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シティガール未満 vol.18──東銀座

  • 2021.5.28

上京して8年目、 高層ビルも満員電車もいつしか当たり前になった。 日々変わりゆく東京の街で感じたことを書き綴るエッセイ。
前回記事:『Vol.17──御茶ノ水』

卵がふるえている。
楕円形の平たく白いお皿に薄く広げられたケチャップライスの上に乗った、なめらかで厚みのあるオムレツがふるえている。
店員さんの掌から伝わる振動でふるえ、コトン、と木製のテーブルに置かれてからも2秒くらいは小刻みにふるえていた。

浅草線の宝町駅から国立映画アーカイブの「1980年代日本映画 試行と新生」特集に行き、客層は50〜60代の男性が9割で若者は片手で数えられる程度という、日本映画の将来が心配になる比率の中で『の・ようなもの』(1981)を観た後、一駅分歩いて来た東銀座の「喫茶YOU」。行列のできる有名店だが、遅めの時間だったので空いていた。

この連載を毎回読んでくれている熱心な読者の方は、また喫茶店の話か、とそろそろ呆れる頃かもしれないが、お金がなく友達も少なくお酒も飲めない私の居場所といえば喫茶店くらいしかないのだから仕方がない。このご時世ならなおさらである。

「喫茶YOU」の看板メニューであるオムライスは、子供の頃、ピクピクと動いている活き造りの海老やお好み焼きの上で踊る鰹節を初めて見た時の新鮮な衝撃を思い出させた。
卵にスプーンを入れると、中から半熟の卵が流れ出てくる。最初は量が少なすぎると思ったが、食べ進めていくと卵をたくさん使っているためか案外満腹になりそうな気配を感じた。

1970年に創業し、2010年に一度移転しているが、おそらくインテリアは引き継いでいるのだろう、ランプシェードや椅子などは創業当時の趣を感じさせるデザインで、年季も入っている。
店内を観察していると、深い赤のベルベットのソファに置いたiPhoneのロック画面に、「会いたいなあ」というメッセージが表示されたのが見えた。
Twitterを介して出会い、かれこれ7年の付き合いになる友人からである。
誰かに会いたい時、何か口実を作ったりどこかに行こうと誘ったりするのではなく、ただ「会いたい」という気持ちのみを伝える直球さが好きだ。
会いたいと言って会うなんてまるで恋人のようだが、今まで彼女と直接会ったのは両手で数えられる程度ではないだろうか。SNSでのやりとりもそれほどするわけではない。
そう考えると、彼女の祖母の家に遊びに行ったあの夏と、譲ってもらった服が、いささか幻のように思えてくる。

中央線の八王子駅からバスでしばらく行ったところに、その友人の祖母の家はあった。
上京してから1年半ものあいだ都心で過ごしていた私はその道中、バスを2回も乗り過ごしながら、「東京にも田舎はある」というのは本当なんだと新鮮に感じたのを覚えている。
最寄りのバス停まで迎えにきてくれた友人に連れられて門をくぐり、全貌が把握できないくらいの広大な敷地と立派な日本家屋に驚きつつ玄関に入ると、おばあさまが笑顔で出迎えてくれた。歳の割にどころか、その辺の若者よりも姿勢が良く、高級そうな黒いブラウスとスカートに身を包んでいた。
友人に案内され、永遠に続くのではないかと思うほど長い長い廊下を歩いた。途中、障子の開いたいくつかの部屋を覗くと、天井にはシャンデリア、壁には金色の額縁に入った絵画がいくつも飾られていて、基本的に洋風で揃えられたインテリアは、古いけど見るからに上質なものだった。
どうやらこれは、想定していたよりも遥かに、いや団地育ちの私には想像もつかないほどお金持ちの家らしい。そう思いつつも「お金持ちなんだね」などという俗っぽい言葉は飲み込み、すごいね広いねと言いながら、客間で先に来ていた友人らと合流した。

どういう話の流れであの日、女友達4人で集まることになったのかは覚えていない。
ただ私たちは白いレースが敷かれたテーブルを囲み、高級なコーヒーショップで出てきそうなティーカップで紅茶を飲んで、持ち寄ったレコードをかけたりして過ごした。私が持ってきたレコードは、かつて自分の祖母の家から発掘して貰ってきたビートルズの『ペイパーバック・ライター』で、プレーヤーを持っていなかった私はそこで初めて聴いたのだった。

夜はおばあさまが近くのレストランにディナーに連れて行ってくれた。
おばあさまは私たちを「みんなそれぞれの個性があって素敵ね」と褒めてくれて、「うちのお父さん、かっこいいでしょう」と心底嬉しそうにいつも持ち歩いているらしい白黒の写真を出して見せてくれた。確かに昭和の映画スターさながらの男前であった。
その後も「100人以上の従業員を抱える社長だったのよ」などと夫の自慢話を続ける彼女の笑顔には、結婚や家庭に全く夢を見ていなかった私ですら、素直に羨ましいと思える愛が溢れていた。

19歳の夏休みの1日。それは引き出しの奥にしまって時々取り出しては眺める宝物のような思い出になっている。

服を譲ってもらったのはその1年後だった。
ある日友人が「おばあちゃんの要らない服を整理してるんだけどかなり攻めてる」と写真をつけてツイートしていた、水色の抽象画のような大胆な総柄の、オーバーサイズで肩パッドの付いた薄手のテーラードジャケット。
「欲しい」
半ば衝動的に送ったリプだったが、友人はすぐに持ってきてくれて、巣鴨のモンゴル料理店で食事がてら受け取った。クリーニングのタグが付いていて、状態もかなり良く、丁寧に手入れされてきたのがわかった。
今のところおばあさまは健在だが、ともすると形見にもなるものだ。一度会っただけの赤の他人である私が貰っていいのだろうかと、図々しい申し出だった気もしてきたが、あの日のことを思い出し、あんなにオシャレで素敵な人から受け継いだ服なのだから、責任を持って大切に着ていこうと決意したのだった。

それから4年が経った去年の夏、インスタのストーリーを見ていると、見覚えのある絨毯や椅子が目に飛び込んできた。画面を長押ししてよく見ると、それらが置かれている部屋はあの家ではない。もしかしてと思いDMを送ったところ、あの八王子の家は区画整理のため取り壊されることになり、友人が家具や絵を引き取って一人暮らしの部屋で使っているという。
「変な部屋だよね」と彼女は笑ったけど、私はとても素敵だと思った。
現代的な普通のマンションの一室に昔の重厚で豪華な家具が点在しているのは、確かに統一感はないかもしれないけれど、それはそれでオシャレな気もしてくるし、何より祖父母の思い出の品を受け継ごうという意思が感じられたからだ。家がなくなってしまうことは残念だが、インテリアの一部だけでも残っていくことはせめてもの救いである。

「コロナが落ち着いたら遊びに来てね」と言われたきり、一度も行けていないのが悲しい。あのジャケットは今でも着ているが、そういえばまだ彼女の前で着たことはない。今度会う時は着て行こう。

店を出て振り返り、”you”の筆記体をかたどった緑のネオン管を見ながら、良いものがちゃんと受け継がれていって欲しいと思った。映画も喫茶店も服も家具も。

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