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【齋藤薫の美容自身stage2】今一番、美しい人に見える職業ってなんなのか?

  • 2021.2.10
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喜怒哀楽にこそ現れる。自分ばっかりの人なのか、他人の身になれる人なのか

「人間には2種類しかいない」よくそういう言い方をする。迷惑をかける人と、かけられる人。几帳面な人と、だらしない人。思慮深い人と、キホン何も考えていない人……究極は、正しい人と間違った人の2種類しかいないというところに行き着くわけだが、人間そんなに単純なのか?という疑問も湧く。正しい部分もあれば間違っている部分もあるのが人間だから。ただどうしようもなく、人間を決定的に分けてしまうことが、いくつかある。一つは紛れもなくこれ。“看護師になれる人と、なれない人”である。

コロナ禍に入って改めて思うようになった。自分たちが自粛生活でおこもり美容などをやっている時間も、ほとんど家に帰れない過酷な業務に就き続けている人々がいる。言わずもがな医療関係者。それが連日のようにクローズアップされた時、さて自分にこの仕事が務まるだろうか?と本気で考えてみたからだ。そこにはどうにも越えられない境界線があることを思い知らされたからなのだ。

なりたくてもなれない職業は山ほどあるが、看護師は別格。まず志が高くなければ、正義感がなければ、この仕事を選べない。本気でなりたいと思わない。そして責任感や忍耐強さがなければ、とうてい続かないのだろう。

そういう意味で、自分にはとてもとても無理、そこに明快な隔たりを感じ、同時に激しく負い目を感じたのだ。

たとえば天災の後、後片付けのボランティアは行きたい人が行けばよいのだという言い方もあるが、それでもやっぱり行かないことに後ろめたさを感じる人は、同じ種類の引け目を感じるはずなのだ。看護師にならない、なりたくない自分に。

そこまで明確ではなくても、人間をざっくり大きく2つに分ける時、他人のために何かできる人間なのか、自分ばっかりの人間なのか、それはそれで明らかな境界線だ。いや当然のこととしてみんな自分が一番大切。誰も自分ばっかりの人を責めたりできない。それが人間だから。ただ、人の立場に立てる想像力さえあれば、いわゆる“人の痛み”が見えてくる。人の辛さも喜びも、自分事のように感じることができる。それができるか否かが、人間性を決定的に二分するのだ。

とくにそれは、喜怒哀楽に明快に現れる。たとえばあなたは誰かの成功や幸せを心から喜べるのか。他人のために本気で怒ったり、他人のために泣いたりできるのか。自分ばっかりの人は多分それができない。自分のためにはどこでも泣けるのに。仕事で失敗したり、注意されたりして、職場で泣いてしまう人は、残念ながら自分のために泣く女。だから職場で泣いてはいけないのだ。ところがそういう人は他人のために泣ける女と思い込んでいたりする。つまりそのくらい、自分ばっかりか、他人を思いやれるかは紙一重。自分にはわからないことなのだ。

でも、今こそそれを明快にしてほしい。あなたはどちらの人間なのか。誰がどのくらい辛く、どのくらい悲しんでいるのか、それが見えていて、ちゃんと心を動かせる人なのか。自分しか見えていない人なのか。それを自分に問うてほしい。自分ばっかり愛していることに気づいたら、どうか想像力を全開にして、今大変な人のことを思ってほしい。このコロナ禍で、苦労を強いられている人もいれば、何の影響も受けなかった人もいる。言い方は悪いが得をした人もいる。運命や立場がガタガタと変わったからこそ、本当に辛い人の気持ちになれるかどうか、今そこが大事なのだと思う。

Amazon創業者で世界一の富豪ジェフ・ベゾス氏の元妻のマッケンジー・スコットさんが離婚の慰謝料などで得た財産の半分以上、6000億円をコロナ禍で苦しむ人に寄付して大きな話題となった。途方もなさすぎて、この寄付がどれくらいすごいことなのか想像もつかないけれど、「私は自分には不相応な額の資産を持っている。今後も慎重な姿勢で慈善事業に臨み、金庫が空になるまで続ける」と語ったと言われるから、大金持ちすぎるこの人も、おかしくならず、ちゃんと想像力が働いたということなのだろう。在宅生活でさらなる利益を得た元夫が寄付を出し渋っていることへの当てつけだと伝えるニュースもある。どちらにせよ今、すべての人の心の中が問われているのだ。

だから、今一番大変な人の気持ちを想像する。それだけでいい。それだけで決定的な境界線を越えることができるのだ。別に看護師にならなくても。

そうそう、コーセーがコロナと闘う看護士さんたちに15万点の化粧品を寄贈したという。何だかちょっと嬉しかった。

異様な忙しさの中でも、なぜにこやかに人を温かく包み込むことができるのか?

入院経験のある人ならわかるだろう。今やどこも完全看護、入院患者を担当する看護師たちの仕事ぶりはとてつもない。言ってみれば人の嫌がる仕事もたくさん含まれている。にもかかわらず、どんな場面でも看護師さんの多くは明るさ、快活さ、にこやかさを絶やさない。ここに何より感動するのだ。なぜあの過酷な忙しさであんな表情ができるのか、不思議でならない。もちろん明るい表情も看護のうちと教わるのかもしれない。ただ実際の現場の混乱に遭遇したら話は別。自分たちの仕事に置き換えても、忙しさの中のにこやかさは一番難しいことだってみんな知っている。ましてや入院患者は神経が研ぎ澄まされているから、「〇〇さーん、検温ですよ」と、自分の名を呼ぶ看護師さんの声音一つにその人の内なる心を見たりする。だからわかるのだ。多くの看護師が、本物の思いやりと慈愛を持って傷んだ人々を包み込むのだということを。やはり、それが天職の人たちなのだろう。選ばれた人たちなのだ。だからとてもじゃないが真似ができないと思い知り、看護師になれる人となれない人に、越えられない溝があるのを知るのである。

そういう事実に今のこの時ばかりは、無関心にならないでほしい。アメリカでは子どもたちの“なりたい職業”のNo.1がこれまでダンサーだったのに、15位以下だったドクターが今年はNo.1になったという。なんと尊い仕事なのだろうと子どもたちでさえ気づいているわけで、今こそそこに、開眼すべき時なのだ。家での過ごし方が上手になっているばかりじゃない、そういう悟りが重要な時なのだ。

美しさの定義が、その時代時代で変わっていくとするなら、少なくとも今年からは、「キレイであることなどにこだわっていられない職業」の女性こそが一番美しく見える時代となるのだろう。言うまでもなく今はマスクを外せない、マスクがどんなにオシャレなファッション小物になったとしても、マスク姿が一番美しく見えるのは、やっぱり医療関係者だと思い知る。ふと思うのは、昨今のTVドラマに医療モノが異様に多いのも、そこに今一番美しい人たちの姿が描けるからではないのか。

そして次に美しいのは、そういう女性たちを美しいと思える人。「防護服を着た看護師さんがトイレ掃除をしている姿をテレビで観て思わず涙があふれました」という投稿を見たことがあるが、その人もまた美しい。少なくとも今はそういう清潔な美意識を目覚めさせることが大切なのではないか。

オリンピックの年はアスリートが一番美しく見えたりする。天災があった時は、無心にボランティアする人が美しく見える。つまりそうやって美意識の視野を広げていくことが、自分の美しさも磨き育てることになるのだ。

時代が変わるたびに新しい美意識を目覚めさせることもまた美容。今一体何が美しいのか、誰が美しいのか、そこに対する正しい目を持つことも、また美容の大切な要素なのである。そもそも、真に美しいものを美しいと思える目を持たなければ、人は絶対美しくなれない。それだけは確かなのだから。

撮影/戸田嘉昭 スタイリング/細田宏美 構成/寺田奈巳

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