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読む人も「返り血」を浴びる。金原ひとみの作品集の凄さ

  • 2021.6.9
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「コロナみたいな天下無双の人間になりたい」――。

金原ひとみさんの著書『アンソーシャル ディスタンス』(新潮社)は、コロナ禍を逃れ心中を目論む男女を描いた表題作を含む5篇を収録した1冊。

「生きる苦しみに彩られた全篇沸点超えの作品集」「ページが刃となって襲いかかる、ひりつく作品集」「人々の叫びに満ちた、返り血を浴びる作品集」というコピーが目を引く。読んでみると、やはり強烈だった。

主人公と一緒になって酒、煙草、セックス、整形、不倫に溺れ、絶望の底を見たような読み心地とでも言おうか。同時に、彼女たちがふとした瞬間にこぼす言葉が核心をついていて、ハッとさせられる。

「人間とは池に浮かぶ藻屑のようなもので、雨風や水中生物によって動いたり絡まったり離れたりする、不確実な生き物でしかない」

彼女たちの共通点

本書収録の5篇は以下のとおり。

■心を病んだ恋人との同棲に疲れ、自らも高アルコール飲料に溺れていく
――「ストロングゼロ Strong Zero」
■職場の後輩との交際にコンプレックスを抱き、プチ整形を繰り返す
――「デバッガー Debugger」
■夫から逃避して不倫を続けるが、相手の男の精神状態に翻弄される
――「コンスキエンティア Conscientia」
■生きる希望だったライブがパンデミックで中止、恋人と心中の旅に出る
――「アンソーシャル ディスタンス Unsocial Distance」
■ウイルスを恐れるあまり交際相手との接触を断つが、孤独を深め暴走する
――「テクノブレイク Technobreak」

イケメンでファッションセンスも良くてバンドをやっていてコミュニケーション能力の高かったはずの彼が、突然鬱状態に。美奈はその頃から酒量が増え始め、しだいに勤務時間中もこっそり飲むようになる。

さすがにマズいのでは......とハラハラしてくるが、美奈の中にはやり過ぎる自分と、そんな自分を冷めた目で見る自分がいる。

「ずっとずっと消去法で生きてきた。こっちは嫌だからこっちかな。そうやって気乗りしないまま二種類の社食を選ぶようにして、生きてきた。それなのに、は? 私何やってんの? ばっかりだ」(ストロングゼロ)

職場の24歳の後輩と付き合い始めた35歳の愛菜。トイレで化粧直しをしながら20代の女の子たちと比べては、「なんか微妙にバグってるなという感じの顔」と、自分の顔の劣化を感じている。

老いへの引け目をまざまざと直視した愛菜は、取り憑かれたように美容外科施術を検索し始める。施術、失敗、成功を繰り返し、自分の顔のバグ修正にのめり込んでいく。

「私はきっと、私の彼氏であることで、彼に惨めな思いをさせたくないのだ。でもどう考えても惨めな思いをさせたくないと整形に奔走している自分が一番惨めだった」(デバッガー)

彼女たちは何らかの依存症に陥っている。確固たる信念を持ってやっているようにも見えるが、結局自分がどこに向かっているのか把握できていない、という点で共通している。

世間の正しさに逆行して

最後に、表題作「アンソーシャル ディスタンス」を紹介しよう。大学生の幸希と沙南は恋人同士。沙南が中絶手術を受けたところから物語は始まる。

2人とも自分が嫌いで、死ぬことを考えている。赤ちゃんを諦め、コロナ禍で就活も思うように進まない。そこに追い打ちをかけるように、2人の生きる希望だったバンドの公演中止の知らせが入る。

「このライブに行けるんだからと我慢してきた嫌なこと辛いこと、全てが今、切り干し大根が水を吸ってどっと重くなっていくように、重圧としてのしかかってきた」
「『もう駄目』以上の言葉は見つからない。一本の糸で何とか保ってきたものが、完全に切れてしまった」

「じゃあさ、二人でテロでも起こす?」と悪戯っぽく沙南は言い、「事件を起こすよりは自殺の方が可能性は高いだろうとは思うな」と幸希は応じた。そして2人は、心中目的の旅に出る。

世間で正しいとされている「ソーシャル ディスタンス」に逆行し、「アンソーシャル ディスタンス」をとる2人。2人の糸が切れるきっかけはライブの中止だったわけだが、自分もいつ何の拍子にそうなるか分からない。彼女たちの過激な言動も他人事ではないかもしれない、と思えてくる。

正しい・間違い、良い・悪いでは片付けられない、理性に押し込んでもはみ出てしまうもの。そういうものを排除せず、そういうものもあるよね、という余白が感じられる。自分以外の人はコロナ禍をどう捉えて生きているのか。本書は、視野をグッと広げて想像するきっかけになるだろう。

■金原ひとみさんプロフィール

1983年生まれ。2003年『蛇にピアス』で第27回すばる文学賞を受賞。04年同作で第130回芥川龍之介賞を受賞。10年『トリップ・トラップ』で第27回織田作之助賞を受賞。12年『マザーズ』で第22回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞。20年『アタラクシア』で第5回渡辺淳一文学賞を受賞。その他の著書に『アッシュベイビー』『AMEBIC』『ハイドラ』『マリアージュ・マリアージュ』『持たざる者』『軽薄』『クラウドガール』『パリの砂漠、東京の蜃気楼』など。

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