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【連載・暮らしと、旅と…】与論島、今そこにある物語を形に変えて

  • 2015.5.29
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トラベルライター朝比奈千鶴による、暮らしの目線で旅をする本連載。奄美群島編第2回である今回は、与論島の情報誌『かなしゃ』についてお送りします。前回登場した「くじらカフェ」の壁にもセンスよく陳列されていた『かなしゃ』は、5冊完結型の与論島の住人による情報誌です。 ひと目見て、美しい表紙に魅せられたこの冊子。実は、人生の旅の果て、与論島に移住してきたアーティストたちの島への想いが昇華して完成したものでした。

『かなしゃ』は、2010年10月1日に発売を開始した1号から5号まで、1年に1冊ずつ発行している与論島の情報誌。内容は1テーマの特集と、毎回決まった連載もので構成されており、40ページのボリュームです。ちなみに、価格は1冊500円です。

実は、来島する前にこの冊子を取り寄せようと思っていたのですが、どうせなら現地に行って気に入った号を買おうと探してみました。すると、島で訪れたあちこちに置いてあったので、すぐに見つかったのです。ぱらぱらとページをめくって読んでみると、どれも外しがたい内容。ならば、ええいと現在発売されている5冊すべてを買ってしまいました。だって、こんなにカラフルで美しい表紙、どれかひとつでも欠けたらあとから後悔しそうでしょう? 表紙を描いているのは、『かなしゃ』でアートディレクターを務める八木美穂子さんと編集長のもとくにこさん。制作当時、与論島に住んでいたこのふたりが交代で担当しました。八木さんは、現在は横浜美術大学の准教授を務めており、神奈川県に住んでいます。現在も与論島在住のもとさんはプロのイラストレーターとして広告、雑誌などで活躍中。おふたりの描く絵は、書籍や雑誌などで何度も見かけたことがあり、与論島をイメージした描きおろしイラストが満載のこの冊子は、私にはとても贅沢なものに感じました。

発行人は、9年前に北海道から移住してきた長崎歳さんです。茶花地区にあるイタリア料理レストラン「アマン」のオーナーシェフ兼島の子どもたちの英語、イタリア語の先生でもあります。

実は、長崎さんもアーティスト。京都大学大学院生だった時代から舞台俳優として活動、その後イタリアや南米などで彫刻家として活躍し、帰国してから北海道へ渡りました。与論島に来てからは、海岸に漂着するゴミを使ったオブジェを制作しています。 「与論島に住み始めてから3年くらい経って、島の歴史や風俗について知るようになりました。そうなると、それらを外からやって来る人に伝えたくなるんですよね。これまで、与論島の情報ガイド的なものはあっても歴史や文化、風俗などを紹介するツールがなかったものだから。そういった内容を紹介するものを自分でも欲しいと思っていました」といいます。

ちなみに奥様の慶子さんは陶芸家です。かつては、文化人が夜な夜な集う“伝説の店”として知られた渋谷のバー「ろくでなし」のママ、おけいさん。今でも彼女を慕って全国から、そして長崎さんを慕って海外から色んな人たちがここにやってきます。 「私たちはあちこち旅をするふたりで、初めて定住先を与論島に決めたくらいの放浪夫婦だったの。でも、ここに住んでからは、不思議とこちらから出かけていくよりも色んな人に会えるようになったのよ」と慶子さん。旅人マインドが理解できるふたりだからこそ、島に立ち寄った旅人たちに、ぜひ島の面白いところを知ってもらいたいという想いがありました。

また、移住を考えてから島の人たちにとても親切にしてもらったことに感謝の気持ちがあり、島への恩返しの意味もこめて何かしたいと、奥様の慶子さんとともに自らがスポンサーとなって情報誌を作ることに決めたのだそう。情報とは情に報いると書きますが、まさにそういった想いが原点となった冊子です。

それにしても、かなしゃという言葉は、その字面から“悲しい”を連想してしまいます。きゅんと胸が疼くようなセンチメンタルな響きのある、色っぽい言葉。 「かなしゃ、いい響きでしょう? 人を慈しむ、愛おしいといった意味がある奄美の方言です。与論では今はほとんど使われていないんですけどね。ポルトガルの"サウダージ"という言葉の意味にも似た”かなしゃ”という言葉を気に入って、冊子の名前にしたんです」。長崎さんはイタリアをはじめ、長く住んだヨーロッパや南米などの港町で出会ってきた明るさと寂しさ、光と陰のなかでたゆたう人間の情感のようなものをこの言葉に感じたそうです。

7年前に両親のルーツのある与論島に引っ越してきたもとくにこさんは、1号目の表紙に海の絵を描きました。手前にあるコバルトブルーの海と奥のほうの深い藍色の海。白い雲、真っ青な空。何層にも重なる青のグラデーションのなかにぽつん、と小船が浮かび、人が乗っています。 「船に乗っている人は、もしかするとこの島に最初に上陸した人かもしれません。島で生きていこうとしている最初の人。いわば、根源の人。海はあらゆる生命の源です。そこから、流れ着いた人という感じかな」。もとさんは表紙でまずは『かなしゃ』の言葉の持つイメージを広げていきます。

もとさんは、幼い頃に育った炭坑の町・福岡県大牟田市で、物心ついたときから毎日、青いとは言い難い海の色を眺め、海と対話していました。生命の源である海からのメッセージを、その頃から感じ取っていたのではないかといいます。ご本人のルーツのある与論島に移住して、青い海に囲まれた環境になった今、幼い頃に親しんだ沈んだ色の海への気持ちとない交ぜになった想いを、そのままに1号の表紙に表現しました。

もとさんは、イラストを描くほか、写真や文も手がけました。1号目の冒頭「さーびたん(島言葉で“ごめんください”の意味)」というページでは、「ぱる舎商店」の石峯正代さんにインタビューに行きました。 石峯さんは、島の人だけではなく旅行者の間でも「また会いに行きたくなる」と評判の方。日々のあいさつから悩み事相談まで、みんな、さまざまな用事を作っては石峯さんを慕ってきます。私が行ったときも、ぱる舎商店には朝からひっきりなしに人が訪れていました。

もとさんは、石峯さんのことを「天から降ってきたような人です。色んなことを乗り越えて、明るく生きると決心した人の、人としての重厚感があります。自然の神様から這い出てきたような人で、背中から光がさしてぱっかーんと開いているんです。色んなことを受け入れ、島に生きる女性。人生のわびさびを知る、”かなしゃ”な人です。だから最初に彼女のことをとりあげたいと思いました」と話します。もとさんの文章を読むと、小さな島ですから、滞在中に石峯さんに会いに行かずにはいられなくなってしまうでしょう。 『かなしゃ』では、その他にも島の食材で作る料理レシピや草花を使った自然療法、洗骨など民俗儀礼の話、地域に伝わる民話など多岐に渡って紹介しています。また、与論島をよく訪れるというアーティストの村上隆さんの寄稿もあり、とても贅沢な内容となっています。

長崎さん夫妻は、夫婦の島へ移住した経緯を「男」と「女」、それぞれの目線から描いた連載を執筆しています。

「1冊500円で販売しています。これが赤字になっていないのが自分たちでも驚きです。いつも楽しみにしてくださっている方がいて、電話をいただくこともありました」と慶子さん。いくつかの地方新聞が記事にしてくれたお陰で、その昔、島人たちが集団移住した土地である福岡県大牟田市など、与論島にルーツをもつ人たちが噂を聞きつけて取り寄せてくれました。また与論島の人たちが本州に住む親戚などに送ってくれたりして、少しずつ読者が増えていったそうです。

各地には完成度の高いフリーペーパーや情報誌がありますが、『かなしゃ』の精神性は、それらとは一線を画したものであるといえます。

地域の若者の機動力を生かしたフリーパーパーの多くは、“情報”をシンプルに読みやすいように加工して伝えるもの多く、フレッシュさが持ち味のように思えます。どちらかといえば『かなしゃ』はそれとは対照的で、土地に息づく普遍的なものを各自で熟考し、おのおの見出した本質のようなものを事象や手法を変えながら淡々と伝えているものであるような気がします。

それは、物事にある光と陰を見つめてきた、成熟した大人たちの手によるものであるからかもしれません。ページに関わる人たちの人生や想いが、喜怒哀楽とともに与論島という土地と交わってそれぞれの内部で撹拌されています。それを文章やイラスト、写真など各自の“表現”に昇華させたものが『かなしゃ』なのです。与論島の過去、現在、未来も、5冊で感じられるよう織り込まれています。

編集スタッフそれぞれが執筆したり、島に縁のある人たちに寄稿をお願いしたりと、今までの仕事ではしたことのない動きをしながら1年に1冊ずつ発行してはや5年。

アートディレクターの八木さんが大学の仕事で本格的に横浜にいなくてはいけなくなったのもあり、それを大きな理由にして5号で『かなしゃ』の制作を終了することにしました。

周囲からは「長崎夫婦とのつながりが切れてしまうようだ」「1年に1回の送付がふたりが元気でやっているという知らせだったのに」と惜しむ声が寄せられたそうです。 でも、実のところは長崎さん夫婦はふたりとも、ほっとしています。

「毎回、刷り上がると300通くらい郵送するのだけど、その作業をやると相手の顔を想像してしまって、ついメッセージを書きたくなっちゃうのよ。そうなるともう作業はエンドレス。本も手紙も封筒も机の上に山積みになって大変だったのよ」と慶子さん。

長崎さんはページをめくりながら、振り返りました。「与論島の文化や場所を説明しただけではなく、1ページずつ作品として作り上げています。5冊終わって振り返ると、ひととおり表現し終えたという達成感がありますね。八木さんももとさんも、今までと違うスタイルの絵を描いたり、イラスト以外に取材をして文章を書いてみたりと大変だったけど充実感はあっただろうね」。みんなでひとつの作品を生み出した、という気持ちが冊子を作ってよかったという満足感につながっているそうです。

もとさんも「自分で編集をやってみて、今まで自分を担当してくれていた編集さんたちから言われてきたことの意味がやっとわかりました。反対の立場になって初めて理解できることってあるんですね」と振り返りました。また、「編集スタッフの4人は、ふだんのつきあいでは言い合いはしないんだけど、『かなしゃ』をやっていたときは本当によくぶつかり合いました」とも。

ふだんのおつきあいとモノ作りは別。冊子作りの際は、率直な意見を出し合い、時にはぶつかりあう。全員が“(ものわかりの)いい人”にはならなかったといいます。

冊子のコンセプトや土地に対する認識の違い、自由な表現がベースにある『かなしゃ』の根本思想を十分に掘り下げて作られた冊子だから、旅人(たびんちゅ)だけではなく、島人(しまんちゅ)にも受け入れられているのでしょう。 最後に、長崎さんの作品を探して海辺に行ってきました。そこには、台風がきて何度も波をかぶっても絶対に流されないような、強固な石のテーブルがありました。目の高さで海と平行に眺めてみると、水平線と重なることに気づきます。人が気づくかどうかわからないこんな仕掛けをしのばせる長崎さんだけに、きっと『かなしゃ』にも、読み返す時期や場所によって、色んな気づきの扉を仕掛けてあるのではないかとわくわくします。 『かなしゃ』は、与論島に旅をする前に読むと、ガイドブックとしても使えます。事前に入手できたら、とっても便利。なんといっても登場しているのは、ほぼ旅で出会える人や場所ばかりだから。

自宅で改めて読んでみると、それ以外に与論島で出会った1つひとつの出来事と重なり合うような物語が描かれていることに気づきます。それは、編集スタッフの面々も私と同様に旅人としてこの島に上陸したからからかもしれません。

旅から戻り、ぼんやりと旅先を思い出す時間は何もしていないように見えて、実は旅先で拾った“気づきの種”に水をあげている気がします。現地で買ってきた情報誌をぱらりとめくり、読んでみると、何気ない文章や、きれいなイラストに、現地での体験を思い出してふっと意味を感じてしまいます。それは作り手のメッセージと読者である自分が交わる貴重なひととき。『かなしゃ』が見つめるまなざしに惹きつけられて1ページ、1ページとめくっていき、ページの中に吸い込まれていくように与論島へーー。冊子の中へと、また旅立ってしまいました。

さて次回は、かなしゃ4号の「さ〜びたん」ページにも登場している芭蕉布織り伝承者、菊友子さんのいる与論民俗村をご紹介します。お楽しみに。

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