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桜庭一樹「コロナ禍の暗黒の日記」を1年つけて見えてきた"かすかな希望"

  • 2021.5.30
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直木賞作家・桜庭一樹さんの最新エッセイ『東京ディストピア日記』(河出書房新社)は、東京都内でひとり暮らしをしている作家が、新型コロナウイルス関連のニュースを見たり、町を歩いたりしながら1年間の日常を記録したもの。自粛生活の中、人々のストレスが溜まり分断が深まる様子を事実に即して丁寧に綴り、読めば、既に忘れていたパンデミックの各段階がリアルによみがえる。私たちはこの1年で何を学んだのだろう。桜庭さんに聞いた――。

未来の作家が参考にできる記録として

——『東京ディストピア日記』では、新型コロナウイルスのニュースが流れ始めた2020年1月26日から、2回目の緊急事態宣言が出た直後の2021年1月9日まで、激動の1年を綴っています。この日記をつけようと思ったのはなぜですか。

作家 桜庭一樹さん(写真提供=本人)
作家 桜庭一樹さん(写真提供=本人)

【桜庭一樹さん(以下、桜庭)】10年前の東日本大震災時のことを振り返ったとき、時系列をごっちゃにして記憶しているなと思ったんです。

最初の1カ月ぐらいに起こったことの順番を忘れているし、自分が後から考えたことを当時から考えていたかのように思っている。それで、新型コロナウイルスの感染拡大でバタバタしてきた2020年の2月ぐらいから記録を始めました。5年後、10年後、またはもっと先の人や未来の作家が今のことを知りたいと思ったとき、日記形式で残っているものが多ければ多いほど記録として役に立つんじゃないかと思いました。

——Instagramにアップしていた文章が基になっているそうですが、書籍化に当たって、残しておこうと思ったのはどんなところですか?

【桜庭】本には重要なところを選んで圧縮しましたが、特に意識の変化の過程は残したいと思いました。例えば、コロナ禍も今ではもう長くなりましたが、去年2月ぐらいの時点では、「このあとの2週間ぐらいはたいへんかも」と甘く見ていました。最初の緊急事態宣言が明けたときには、「これでひと山越えた」と思ったとか、そういうことって忘れてしまう。マスクが買えないとか、和牛券が配られるらしいとか、現在とは全然違う状況って記憶に残らないんですよね。

歴史には残らない一人ひとりの人間の歴史を残す

——「正史」と「稗史はいし」という言葉が出てきます。この記録は一個人の歴史、つまり「稗史はいし」として書かれたそうですね。

【桜庭】この日記をつけたのは、ちょうど手塚治虫さん原案の『小説 火の鳥 大地編』を書いていたときで、舞台となる太平洋戦争の頃の資料を読んでいました。すると、やはり「正史」として残っている国の歴史と一人ひとりの人間の歴史は全く違う。稗史には山田風太郎さんの「戦中派不戦日記」などがありますが、本当のことが正史の下に埋もれてしまうという危機感があったからこそ、当時の作家たちも小説や日記を残したんでしょう。

このコロナ禍でも、例えば、ご飯を食べていたお店に、卒業式がなくなり写真だけを撮ったという娘さんが振袖姿で入ってきたとか。「ヨーイ、ドン!」と歩道橋の上で子どもを走らせていたお父さんがいて、たぶん道で遊ばせると“道路族”とか言われてしまうのでそうしているんだろうなとか、そういう一人ひとりの歴史があるわけです。それを自分が見聞きした分だけでも残したいなと思いました。

わざとぶつかられる、怒鳴られる……

——桜庭さんの小説の読者からすると、フィクション性が高い作品を書いてこられた桜庭さんには、今の現実が小説のように見えているのではと思うのですが、いかがですか?

【桜庭】『赤朽葉家の伝説』など、私が今まで書いてきたものは、「世の中は平和だけれど、その一部分で何かが起こっている。でも、誰もそれを知らない」という状況が多かったと思います。今はコロナ禍で社会全体が大変なことになっているから、そこは違うところですね。

ただ、8月の日記に書きましたが、歩道を歩いていたら、自転車に乗った高齢男性がぶつかってきたので逃げたということがありました。怖かったんですが、でも、それを周囲に話しても、そういう怖い目にあわない人はそんなことが起こるなんて想像もしないという事実も実感しました。同じ場所に暮らしているのに、自分に見えないものは“ないこと”にする人がいるという状況は、私の小説のテーマとリンクする部分かなと思います。

——その男性にぶつかられたという体験談が印象的でした。わざとぶつかられるとか、連れている子どもが騒いだときに怒鳴られるということは、多くの女性が経験していますが、それをオープンにすると本当だと思ってもらえない。いわゆる二次被害の問題ですね。

【桜庭】私も子どものいる人から、通りすがりの人に「子どもにマスクさせろ」と怒られたという話を聞きました。小さな子を連れている人って、子どもを守らなきゃいけない分、立場が弱いから、相手もガツンとくるんでしょうね。でも、それも友達に聞くまでは知らなかったことで、被害にあった人は体験を話さないと理解してもらえない。

ただ、それを否定されたときに、自分が正しいから相手を正すのではなく、相手と意見を言い合うというのが大事なんじゃないでしょうか。相手の意見に「えっ」と思ったとき、「それは違う。私はこう思います」と言うことによって自分も変わる。反論というのは、なかなかとっさには出てこないけれど、それでもやはり言葉を見つけていくべきだと思います。私自身、それがちょっとずつできるようになっているところです。

選択肢がなくなるまで人間は変われない

——タイトルにある「ディストピア」とは暗黒世界という意味ですが、どういった状況をディストピアと考えていますか。

桜庭一樹『東京ディストピア日記』(河出書房新社)
桜庭一樹『東京ディストピア日記』(河出書房新社)

【桜庭】コロナ禍を経験してみると、「期間限定でたいへん」と思っていたことが、「このままずっと続くのでは」という感覚がディストピア感。本当に、まさか2021年の5月になってもまだ日記に書いた去年と同じ生活をしているとは……。この本が出る頃に3回目の緊急事態宣言が出るとも思わなかったし、12月の日記で「ワクチン打つのが怖い」とも書いていますが、怖いも何も、自分の分のワクチンがまだないとは思っていなかったですね。

——そういうディストピア的な状況でどう生きていけばいいでしょうか。日記の中で桜庭さん行きつけの喫茶店のマスターが「他に選択肢がなくなり、もう変わるしかなくなっちまうまで、人間ってのはなかなか変われない」と言うところが印象的でした。

【桜庭】その言葉はけっこう真理だったなと思います。人間ってあまり困っていないような状況だとそんなに深く考えずに流されていっちゃうけれど、本当に困るとすごく考える。本の最後に、「今が変革の時なんじゃないか」と書いたのは、みんなが本当に困っているからこそ。

今までなんとなく我慢していたことを我慢せずに言うようになったり、よく考えるようになったりするんじゃないでしょうか。アメリカでもBLM(ブラックライヴズマター)の運動が起こりました。「こんなコロナ禍の最中になぜ?」と思ったけれど、危機だからこそ、問題の本質をよく考えて爆発的な動きになったんじゃないかと。追い詰められるのは必ずしも悪いことじゃなく、問題の本質を考えたり変わろうとしたりできるチャンスかもしれない。この日記を1年書き続けてきて、最後のほうではそんな希望も感じました。

構成=小田慶子

桜庭 一樹(さくらば・かずき)
作家
1971年、島根県生まれ。1999年、ファミ通エンタテインメント大賞小説部門佳作を受賞しデビュー。2007年『赤朽葉家の伝説』で日本推理作家協会賞受賞。2008年『私の男』で直木賞受賞。近刊に『小説 火の鳥 大地編<上・下>』がある

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