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ウィリアム&ハリー王子の、知られざるふたりの兄妹。

  • 2021.5.22
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カミラ・オブ・コーンウォールは、チャールズ皇太子と結婚する前に、前夫のアンドリュー・パーカー=ボウルズとの間に2人の子どもをもうけている。しかし、トム・パーカー=ボウルズとローラ・ロープスは、母親と一緒に公の場に出ることはほとんどない。ハリー王子とウィリアム王子の知られざる義兄妹の姿とは?

家族写真の中の(写真左から)ハリー王子、ウィリアム王子、チャールズ皇太子、カミラ夫人、ローラ・ロープス、トム・パーカー=ボウルズ。(ウィンザー、2005年4月9日) photo : Abaca

チャールズ皇太子とカミラ・パーカー=ボウルズのロマンスは、ドラマ「ザ・クラウン」で広く紹介されるところとなった。しかし英国王室通でない大多数の人々は、コーンウォール公爵夫人のふたりの子どもの正体(というか存在自体)を知らないかもしれない。

アンドリュー・パーカー=ボウルズ将校とカミラ夫人の間に生まれたトムとローラは、スポットライトを浴びることなく、ウィルトシャーの屋敷で育った。40代になったいま、兄妹が母と一緒に公の場に姿を現すことはほとんどない。トム・パーカー=ボウルズの名前が、3月17日にパートナーのアリス・プロコープ(42歳)ががんで亡くなった折に、海外の報道機関に登場した程度。カミラ夫人もトムと同じようにアリスの死を悼んだ。

泣いたり、暴れたり、脅したり…

(写真左から)バッキンガム宮殿で記念撮影するアンドリュー、トム、カミラ、ローラ・パーカー=ボウルズ。(ロンドン、1984年2月21日) photo : Abaca

イギリスでは、トム・パーカー=ボウルズは有名人。この46歳の著名な料理評論家は、すでに9冊の料理本を出版している。イギリス版「MasterChef」のレギュラーであり、「Mail on Sunday」、「Tatler」、「Esquire」に料理コラムを掲載し、3万7千人のTwitterフォロワーを有する。しかし有名になるまでには、長く険しい道のりがあった。

1974年12月18日、ウェストミンスターに生まれたトム・パーカー=ボウルズは、社交的な少年だったが、やや問題を抱えた子ども時代を送っていた。「父はガーデニングが好きで、母は料理上手だったので、小学校に上がるまではそれが普通だと思っていました。学校では同級生にいじめられたりしたわけではないが、そこでの食事は最悪だった!」とヨークシャー・ポスト紙に語っている。

「悲劇によって中断された」ナポリでの家族旅行の思い出は、それに劣らず破滅的なものだった。「チケットやパスポートを忘れ、土壇場になってドーセットかウィルトシャーに戻り、路肩を30キロも走った」とEsquire誌で振り返っている。

1978年1月1日、スウィンドンで生まれた妹のローラはより内向的だが、家族の危機を知らないわけではなかったという。「いつも喧嘩ばかりしていた」とトム・パーカー=ボウルズ。「いつも泣いたり、暴れたり、罵ったり、泣き言を言ったり、脅したりしていた」

毎年夏になると、イスキア島に滞在し、港でチョコレートアイスを食べたりと、小さな悩みを抱えながらも大きな幸せを感じる2週間を過ごした。そして、コーシャムにあるヘイウッドの学校で、新学期を迎える。

トム・パーカー=ボウルズのおどけた態度

(写真左から)競馬を観戦するカミラ夫人とトム・パーカー=ボウルズ、サラ・ビュース、ローラ・ロープス。(チェルトナム、2015年3月11日)photo : Abaca

10代の頃、トム・パーカー=ボウルズは自分の天職を見つけるのに苦労した。彼の中で料理への情熱が生まれたのは、実は成人してからずっと後のこと。「母はローストチキンの作り方を知っていたけど、実際に教えてもらった記憶はありません。おそらく18歳の頃は何でも知っていると思っていたからでしょう。親の言うことなんか聞かなかった」とボウルズは認めている。

イートン校とオックスフォード大学の学生だった彼は当時、「チップスとカレーソース」を食べ、自分の進路を見つけるのに苦労していた。「悪ガキでした。若い頃は、学生バイトをしょっちゅうクビにされていた」と記者に打ち明けている。

一方、1973年に結婚した両親も同じく苦労していた。21年間にわたる波乱万丈の結婚生活は突然終わりを告げ、1995年に離婚が成立することになる。

大学を卒業後、1997年から2000年にかけて映画業界のプレスエージェントとして働いていたトム・パーカー=ボウルズは、そのおどけた態度で知られている。彼の薬物使用疑惑は、カミラ・パーカー・ボウルズだけでなく、彼女の連れ合いであり、現在は公式のパートナーになっているチャールズ皇太子をも悩ませた。チャールズ皇太子は、もともとトムの名付け親であり、その後、彼の継父となったのだ。

1999年、チャールズ皇太子が24歳のトムを電話で叱責したとBBCが報じた。原因は?トムがカンヌ映画祭に出席した際にコカインを摂取した、とタブロイド紙が報じたからだ。心配し、怒ったチャールズ皇太子は彼にこう言ったという。「馬鹿なことをしたな。しっかりしてくれ」と。

義父や義兄弟ととても仲が良いトム・パーカー=ボウルズは、ハリー王子とウィリアム王子の前で、薬物を摂取したことはないと断言したと言われている。一方で、そんなものは今後使用しないと誓った、とも。

カミラ・パーカー=ボウルズの長男は、これまでの生き方を変える決意をした。「食べることが好きで、多少は文章が書けたので、食べ物について書こうと考えた」と後に説明している。2001年、トム・パーカー=ボウルズは「Tatler」のフードコラムニストに就任した。

英国風の挙式

聖シリアク教会で結婚式を挙げたハリー・ロープスとローラ。(ラコック、2006年5月6日). photo : Getty Images

ローラ・パーカー=ボウルズは、兄のスキャンダルから遠く離れた場所で、秩序ある道を歩んできた。オックスフォード・ブルックス大学に入学し、美術史とマーケティングの学位を取得。絵を描くのが大好きな彼女は、ヴェネツィアのギャラリーで3ヶ月間のインターンシップを経験した。旅好きでもあり、1年間のサバティカルには友人と南米を訪問した。イギリスに戻った彼女は、「Tatler」で自動車の特派員となった後、初恋の職業へと戻った。

展覧会のキュレーターとして採用され、ロンドンのアートギャラリー「スペース」のディレクターを務めたローラ・パーカー=ボウルズは、2005年、ベルグレイヴィアに自分のギャラリー「イレブン」を共同で設立するという夢を実現した。同年、彼女は兄とファッション・エディターのサラ・ビュースとの結婚式に出席。式にはミック・ジャガー、ヒュー・グラント、ハリー王子とウィリアム王子も参加した。

サラ・ビュースとトム・パーカー=ボウルズは、2007年10月に生まれたローラ、2010年2月に生まれたフレディという2人の子どもをもうけた後、2018年1月に別居する。彼はその直後、アリス・プロコープと出会った。

2006年、ローラ・パーカー=ボウルズは自身の結婚式を迎えた。お相手は、元カルバン・クラインのモデルから会計士に転身したハリー・ロープス。ウェディングドレスは、アンナ・バレンタインのデザイン。この選択は象徴的だった。というのも、前年にチャールズ皇太子と結婚した母カミラの2度目のウェディングドレスを手がけたデザイナーだったからだ。

ハリーとローラ・ロープス夫妻は、3人の子どもに恵まれる。2008年1月に生まれたエリザ、2009年12月に生まれた双子のガスとルイ。現在43歳のローラ・ロープスは、長年にわたり、ハリー王子とウィリアム王子との間に結ばれた友情の絆を大切にしてきた。娘のエリザは、2011年に行われたウィリアム王子の結婚式で、ブライズメイドを務めている。

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