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話題のジュエリー・ブランド、シャルロット・シェネって?

  • 2015.6.24
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パリでは新しいジュエリー・ブランドが次々と生まれている。その中で、話題を独占しているのがCharlotte Chesnais(シャルロット・シェネ)だろう。3月のパリ・コレ期間中、デザイナーRabih Kayrouzのアトリエを擁する建物の一部屋で彼女が発表したファースト・コレクションは、とても魅力的だった。イヤリングやブレスレットはまるでオブジェのようで、置いてあるだけで人の目を惹き付ける。でも、身につけるジュエリーとしてはどうなのだろう? そんな懐疑的な気持ちを察するかのように、彼女はブレスレットEdenを自分の腕にさっとはめて見せてくれた。手の甲の周囲を回転するブレスレット。次のBondは親指を通して手首にはめるブレスレット......。試してみたところ、固い金属の輪が手に絡んでいるというのに手の動きを妨げることもない。これまでに見たことのないタイプのジュエリーだ。これほどシンプルなのにこれほど個性的......この発表以来、彼女とジュエリーを紹介する雑誌や新聞がフランスでは後を絶たない。注目のブランドである。

自作のイヤリングとブレスレットをつけたシャルロット・シェネ。今年30歳。もうじきママになる。photo:Saskia Lawaks

手の甲と手首にからむようなブレスレットのEden。価格は素材によって異なり、1,860ユーロ(シルバー)、2,050ユーロ(ヴェルメイユ)、27,000ユーロ(ゴールド)。


―ファースト・コレクション対するバイヤーやプレスの反応は予測した通りでしたか?

「いえ、思った以上だったわ。気に入った! というメッセージをジャーナリストがくれたり、Instagramですぐに紹介してくれたり......すごく満足のいくものだった。初めてのことだから、不安があったのは確かね。発表前に周囲の友人たちに見せたのだけど、友達って励ます意味もあって本当のことを言わないこともあるでしょ。それに取材を受けるとか、慣れないことへの準備も必要だったので、発表前はいろいろなことが頭の中で錯綜していました」

―セールスをスタートするとほぼ同時に、コレットが買い付けたのですね。

「はい、初日にサラ(注:コレットのディレクター)が見にきてくれて、6月からコレットで先行販売されることが決まったんです。彼女ってあまりおしゃべりじゃなく、ジュエリーを見て「OK、連絡しますね」って帰って行ったのよ。その翌日だったかに、アシスタントからオーダーが入ったの。コレクションの半分以上を買い付けてくれたわ。日本での販売? 今のところ、まだです」

リングThree Lovers。3つの輪だけで、こんなに素敵なリングが生まれるとは!! 350ユーロ(シルバー×ヴェルメイユ)、2,100ユーロ(イエローゴールド×ホワイトゴールド)。


―ジュエリーをデザインするようになったきっかけは?

「9年弱、バレンシアガでニコラ・ジェスキエールと一緒に仕事をしたの。プレタ部門のために雇われて3年たった時に、彼がデフィレ用にジュエリーを本格的に作りたいというので、私がすることになって......。バッグや靴を経験した人はいたけど、ジュエリーをやったことがある人が誰もいなかったからなの。で、工場探しに奔走し、おかげでジュエリー製作に関わる素晴らしいプロたちと知り合うことが出来たのよ。ジュエリーと平行して、辞めるまで服の仕事も続けたわ。VIPも私が担当していたの。というのも、バレンシアガ エディションの仕事をしていた私は、刺繍などクチュール的な面にも触れる機会があって......クリストバル・バレンシアガのデザインした服がレッドカーペット用のドレスのベースだったから、そんなことからVIP担当へと」

―バレンシアガはニコラが辞めたときに一緒に辞めたのですか?

「契約の関係で、アレキサンダー・ワンが来てから1シーズン仕事をして、それで辞めたの。でもそのときはジュエリーデザインをしようなんて思いもしなかったので、フリーランスでケンゾーやキツネでレディースのプレタのデザイン、メイエットではプレタとジュエリーをデザイン。今もメイエットでジュエリーの仕事は続いてるわ」

(左)ブレスレットBond (右)ブレスレットSpinal


―ファッション・デザイナーを目指していたのですか?

「モード校のステュディオ・ベルソーに入ったときは17歳で、デザイナーになろうとか、それほど明快な目的があったわけではないの。母がショッピング・アディクトでその影響で私も小さいときからモードが大好き。高校卒業後はグランゼコールのための準備校に入ったものの、半年もたたないうちに辞めて......。そのときにファッションの勉強をしよう! って思い立ったの。両親に告げたところ、彼らは私を信頼してくれているのですぐに許可してくれたわ。それに17歳なら、たとえそれが間違った道だったにしても取り返しがつかないことでもないでしょ。ベルソー校で2年学んだ後、ヴァンサン・ダレ時代のウンガロで仕事をすることになったのだけど、彼が辞めることになってしまって。私、彼と仕事をしたくてウンガロに入ったのだから、私も辞めたのね。そんなところに、バレンシアガでアシスタントを探しているという連絡がベルソー校からあって......」


―ニコラ・ジェスキエールから学んだことは多いですか ?

「何もかもとはいわないけど、彼に負うところはとても大きいわ。クリエーションの仕方、物事の見方や進め方とか......もちろん、今、私が彼のように仕事ができているという奢りはないけれど、そうできるようにと努めているわ。それに今私がジュエリー作りで進めている製造者との相互作用も、バレンシアガの服の仕事をしていてたくさん経験したことなの。例えば、布に洗いをかけたときとかけないときの効果とか......。私、今ジュエリーのためにもあれこれ試したいので、こうして製造アトリエで過ごす時間がものすごく多いのよ。初回のサンプルで、すごく上手くできあがるものもあれば、自分の指や腕で何度も試して、考え直して、というのもあって......パリの自宅兼アトリエと郊外のこのアトリエを行ったり来たりの日々よ」


―なぜ自分のジュエリー・ブランドを始めることにしたのですか。

「バレンシアガの後のフリーランス時代、どの仕事もとても興味深かったのよ。たくさん学べたし。でも、ニコラと一緒にやっていた時代に比べて、フラストレーションが大きくって......。次第にこのデッサンは好きだから、誰にも渡したくないわ......というように少しずつ自分用にキープするようになったの。そうしたら、自分のブランドを始めたらいいじゃないかって、バレンシアガで一緒だった友人のジュリアン・ドッセーナ(パコ・ラバンヌのクリエーティヴ・ディレクター)から励まされたの。まだ30歳で財政的にも大変だけど、やってみようと決めたのは昨年の10月。ジュエリーを始めるって決めた直後に妊娠して......リスクは大きいのだけど、自分のためのクリエーションを始めたら、もう面白くって! 出来上がってきたサンプルには、とっても満足できたわ。一番最初にデザインしたのは、ブレスレットのEdenかピアスのPunk......どっちだったかあまりよく覚えてないわ。おそらくフリー時代にデザインしたけど採用されなかったものじゃないかしら。それを自分用にキープしていて......いずれにしても、体に巻きつくようなアトミックなジュエリーを作ろうというアイデアでスタートしたのは確かなことよ」

ピアスはどのデザインもシングル販売。価格は素材によって異なる。Ivy 350ユーロ(シルバー)、390ユーロ(ヴェルメイユ)、1,520ユーロ(ゴールド)。

(左)ピアスHookのスモールとラージ。(右)ピアスSaturnラージ。


―今後もそのアイデアをキープしていくのですか。

「他の色や石で提案をする、とういうようにして、このアイデアは定番として拡大していくつもり。シーズンごとに新しいのをデザインするのだけど、その中にはこの定番テーマに入るものもあれば、新しいテーマであることも......。私が一人でやっているブランドなので、規則も拘束もないの。これって自分のコレクションの利点ね」

Charlotte Chesnais/colette
213 rue St Honoré
75001 Paris
http://ja.colette.fr/

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