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初の小説を出版の音楽プロデューサー松尾潔さん「やっぱり物語の力はすごい」

  • 2021.3.1
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――とても面白く読みました。知らない音楽業界の話なのに、のめりこめました。

松尾: 音楽の作り手としてはポップカルチャーの現場で大衆という存在にずっと触れてきた実感がある。一方で読み手としては“文学青年”上がり。長編小説は初めての挑戦ですが、双方の経験をこの小説では掛け合わせてみました。そのケミストリーがうまくいったかどうか…これから問われるところで、怖いですね(笑)。

業界の内幕を描いていますが、優れた警察小説や銀行小説がそうであるように、「その世界を知らない読者にも読みやすい作品にしたい」と思って、僕なりに手を尽くしました。

――松尾さんと親交がある三代目J SOUL BROTHERSの岩田剛典さんが表紙カバーを飾っていることでも、話題です。“イケイケ”な内容を想像していましたが、読んでみると、そればかりではない。

松尾: ありがたいことです。モヤモヤを意匠やデザインで広く届けることができるのがポップだと僕は思っているんです。だから、イケイケに見えるのはミスリード(笑)。ディープな内容を歌っている曲でも、アレンジで軽く聞かせるということを音楽でたくさんやってきました。楽しい曲だと思って聞き終わった後、お風呂場でよくよく思い出してみると、「あの曲、けっこう厄介な内容を歌っているんだな…」と思われるような――小説でも、そんな感覚です。

朝日新聞telling,(テリング)

"音楽"は一生の伴侶 初恋の相手は"文学"

――テレビドラマの主題歌制作に苦戦する音楽プロデューサーの主人公・悟をはじめ、その楽曲に再起を期す歌手の義人、テレビ局社員ら“業界人”の葛藤が描かれています。

松尾: いわゆる業界人も、決してスムーズな時間の過ごし方ばかりしているわけではない。悪戦苦闘の日々という人たちがほとんどだと思いますよ。

今の日本ではみなさん、ままならぬ思いを抱えて日々に対峙しているでしょう。五輪にせよコロナ禍にせよ、「なんか違うな」という気持ち。そして社会や階級について、どうしようもない膠着を感じる人も多いと思う。僕にしても、音楽の世界で成功を果たした人間と見られがちですが、一人の生活者としては無力感に苛まれることはしょっちゅうです。この小説の設定は2011年。僕自身ずっと感じてきたことを、表現しました。

主人公は現代社会の状況に、愚直なまでにあらがおうとする。だから、ちょっと青臭い。いい年した音楽プロデューサーには似つかわしくない言動をします。はたから見れば「あんたも恵まれた側だろ」とも言えますが、実際にはみなさんも、主人公の悟のように、第三者から見れば滑稽なところで怒りを覚えたりなど、奮闘しているはずです。

――なぜ今、小説を刊行したんですか?

松尾: そもそも僕の初恋の相手は文学。ロマンチックな言い方をすると、僕は音楽を一生の伴侶にする決断をする前に、小説とまず恋に落ちている。子どものころ、時間を忘れて物語に没頭しました。児童向けに平易に訳された世界文学全集を手始めに、江戸川乱歩の探偵物、星新一らの肩の凝らないSF、夏目漱石や森鴎外、大江健三郎さん、ディケンズ、モーム、フォークナーなどを読んできた。二十歳前後からは関川夏央さんに強い影響を受けました。早稲田大学でも文学を創作するクラスにいましたが、僕は在学中から音楽ライターになって、その後は音楽制作を始めたので、執筆するのも作詞や企画書ばかり。長い文章を書くことからは久しく離れていました。もちろん小説を読むことはずっと好きでしたけど。

今回の小説は2015年から書き始め、ようやく形になったんですね。
小説を執筆する数年前から音楽エッセーを再開し、文章で表現する面白さに改めて気づいていました。そんな折、2013年に作家の白石一文さんから「小説を書くべきだ」と諭されて心が動いたのですが、すぐには音楽の仕事を整理しきれず、実際に執筆を始めるまでには時間がかかりました。
昨年1月には、僕にコラム発表の場を何度か与えてくださった評論家の坪内祐三さん、そして白石さんより10年以上も前に小説の執筆を勧めてくださった作家の藤田宜永さんが、相次いで亡くなられて。坪内さんの葬儀で、「読んでもらえなかった」とはげしく後悔し、「今年こそ書き終える」と強く決意したことをよく覚えています。すると新型コロナの感染が拡大し、音楽の仕事の多くが飛んでしまい…喜ばしいことではないですが、書く時間ができて、なんとか終えられました。

朝日新聞telling,(テリング)

「男性不妊についての問題提起にできれば」

――執筆中、印象に残ったことはありますか。

松尾: この小説の相当なヒントにもなっているCHEMISTRYのふたりはデュオとしての活動を6年ほど休止していたのですが、彼らが現実世界でデュオ活動を再開することを決め、僕が14年ぶりにプロデュースをしたんですよ。現実と小説が、ない交ぜになった感覚でしたね。

――男性不妊についての描写に、かなりの頁を割かれています。

松尾: 小説中の「妻の付き添いで不妊のクリニックに行って調べてみたら、実は男性側である自分に原因」――という話は、誰の身にも起こりえる。
エンターテインメントの世界では、中高年で父親になる男性も多く、いろいろな話を耳にします。男性不妊はフィクション上の設定ですが、実際に取材もしていくうちに、「これは大変なことだ」と実感したんですね。

不妊に悩む人もいれば、「普通に生きていれば親になれるし、おじいちゃんにもなれるよ」と信じて疑わない人もいるわけ。でも“不妊を関係ないこと”と誰しもとらえてはいけないと、書きながら強く感じました。
ミュージシャンではダイヤモンド☆ユカイさんが自身の無精子症と、不妊治療について積極的に語っています。非常に貴重な活動だと思います。僕の小説も男性不妊についての問題提起にできればという気持ちがありますね。

朝日新聞telling,(テリング)

小説という形に向かったのは…

――改めて小説への思いを教えてください。

松尾: 作詞も含めた音楽制作を続けてきました。初めて小説を書いたのは、改めて言葉だけの力で、「どれだけの表現ができるのか」という思いになったから。

自分の思想や考え方、アティテュード(姿勢)は活字によって形成されたと感じるので、自分が小説という形に向かったことは自然なのかな。やっぱり物語の力はすごいですよ。

●松尾潔(まつお・きよし)さんのプロフィール
1968年、福岡市生まれ。早稲田大学第二文学部在学中から音楽ライターとして活動。久保田利伸との交流をきっかけに90年代半ばから音楽制作に携わる。SPEED、MISIA、宇多田ヒカルのデビューにブレーンとして参加。平井堅やCHEMISTRYらもプロデュース。2008年、EXILE「Ti Amo」で第50回レコード大賞(作詞・作曲・プロデュース)などヒット曲、受賞歴多数。

■大原一城のプロフィール
1987年、愛知県豊橋市生まれ。東京在住。ライター。2010年から2020年まで毎日新聞記者。関心分野は文芸、映画、大衆音楽、市民社会など。愛読書はボリス・ヴィアンの諸作。趣味は夏フェスと水鳥観察です。

■家老芳美のプロフィール
カメラマン。1981年新潟生まれ。大学で社会学を学んだのち、写真の道へ。出版社の写真部勤務を経て2009年からフリーランス活動開始。

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