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歴史学者・磯田道史さんが語る「有事に人心をつかむための条件」|時代に愛されるこれからのヒーロー像とは? vol.1

  • 2021.6.15
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気候変動、ジェンダー、BLM、コロナ禍とさまざまな問題に直面している今、ヒーローや人気者のあり方も変わってきているようだ。歴史学者・磯田道史さんに、これからの時代に求められる人物像を分析してもらった。

ヒーローの掟

一、 共感力
相手の気持ちを思いやる心。弱い人や困っている人の状況を一緒になって理解し、寄り添い、想像する力。

二、 弱者優先力
自分や自分の支持者の都合を優先するのではなく、弱い立場の人や困っている人への対処を最優先にする。

三、 反実仮想力
現実とは反対のことを想像する力。「もし〜〜だったら」を常に考え、あらゆるリスクや危機に日頃から備える。

四、 日常変更力
非日常のできごとが起きた時、常識的な行動では解決できない。旧弊や慣習を打ち破って大胆な行動に出る力。

五、 因果関係把握力
情報を集めて精査し、問題点や対処すべき点を見極める力。因果関係を把握し、対策の優先順位を決める。

歴史学
江戸時代の名君に学びたい! 有事に人心をつかむための条件

日本は昔から飢饉や災害や戦争などいろんな危機に直面し続けてきました。しかし、感染症はちょっと異質で、先が見えず、解決の道筋が見つけにくい。戦後は、人々が向かっていく方向が明確で、それは「豊かになること」でした。モデルはアメリカです。与えられた命題に対して、それぞれが持ち場で、がむしゃらに頑張っていればヒーローになれました。政界なら田中角栄、スポーツ界なら王・長嶋ですね。つまり〝専門ヒーロー〟の時代だった。ところが、アフター(ウィズ)・コロナの時代は先が見えないうえに、取り残される人=ウイルス災害弱者が生じます。そんな時、新しいヒーロー像が模索されるのではないでしょうか。

歴史を振りかえってみて、ヒーローとして思い浮かぶのは上杉鷹山です。

上杉鷹山[1751〜1822]米沢藩9代藩主・上杉治憲。深刻な財政難にあえぐ藩を倹約・緊縮政策で再生させた江戸時代きっての名君。

江戸中期、東北の米沢藩の殿様で、財政再建を成功させた「名君」です。彼は身分制時代の殿様で、選挙で選ばれたリーダーではありません。であればこそ、天運で預かった「民」を守るのが自分の職分と考えました。そこで必要になるのが「共感力」です。弱い領民と同じ気持ちで行動する力が重要になります。鷹山はそれができた稀有な大名でした。天然痘が大流行したとき、その共感力が発揮されました。当時、普通の藩では、殿様への感染を恐れ、まず自分たちが感染しないことを優先したものでした。しかし、鷹山は感染拡大中も、役所を稼働させ、対策を続けました。城下町と山間部で医療格差が起きぬよう情報を隅々まで伝え、誰が誰の面倒をみるかを話し合わせ、感染者の孤立対策を講じました。これは「弱者優先力」といっていいものです。

さらに、江戸から名医を呼び、藩内で治療にあたらせ、領民は無料で受診させました。緊急時に即座に大胆な施策を実行できたのは、鷹山の「日常変更力」です。これもヒーローに欠かせない資質です。日本人には几帳面で常識的な人が多い。いいことですが、正常性バイアスに陥る面もある。たとえば震災の時、津波が迫ってきても割れたガラスの掃除を続けて逃げ遅れた人がいました。被害者は責められませんが、緊急時には、日常の常識行動を変更できないと、逆に危険です。日常を破壊する思い切った決断が非常時には必要です。

現代社会には危機がたくさんあり、共感だけでは不十分です。有事の備えとして「反実仮想力」が大事です。これは「もし〜〜だったら、どうするか?」を考える力のこと。政治家なら、国の危機として強毒性感染症、震災、隣国の通貨危機、ミサイル攻撃などが想定されます。これらにどう対処するか、危機対応のリストとノートを作ってから、選挙に出てほしいものです。この点に、優れていたのが前近代の薩摩人です。薩摩の武士の子どもたちが受けた「郷中教育」のなかに「詮議」というメソッドがありました。「親の仇と主君の仇、どちらを先に探しに行くべきか?」とか「早馬でも間に合わない急用を命じられたらどうするか?」など、膨大なケーススタディが用意されていて、それを毎日のように問答するのです。子どもたちは思考力、判断力が鍛えられます。

もうひとつ、情報を洗い出し因果関係をつかむ力も重要です。誰がいちばん困窮しているか、情報を集めて精査し、対処すべき優先順位を見極める力です。つまり「この行動をとれば、こうなる」という「因果関係把握力」です。コロナの問題では「観光キャンペーンで感染者は増えない」との希望的観測で因果関係を見誤り、悪いタイミングでGo Toキャンペーンを続けてしまいました。

共感力で思い出すもう1人の大名が、小早川隆景です。

小早川隆景[1533〜1597]毛利元就の三男、竹原小早川家14代当主。豊臣秀吉政権下では五大老の1人として信任厚く、重用された。

彼は戦国大名で、羽柴秀吉と対戦しました。ところが、秀吉と和睦を結んだ直後に本能寺の変が勃発。主君信長を討たれた秀吉はあわてて撤退しました。部下は隆景に「和睦なんか破って秀吉を追撃しよう」と進言しました。しかし、隆景は「そんなことをしたら信用を失う。自分たちには天下を争う力量がない」と判断。不幸に見舞われた秀吉を追撃しませんでした。後年、「仁愛に基づいて行動すれば、当たらずとも遠からず」という名言を残しました。どんな決断をするにせよ、人としての慈悲の心、弱者をおもんばかる気持ちがあれば「正解でなくても大間違いにはならない」というのです。生死に関わるコロナの難題に全世界が直面する今だからこそ、仁愛という言葉が響きます。「まずは情けの心を」が、これからのヒーローに求められています。

GINZA2021年3月号掲載

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