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シティガール未満 vol.16──上野

  • 2021.3.16
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上京して7年目、 高層ビルも満員電車もいつしか当たり前になった。 日々変わりゆく東京の街で感じたことを書き綴るエッセイ。
前回記事:『Vol.15──高円寺』

映画を観に行く時はなるべく遠くの映画館に足を運ぶようにしている。電車で少し移動するだけでいろんな街に行けるのが東京の良いところだから、知らない街に行く口実を常に探しているのだ。
さらに余韻に浸るために、もし作品の舞台となっている街や雰囲気の合いそうな街の映画館で上映していれば、なるべくそこに行く。作品のイメージに合う服を着て、少し散歩をして、帰りに近くの喫茶店に寄るのもささやかな楽しみである。

脚本の坂元裕二と主演の菅田将暉が好きなのと、主人公の二人と同じく2010年代後半の東京で大学生から社会人になる20代前半を過ごしたという共通点に縁を感じ、『花束みたいな恋をした』を観るのに選んだ映画館は、上野のTOHOシネマズだった。都内の上映館の中では、最も主人公が行きそうな街だと思ったからだ。予告編の雰囲気からなんとなく予想しただけだったのに、実際に二人の初デートが国立科学博物館で開催された「ミイラ展」、つまり上野だったのは、私が彼らと同じ“映画の半券を栞にするタイプ”の人間だからだろうか。

主人公の山音麦(菅田将暉)と八谷絹(有村架純)が明大前駅で終電を逃したことをきっかけに出会い、“好きな音楽や映画が嘘みたいに一緒で、あっという間に恋に落ちた”2015年。
大学2年だった私はというと、シティポップバンドをやっていた大学の先輩に好意を寄せていた。共通の趣味さえあれば近づけると思い込んでいた上に、着ているバンドTシャツが会話のきっかけになることに憧れていた私は、ここぞとばかりにトリプルファイヤーなどのバンドTシャツを着てさりげなくアピールしてみた。しかし彼の視線の動きは私のTシャツを通る時に少し引っかかるみたいに一瞬止まるだけで、一切言及されることはなく、それどころか、その一瞬に「はいはい、トリプルファイヤーね」という冷めた目線すら感じたのだった。

今思えば、彼は趣味の似た人に慣れていたのだろうし、十分理解していたのだろう。趣味が合うことは、趣味が合うというだけでそれ以上でもそれ以下でもないのだと。

私がこのことに気づいたのは、もう少し先のことだ。
中高生の頃は同級生と趣味が合わず飢えていた私は、人間関係において趣味が合うことが最上位の価値と言わんばかりの勢いで、東京に来てから音楽や映画の話ができる友人を探し求めていた。そして出会った。それも何人かと出会った。自分よりずっと詳しかったり幅広かったりする人たちにも出会った。どうやら私の趣味は思っていたほどマイナーではなく、自分と“好きな音楽や映画が嘘みたいに一緒”な人は意外と存在するという事実の方が嘘みたいだった。
花束みたいな恋をした二人は、おそらくそれまで趣味の合う人と出会う機会に恵まれていなかったのではないか。私も前回書いた高円寺の彼をはじめ、好きなものや考えていることが似ている人に出会うと麦と絹のように運命を感じて盛り上がったものだが、大学3年になる頃には大してときめかなくなっていた。
もちろん単に自分の中で希少価値が下がったこともあるが、それだけではない。人間関係において、趣味が合うことをそれほど重視しなくなったのだ。
確かに共通の趣味は会話のきっかけになるし、同じものを好きになるということは価値観や性格も似ている確率が高いので、ある程度は相性の指標にはなるだろう。しかし、趣味が全く合わなくても不思議と波長の合う人もいるし、趣味が合うからといって必ずしも仲良くなれるわけでもない。
いくつも出会いと別れを繰り返して学んだのは、普通の友達ならまだしも、恋人のように親密で長期的な関係を築くには、趣味が合うかどうかよりも大切なことが山ほどあるということだった。

恋愛関係における趣味が合う合わない問題といえば、もう一つ思い出すことがある。
別れた麦と絹が偶然再会し、東京オリンピックが延期になった2020年の夏。
私は上野の純喫茶・古城でパフェを食べていた。隣の隣のテーブルでは、初デートっぽい距離感の若い男女が、律儀にマスクを着けたままストローを差し込み、アイスティーを啜りながら笑い合っている。ほう、これがウィズコロナ時代の恋愛か、と思わず感心して聞き耳を立ててしまう。
「『君の名は。』って観ました?」
「観ましたけど、あんまりピンと来なくて」
何度も観たと言う男性が楽しそうに解説するが、女性の方は「へ〜」などと相槌を打つだけで、全く話が広がっていない。他に挙がるのも『シン・ゴジラ』など近年ヒットした邦画ばかりで、二人とも特に映画好きでもなさそうな上に最近観た作品も全然被っていないのに映画の話を続け、盛り上がることなく30分ほど経ったところでようやくお互いの家族の話に移ったようだった。
この二人、もしかして共通の趣味や話題が一つもないのではないか。こりゃあ2回目はないだろうなと思ったのも束の間、「夕飯ってどうします?」と、二軒目に行く流れになっていた。
そこでハッとした。ここまで趣味が合わないとなると厳しいだろうと私は決めつけてしまったが、彼らは気にしていないのかもしれない。

恋愛において共通の趣味は必須なのだろうか。

彼らが私に残していった問いを、今、花束みたいな恋をした二人が再び投げかけてくる。
趣味が違う方が新しい発見や学びがあって楽しい、とか、趣味が合うと微妙な嗜好の違いでモメるから合わない方がいい、といった言説もよく聞く。それも一理あると思う。そもそも、将来的に結婚や同居をする場合を考えれば、趣味なんかよりも生活リズムや習慣、金銭感覚、家族観などが合うかどうかの方がよほど重要だろう、と思い始めた自分もいる。

しかし、最初の2年はほとんどが合っていたはずの麦と絹が、就職してから徐々に興味の対象が変わり、仕事や人生に対する意識もすれ違っていったのを見て、何が合うかよりも、何かが合わない時にどう対応するかに目を向けるべきなのではないかと思った。
例えば趣味が合わないところがあっても、相手の趣味を否定したり、自分の趣味を押し付けたりしてはいけない。同じ坂元裕二脚本のドラマ『最高の離婚』や『カルテット』では、相手の好きな音楽や本に対し否定的な言動をしたことで致命的な亀裂が生じて別れるカップル・夫婦が描かれているが、あれはきっと、趣味が合わないからではなく、相手の趣味を尊重できなかったからダメだったのだ。
あまりにも合わない場合はどうしようもないかもしれないが、どんなに合うと思っても他人である以上は合わない部分も出てくるし、人は時とともに変化していくものである。
大切なのは、好みが合わない時や意見が食い違った時に、どれだけ相手を理解しようと努め、歩み寄れるかなのではないか。
むしろ最初から明らかに合わない部分がある方が、そういった点を冷静に見極められて良いのかもしれない、とすら思えてくる。

冷静にそんなことを考えながらも、終盤はマスクがびしょ濡れになるくらい泣いてしまった。
前の前の列でイチャイチャしていたカップルが、エンディングの途中で誰よりも早くそそくさと出ていった。
趣味が合うからといって過剰に期待して盛り上がりすぎてはいけない。そう肝に命じて私は、半券もとい感染対策のためもぎられなかった全券を読みかけの文庫本に挟んでから席を立った。

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