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豊島区「トキワ荘」が決して有名漫画家だけのものじゃない理由

  • 2021.6.5
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マンガミュージアムのオープンで再び注目されるトキワ荘。そんなトキワ荘に、かつて特異な漫画家がいました。その人物の名は森安なおや。フリーライターの県庁坂のぼるさんが解説します。

地方出身者のバイブル『まんが道』

日本に住む人なら誰でも知っているアパートといえば、やはりトキワ荘ではないでしょうか。

トキワ荘は、手塚治虫を始め、藤子不二雄両氏、石ノ森章太郎、赤塚不二夫ら著名な漫画家が居住していたことで知られる漫画の「聖地」です。2020年7月には豊島区立トキワ荘マンガミュージアム(豊島区南長崎)もオープンしました。また、漫画家たちが通っていた中華料理店の松葉(同)など、かつてをしのぶものは少ない状況でしたが、豊島区などによる近年の事業で観光地として充実し始めています。

そんなトキワ荘を語る上で欠かせないのが、藤子不二雄Aの自伝的漫画『まんが道』です。1970(昭和45)年に『週刊少年チャンピオン』に掲載された「マンガ道」に始まり、『ビッグコミックオリジナル増刊』に連載された続編の『愛…しりそめし頃に…』が2013年に完結するまで、長きにわたって書き続けられました。

作者自身をモデルにした主人公・満賀道雄と才野茂(藤子・F・不二雄がモデル)を中心に描かれる青春群像はフィクションが多めとはいえ、漫画家を志す人に限らず、東京に出てなにかを成し遂げようと夢見る地方出身者のバイブルともいえる作品です。

しかし、東京に出てきてある程度の年齢を重ねた人が『まんが道』を読み直すと、また違った登場人物に目が離せなくなってしまうのではないでしょうか。それは、誰もが認める存在となった前述の漫画家たちではなく、成功とは別の道を歩んだ人たちです。

「森安なおや」という気になる存在

締め切りに追われて漫画を描くことに疑問を覚えて去っていった坂本三郎、広がっていく漫画文化が自身の理想から変わっていくことにあらがい、去るしかなくなった寺田ヒロオなどです。そんななか、どうしても目が離せないのが森安なおやです。

2020年7月にオープンした豊島区立トキワ荘マンガミュージアム(画像:(C)Google)

なにしろ『まんが道』に描かれる様子だけでも、森安がコミカルな奇人であることがわかります。「原稿料が入った」と仕立てた背広を自慢した揚げ句、ラーメンの代金を他人に払わせたり、昼食用にと取っておいたパンを食べてしまったりなどなど……。

当時の漫画家の多くが実名で登場するなか、森安は一時期、『愛…しりそめし頃に…』で風森やすじと名前を変えて描かれたことから、さまざまな余談を生み、最後は浮かばれないままに孤独死したということだけが、まことしやかに伝えられてきました。

「お金があったら食い物」だった森安

そんな森安の人生が明らかになったのは、2010(平成22)年に出版された伊吹隼人さんによる評伝『「トキワ荘」無頼派―漫画家・森安なおや伝』(社会評論社)が出版されてからです。

『「トキワ荘」無頼派―漫画家・森安なおや伝』(画像:社会評論社)

森安は奇矯な振る舞いの一方、非常に繊細な人物でした。漫画文化の台頭期で、次々と雑誌が生まれ、描き手も求められていた時代にあって、森安は早すぎた天才でした。

多くの漫画家が締め切りに追われながら必死に作品を描き上げていくことに没頭していたのに対して、森安は

「お金があったら、取りあえず食い物、それから遊び」

を信条とし、描きたい気分にならないと描こうとしなかったのです。生活に困っていることを見かねた編集者が仕事を依頼しても、気分が乗らなかったら描かなかったといいますから、徹底した芸術家肌だったのです。

現代であれば極めて寡作な漫画家として評価されたのでしょうが、漫画文化が右肩上がりに拡大していく時代にあって、森安のような存在はあまりにも異質でした。

本当の成功者とは何者か

その結果、漫画では食べられずに職を転々とするのですが、その間にも森安は漫画を描き続けていました。

その集大成ともいえるのが、死去の2年前、1997年に故郷の友人たちの手によって「森安なおやを岡山に呼ぶ会」名義で自費出版された『烏城物語』です。発行部数は少なかったものの、その独特の世界感が昇華された傑作です。

『烏城物語』(画像:中野コロタイプ)

刊行にあたって、藤子不二雄両氏、石ノ森章太郎、赤塚不二夫も言葉を寄せているのですが、各氏とも社交辞令ではなく絶賛しています。そこには、締め切りに追われる創作とは別の道を選んだ森安への羨望(せんぼう)すら感じられます。

東京の街に憧れて地方から志を抱いてやってくる人たちは、なにかしら功成り名遂げようと考えます。しかしその成功を財産や名誉、地位に限定すれば、得られる人はごくわずか。

だからといって、それらを得られなかった人は無残な敗残者でしょうか。そんなことはありません。世間の評判に踊らされることなく、納得できる人生を送ることができた人こそが本当の成功者です。ゆえに、自分が信じた道しか歩もうとしなかった森安はまさに成功者そのものなのです。

価値観が大きく変わる現代にあって、トキワ荘の人間模様は改めて人生を考えるきっかけを与えてくれます。

県庁坂のぼる(フリーライター)

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