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「私、夫と別れたいんです」 30代女性の感情が爆発、早過ぎた結婚の代償とは【連載】東京タクシー雑記録(12)

  • 2021.6.20
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タクシーの車内で乗客がつぶやく問わず語りは、まさに喜怒哀楽の人間模様。フリーライター、タクシー運転手の顔を持つ橋本英男さんが、乗客から聞いた奇妙きてれつな話の数々を紹介します。

乗客の悩み相談、運転手の思いとは

フリーライターをやりながら東京でタクシーのハンドルを握り、はや幾年。小さな空間で語られる乗客たちの問わず語りは、時に聞き手の想像を絶します。自慢話に嘆き節、ぼやき節、過去の告白、ささやかな幸せまで、まさに喜怒哀楽の人間模様。

さまざまな客を乗せて走る東京のタクシーのイメージ(画像:写真AC)

今日はどんな舞台が待っているのか。運転席に乗り込み、さあ、発車オーライ。

※ ※ ※

タクシー運転手はときどき、乗客からお悩み相談を受けることがあります。

東京都内の道は隅々までしっかり頭に入っていますが、人生の道案内はなかなかどうして。そのお客さんが降りていった後、さっきの受け答えで良かったのかどうかと苦く振り返ることもあります。

ただ話を聞いてくれる相手が欲しかっただけかもしれませんし、明確な答えを心から求めていたのかもしれない。もう確かめようがない分、悩みを打ち明けてくれた人のことは折に触れてふと思い出すことがあります。

雨の日、新宿で若い母子を乗せた

新宿の某医大病院前から品川駅の高輪口まで、1組の母子を乗せました。この日は朝から雨です。女性はまだ若く、子どもも小さくて5歳くらい。

「運転手さんはどちらにお住まいですか?」

ふいに女性が話しかけてきました。日中に乗ってくる若い女性客は、おしゃべりをせずただじっと窓の外を眺めている人が多いのですが。私はちょっと意外に思いながらもすかさず返事をしました。

「あれ奥さん、私と話がしたいのですか。住んでいるのは、品川のAという地域の集合住宅ですが」

突然、「夫とうまくいかなくて」

「あら、その辺りの保育園はたしか空いてるみたい。今いるB市だと、なかなか入れなくて。私、あちこち調べたんです。空いてる保育園を」

女性は神奈川の相模湾沿いのまちに住んでいるよう。保育園を探して東京の方まで調べて回るなんて。よく聞く“待機児童”の問題って、やっぱり本当に深刻なんだなぁ。

「でもB市から引っ越しって大変ですね。旦那さんの仕事の関係もあるでしょうし」

すると女性は答えないまま、少しうつむいたようでした。ルームミラー越しにチラッと見ると、わずかに戸惑うような、何かに迷うような顔です。

5歳くらいの子を連れた若い母親。彼女が抱えていた悩みとは(画像:写真AC)

「もしかして品川区に越して来るのがもう決まっているとか。だとしたら奇遇ですね」

そう水を向けると、

「いえ。……その夫なんですけど、実は私、別れたいと思っているんです。どうしても、どうしてもうまくいかなくて」。

「えっ? またご冗談を」。突然の展開に私は動揺してしまいました。

決して冗談ではないことは、女性の表情を見れば分かります。本気で思い詰めているのです。これ以上立ち入るのは野暮だと思っていたところ、女性はみずから続きを話し始めました。

まるでせきを切ったように。

気持ちを吐き出したかったのだろう

「子どもが嫌いな人なんです。なぜなのかは分からないのですけど。動物園、水族館、遊園地、近くの公園でのお散歩だっていいんです。いくら頼んでも、一緒に連れ立って出かけようとしてくれません。自分の車やファッションばかりにお金を使って、飾り立てて、見栄っ張りで……」

「私とこの子への思いやりや興味を、どうしても感じられないんです。帰りはいつも遅くて、夜中の25時過ぎ。仕事だから仕方ないんですけど。せっかく早く帰ってきた日も、全然口を利いてくれなくて。もう私むなしくて、私……今もうあの人の顔を見るのもつらいんです」

夫とのすれ違いに、女性は長いこと悩んでいたようだった(画像:写真AC)

おそらく女性は、自分の気持ちの吐き出し口をずっと探していたのでしょう。自分の親や近しい友人にも相談しているのかもしれませんが、たまたま乗り合わせた見ず知らずのタクシー運転手には話しやすかったのかもしれません。

私は、とにかく彼女の気持ちに賛同して、共感の言葉を掛けるよう努めました。

「そうですか、それじゃあ一緒に暮らすのはつらいですよね。うん、離婚した方がいいのかもしれませんね。こんなにかわいいお子さんなのに、奥さんも大変すてきなのに。少しも興味を持ってくれないなんて、やっぱり悲しいですよ。家族として一番悲しいことだ」

すると女性の顔がどこかパッと明るくなったようでした。きっと自身の心の中では、本当はもうとっくに決めていたのでしょう。

「そうですよね。やっぱりそう思いますよね。……子どもが不憫(ふびん)でずっと決心が付かなかったんですけど、運転手さんの言う通り、私やっぱり別れます。本当にずーっと悩んでいた。でも、もう決めました」

腹をくくった女性は、強い

ひとたび決断した後の女性は、強い。表情までキュッと引き締まったようです。

……いえ、私はハンドルを握っていましたから、正確にはお顔はまじまじとは見ていないのですが。さっきまでのどんよりとした雲が晴れて日差しが差し込んできたかのように、車内の空気がガラリと入れ替わったのを感じたようでした。

「いい男性はいくらだっていますよ。子どもを大切にしてくれる人を見つけて、今度は幸せになってくださいね。きっと楽しい将来が待っている。夢が広がりますよ」

「うん、そうする。離婚する。……夫はね、大企業に勤めていて役職にも就いていて、部下もたくさんいるけど、でも部下にも慕われていないみたいなんです。さっき『見栄っ張り』なんて言っちゃったけど、本当は寂しいんだと思います」

「そうですか。でも、これからの奥さんは大丈夫です。慰謝料の相談も忘れずなさって」

「私ね、10年も無駄な時間を過ごしちゃった。24歳で恋愛して、たった半年で結婚も決めて。女の一生についてなぁんにも知らなかった。若い勢いだけで、つまらない男と結婚しちゃった。でももう、離婚決ーめたっと!」

一大決心をした後、車内は打って変わって「女子会」のような明るいムードに(画像:写真AC)

その後はもう打って変わって、ちまたで聞く「女子会」のような明るくてハチャメチャな華やいだテンションで話がずっと続きました。どのまちに引っ越そうかな、どんな部屋に住もうかな、私、この子のために一生懸命働く、頑張らなくちゃ――! 明るく振る舞うことで、自分自身を奮い立たせていたのでしょうか。

「ねぇ運転手さん、私にすてきな男性、見つかるかなぁー!」

「心配要りませんよ。だってほら、かの有名な志村けんだって言っているじゃないですか。『大丈夫だぁ』って」

まさかその何年か後に、志村けんさんが新型コロナウイルスで亡くなるなんて、当時はもちろん思いもしなかったのですが。

ふたりの背中に問いかけたこと

「うん私、今度は外見や立派な職業じゃなくて、父親の責任を果たしてくれる人を見つける。運転手さん、ありがとう」

目的の駅に着く頃、小さな子どもはすっかり眠りこけていて、むずかるのを起こした女性は、その子の手を引いて雑踏の中へ消えて行きました。小気味のいい軽快な足取りで、振り返ることもなく。

私は女性の背中に、いや、どちらかといえば坊やの背中に問いかけます。さっきの私のアドバイス、あれで正しかったのかな。ボクは、お父さんとお母さんが別々になって、寂しい思いをしないかな――?

たとえ私の車に乗らなくても、彼女は遅かれ早かれ同じ決断をしたものと思われます。偶然たまたま出会った運転手が、ある母子の行く末を左右したなんて、おこがましいことは考えません。

でも、もしもいつかあの坊やとどこかで再会することがあるのなら「ボク、今、幸せかな?」と聞いてみたいと思うものです。

※記事の内容は、乗客のプライバシーに配慮し一部編集、加工しています。

橋本英男(フリーライター、タクシー運転手)

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