「ここの描写は青森のあそこだな」と、頭の中で具体的にイメージができて。脳内の映像と越谷さんの文章がどんどんと結びついていく、他の小説では感じられない楽しみがあったんです。
津軽弁をしゃべる主人公も、物語の見どころ。私も高校まで津軽弁を使う地域で育ったし、青森に帰ると今でも津軽弁で話すので、割と身近な言葉なんですね。ただ、“なまり”を文字で見るのは、新鮮な体験。「津軽弁って客観的に、こんな風に見えるんだ」という発見があり、ユーモアを感じました。

(C)2021『いとみち』製作委員会

――映画にすると、どんなことが描けそうだと思いましたか。

横浜: 主人公は16歳の少女。成長中であり、社会に出る前。他人とコミュニケーションをうまく取れないことに対する“何か”を感じている。どこか動物的でもあり、まだ自由がある――そんな姿を、描けたらいいなと思いました。
私は、世の中の常識や規範に染まり切っていない“人間の不安定なところ”が、すごく好きなんです。今までつくった作品も、そういう主人公が多かった。2009年につくった映画「ウルトラミラクルラブストーリー」も、普通の人がスムーズにできるコミュニケーションができなかったり、人に迷惑をかけてしまったりして、社会性が薄いタイプの主人公でした。

――“人間の不安定なところ”というのは、ご自身の中にもあるのでしょうか。

横浜: コミュニケーションが上手じゃないところは、いと、と同じです。
特に若い時は、友達がいないわけではないけど自分に自信がなかった。大人に対する恐怖心があって、しゃべるのがすごく苦手でした。だから、いとに自分を見いだしたし、10代の頃の自分を見ているような感覚がありましたね。私の性格は今も変わらないので、いとの心の痛みがすごく分かるし、いとの問題を自分のことのように思えました。

朝日新聞telling,(テリング)

メイドカフェ、「自分がどうしたいか」を自由に発信できる場所

――いとが働き始めたメイドカフェには、シングルマザーの幸子(黒川芽以)と、漫画家を目指している智美(横田真悠)がいます。悩みを抱えつつも、前向きな姿が印象的でした。

横浜: 女性しか接客ができなかったり、「もえもえきゅん」っていう独特な言葉が出てきたり……メイドカフェって特殊な場所ですよね。お客さんに男性が多いから“性差”が比較的、強調されやすい。
「今の時代になぜ、メイドカフェを舞台にする意味」を考えた時に、“性別の差が強調されるような場所”ではなく、“女性が女性としてそのままの状態でいられる場所”であるように描こうと思いました。一人の人間としていきいきと過ごせる場であればいいな、と。

(C)2021『いとみち』製作委員会

――トゲトゲがついた袖や長いスカート丈など、制服も独特でした。

横浜: リンゴってバラ科で、トゲがあるんですよ。スタイリストの藪野麻矢さんが、そこからインスピレーションを受けて、考えてくれました。自尊心というか自立心みたいなものを持っている“自分の権利を主張する女性像”を、この制服で表現しようと考えたんでしょうね。
スカート丈については、難しいですね……ミニスカートでも何でも、自分が好きな格好をすればいいじゃないですか。露出が多いのを気にしている方が、逆に男性を意識していることになるわけで。でも短いスカートを履いたら、変な視線を受けるかもしれない。
実は同僚の智美は、自分でスカート丈を短く直しているんです。「自由にアレンジしていいよ」というのが、このメイドカフェのスタンスでもあります。短いのが好きな子は短いのを、そうじゃない子は長いのを履けばいい。「人にどう見られるか」よりも「自分がどうしたいか」を、みんなが自由に発信できる場所だったらいいな、という願いを込めました。

朝日新聞telling,(テリング)

人生の不確かさ 生まれてからずっと感じてた

――ある事件をきっかけに閉店の危機に直面するメイドカフェ。「みんな不確かだ。生きるってそういうことだべ」という、お客さんの言葉が印象的でした。

横浜: 昨年、家でシナリオを直している時、コロナの時代に撮る映画だという自覚が出てきていました。
「人生って不安定」と前から思っていたけど、コロナがあって、より明確になった実感があったんです。明日仕事がなくなるかもしれないし、もしかしたら死ぬかもしれないですよね。「人間、いつどうなるか分からない」ということが、はっきりした。だったら、不確かなものに抵抗するよりも、まずは受け入れることが大事なんじゃないか。そう考えて原作になかった言葉を入れました。

――コロナ禍で、ご自身も感じることがあったのですか。

横浜: 自分がいつ、どうなるか分からないっていうのは、生まれてからずっと感じています。映画監督って会社員じゃないから。雇用保険もなければ退職金だって出ないし、子どもを産んでも制度としての育児休暇もないですからね……。

朝日新聞telling,(テリング)

人と比べてしまっても“好きなことをやっている”感覚はある

――横浜さんは神奈川の大学を卒業し、会社員として1年間働いた後、映像の専門学校に行かれたそうですね。

横浜: 大学を卒業した後、アミューズメント系の会社に就職しました。店舗の売り子をやったり、本社で人事の仕事をしたりしました。
もともと映像系の仕事がしたくて、就活で制作会社をたくさん受けたけど、全部落ちてしまったんです。受かったアミューズメント系の会社に行きましたが、やっぱり映像をやりたくて。働きながら映画を見る中で「どうやってつくっているんだろう」という興味が尽きませんでした。会社を辞めて、映画学校に行くことを決断。そこから2年間、撮影や録音の方法、脚本の書き方などを学びました。在学中に自分が監督の映画をつくる体験もして。それが始まりですね。

――映像の世界は才能が求められるようなイメージがあります。会社員を辞めて飛び込むのは、怖くなかったですか。

横浜: 当時は今と違って、フリーターという立場がもう少し幅を効かせていたというか。正社員じゃなくても生きていけるような感じが、世の中的にもあったように思います。私もまだ若かったので「バイトでいいじゃん」って気持ちもあって。バイトをしながら、やりたいことをやる時間を調整して……決して安定していないし、お金持ちにもなれないけど、最低限の生活ができればよかった。貧乏なのが割と平気なタイプなんですよね。
青森にいる親からは「いつになったらちゃんと就職するんだ」って長年言われてきたけど、一切聞かずに映画をつくってきました。とりわけ才能があったわけでもなく、ただ続けてきた。それだけです。

朝日新聞telling,(テリング)

――様々な決断について、今どう感じますか。

横浜: 「学校の先生になりたかったな」とか、今でもたまに思いますし、本当に色々ですね。同年代の友達は、新築の家を建てたり、子どもがいっぱいいたりして、「なんで私はそういう人生じゃないんだろう」と考えることもあります。私が住んでるのは賃貸だし。
でも、映画を撮るという“好きなこと”をやっている感覚はある。それだけで、「自分の人生はいい」と言えるんじゃないか。そう考えて、自らを納得させようとしています。もちろん気持ちが揺らぐことは、いっぱいありますよ。人と比べちゃいますからね、人間ってどうしても。

――最後に20~30代のtelling,読者へメッセージをください。

横浜: どんな選択をしても「これでよかったのかな」って揺らぐことはあると思う。でも自分の好きなことをやるのが一番いいですよ。「自分が楽しい」が一番大事で、みんながそうしていれば、世の中がよくなるんだと思います。

●横浜聡子さんのプロフィール
1978年、青森県生まれ。映画学校の卒業制作で手がけた短編映画「ちえみちゃんとこっくんぱっちょ」が、2006年CO2オープンコンペ部門最優秀賞を受賞。商業映画のデビュー作となった09年の「ウルトラミラクルラブストーリー」は、TAMA CINEMA FORUM最優秀作品賞、主演の松山ケンイチさんは第64回毎日映画コンクール男優主演賞を受賞するなどした。代表作に映画「りんごのうかの少女」(13年)、「俳優 亀岡拓次」(16年)、ドラマ「バイプレイヤーズ ~もしも6人の名脇役がシェアハウスで暮らしたら~」(17年、テレ東系)などがある。

■奥 令のプロフィール
1989年、東京生まれ。不登校・高校中退から高卒認定を取得し大学へ。新聞の記者・編集者を経て、2020年3月からtelling,編集部。好きなものは花、猫、美容、散歩、ランニング、料理。

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