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福沢諭吉の野望が実現? いま 「バター」がかつてない注目を浴びている理由【連載】アタマで食べる東京フード(11)

  • 2020.12.24
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味ではなく「情報」として、モノではなく「物語」として、ハラではなくアタマで食べる物として――そう、まるでファッションのように次々と消費される流行の食べ物「ファッションフード」。その言葉の提唱者である食文化研究家の畑中三応子さんが、東京ファッションフードが持つ、懐かしい味の今を巡ります。

日比谷の洋菓子店で受けた衝撃

日比谷OKUROJI(千代田区内幸町)は、明治時代の赤レンガ高架橋を再生させたレトロモダンな商業施設。ここに2020年11月、お目見えした洋菓子店「パティスリー・パロラ」には驚かされました。

バーカウンターの目の前で、仏人シェフのアレクシ・パロラさんがデザートやパフェを作り、ドリンクとのペアリングで出してくれるというスタイルがユニーク。さらに画期的なのが、唯一テイクアウトできるカヌレが、「ボルディエバター」を使っていることです。

スイーツの原材料として今注目を集めているバター(画像:写真AC)

ボルディエバターは、フランス最高峰のブランド。北西部のブルターニュ地方で、独特のやわらかな質感と風味を生む伝統的な手練り製法をかたくなに守り、出来上がるまでに3日もかける逸品です。

この古き良きバターの顧客には、フランスを代表する格式高いホテルと三つ星レストランの名前がずらりと並びます。品質の高さが日本でも知られるようになり、いまでは空輸品をネット通販でも買えるようになりました。

しかし、テーブル用バターとして提供するレストランはあっても、125gが1500~2000円程度(ネット通販の場合)と、とても菓子の材料として使いきれる値段ではありません。

大胆にも、この最高級バターを惜しみなく使う焼き菓子が登場したことと、「ボルディエバター使用」がキャッチフレーズに強く打ち出せるほど、バター自体に注目が集まる時代が来たことに驚いたわけです。

バターの製法はとても身近

ところでバターとは、牛乳から分離したクリームを強く攪拌(かくはん)して乳脂肪を取り出し、練り上げた食品。攪拌する工程をチャーニング、練る工程をワーキングと呼びます。製造は機械化されていますが、原理はバターが誕生した古代から変わらず、家でも手作りできます。

生クリームを泡立てすぎて、脂肪分と水分が分離した経験がありませんか? 脂肪分のほうが、バターです。水分のほうは「バターミルク」と呼ばれ、欧米ではバック入りで販売されてパンケーキなどに利用しますが、日本では粉末化して業務用にまわされます。

牛乳から分離したクリームを強く攪拌して乳脂肪を取り出し、練り上げた食品がバター(画像:写真AC)

牛乳からも作れます。脂肪球を均質化していないノンホモ牛乳を冷蔵庫で放置し、上に浮き上がったクリームを同じように攪拌するだけ。泡立てでなく、蓋付きの容器に入れて上下に激しく振ってもよいし、牛乳のままひたすら振り続けても、いつしか乳脂肪が分離します。

1lの牛乳からできるバターは、だいたい35g。液体から固体への変化が面白いので、お子さんと一緒に実験すると大受けして、楽しい食育になると思います。

このようにバターの製造法は非常に単純なので、原料の牛乳の品質がダイレクトに反映されやすい食品です。

最近よく聞く名前に「グラスフェッドバター」があります。これは牧草飼育牛のミルクから作ったバターのこと。

乳量と乳脂肪量を増やすため、日本では乳牛には穀物飼料を与えて飼育するのが一般的ですが、放牧で十分に運動させ、草を食べて育つ健康な牛のミルクには牧草由来のβカロテンが移り、バターも黄色みが強くなるのが特徴。通常のバターより不飽和脂肪酸の含有量が多いとされます。

牧草飼育の乳牛が人気に

以前は乳牛が何を食べて育ったか気にする人などひと握りでしたが、2015年発売のベストセラー健康本『シリコンバレー式 自分を変える最強の食事』がグラスフェッドを理想的なバターと推奨したのをきっかけに、一気に知られるようになりました。

フランスとニュージーランドは放牧による牧草飼育が当たり前なので、ネット通販と店頭に並ぶのは、この2国からの輸入品が中心。バターは国家管理貿易品のため関税がきわめて高率で、小売価格も高くなりますが、以前からは考えられないくらいの種類が入手可能です。

とくに健康を気にする人は、無農薬を使わず有機栽培した牧草飼育のグラスフェッドバターを選んでいるもよう。ニュージーランド製が国産バターと同じくらいの値段なのに対し、4~5倍と高価です。

日本の立役者は福沢諭吉

ここで、日本におけるバターの歴史をざっとふりかえると、1872(明治4)年に東京・麻布の実験農場で試験的に作られたのが第1号。

乳製品の啓蒙活動に熱心だった福沢諭吉は、その前年に『肉食之説』で早くもバターを

「乳油(洋名バタ) 牛乳中に含まれる油脂分を集め、塩を混ぜて固めたもの。蒸した餅や芋につけて毎日の食事に。また、魚や肉を調理するときに使うと味がよくなる。消化を助ける効果もある」

と、的確に解説しています。

本格的な製造は1885(明治18)年、東京・麹町にあった牧場兼牛乳屋の北辰社がフランスから分離機と回転チャーニング機を輸入し、民間会社として最初のバター販売を手がけて以降。

福沢は慶應義塾の門下生、神津邦太郎が群馬県に開設した日本最初の洋式牧場のバターをことのほか気に入り、パンに塗ってカフェオレとともに朝食で食べていたそう。「神津ジャージーバター」は、いまも健在です。

個性的な製品も次々と

1902年(明治35)には、岩手県の小岩井農場が、ヨーロッパ風の発酵バター製造に成功。また、北海道の「マルセイバターサンド」は、やはり福沢の門下生で、開拓者として十勝に入植した依田勉三が製造した「マルセイバタ」にちなんで名づけられました。

とはいえ、明治時代までバターは多くが輸入品でした。

「バタ臭い」という言葉があります。「西洋風な人やモノ」、「西洋かぶれしている人」を皮肉っぽく表現するときに使いますが、ヨーロッパから船に乗せて赤道を2度も通過して運ばれたバターは、酸化が進んで本当に臭かった。当時の料理書には、塩水でもみ洗いするなど、臭気をやわらげる対処法がいろいろ説明されています。

国産でも、冷蔵庫がない時代に鮮度を保つのは困難でした。昔のバターが缶入りなのは、溶けても大丈夫だったからなのです。

冷蔵庫の定番、バター。今ほど脚光を浴びたことは過去にない(画像:写真AC)

バターが本当に普及したのは、パン食が広がった第2次大戦後ですが、現在ほど脚光を浴びたことは過去にありません。注目度が上がったおかげで、大手乳業メーカー製だけでなく、地方の小さなメーカーの個性的なバターがたくさん出まわるようになっています。

ことさらグラスフェッドや製法にこだわらずとも、色合い、風味とコク、香り、口溶けの具合やなめらかさが、メーカーによってそれぞれ微妙に異なって、実に奥が深い。

バターの多様性を楽しみつつある21世紀の日本人を見て、福沢諭吉はあの世でほくそ笑んでいるかもしれません。

畑中三応子(食文化研究家・料理編集者)

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