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あとは野となれ山となれ

  • 2020.12.1

一年の最終月きたる。

迷いも後悔もなく、一本道の一年間を走り切ることができていたら大満足のゴールが待っている。

2020年.あと残りの30日間でなんとか辻褄が合うか?さてさて・・悩ましい。

身辺を見回したがどうやら間に合いそうにない人ばかりだ。

こんにちは、エミールです。

一年が終わりに近づく頃になると毎年のように思う。

「またしてもやり残してしまったことがあり、心残りなことだ」と。 自分の思うようにすべてことが運び何もかもが整っている。

願いが叶い、常に人生を全力で走っている。 なかにはそんな人もいる。

がしかし・・・、冒頭にも書いたようにたいていの人は「間に合わない」「何か足りない」「今年もダメだった」など、大なり小なり苦悩という名の荷物を背負いながら新しい年への橋を渡ってく。

ふだんは笑顔で何事も無いかのようにふるまっている人も、皆それぞれにつらいことがある。

日頃大声で笑いとばしている人も、時として心の奥底にある黒い繭玉にからまり、抜け出せずに苦しみもがくことがある。

数多くの相談をうけていると悲哀を垣間見ることがあり「この人はこんなにも辛かったのだ」と思いを深くすることも多い。

心の奥深いところにある悲しみや苦しみ。

筆舌に尽くせぬ苦悩を抱えている・・・。

しかし「今ここにいる」 そのことが何とか、どうにかしてその人が「居る」ことを語っている。

もう一度繰り返すと「今ここに居る」。

辛さを何とかやりくりして乗り越え、何事もなかったように元気に佇む。

でも中には辛くて辛くて・・・本当に辛すぎてどうしたらよいのかわからない人もいると思う。

年末になるとずっと抱えていた負の気持ちのやり場がなくて、泣いてばかりいる人もいるという。

今回は楽しい話ばかりではないが何か少しでも役にたてば・・・とそんな思いで筆を走らせてみます。

26歳、幼稚園教諭からいきなり占いの世界に転職。世の中はまだ占いで身をたてる時代ではなく前例もあまりない。

ルネ・ヴァンダール先生の門下生にはなったものの助手の身分に将来の保証は何もない。

現在のように占いのスクールがあるわけでもなく、まわりからの占い情報もほとんどなし。 実家には「こんな良い仕事はない、未来は明るい。楽勝!楽勝!」と大ウソをついていたので今更引くに引けない状態だった。

しかし、父は私の捏造でっち上げ話を見抜き「三年たってもモノにならなかったら敗北宣言をして帰って来い」と時間制限をしてきた。

もうこうなれば背水の陣である。 占いはわたしの生きがいだから、これを捨てたら私の一生は無意味なものになる。

がしかし・・・。

経済的自立どころか、月末まぎわには電話・電気・ガス・水道の支払いすら滞ることもあった。

「1980年代はまだ公衆電話があちこちにあり、電話ボックスを見るたび、どんなに実家にSOS電話をしたいと思ったことか。(10円玉を30個ぐらい握りしめ、こちらが言いたいことだけダダっと話して切ってしまえる。家からの電話だと本当に言いたいことが言えなくなってしまう。)

そんな最中のことである。

師匠であり大恩人のルネ先生が大病で生死の境をさまよう事態が発生した。

講演をはじめとして多数女性誌への執筆、その他・・・諸々。 入院先の病室には「面会謝絶」の札がかかりドアの前で祈りが続いた。

しかし、現実は厳しい。 雑誌には必ず締め切りがあり、原稿が間に合わなくなると大きなペナルティが科せられる。

先生になり代わり・・・原稿を執筆する。

このような事態が突然にやってきた。 敗北宣言をして丸投げ状態のまましっぽを巻いて実家に帰るか、それとも?

選んだのは後者の道だった。 未熟者が原稿用紙に向かい、がむしゃらにマス目を埋めた。

そして、出来上がった原稿を深夜の出版社に持ち込むと担当編集者が待っていてくれた。

「ルネさん、大丈夫?」と明け方近くまで原稿に赤入れをしてくださり、読者に読みやすい占いの言葉を探し完全な原稿へと指導してくださったのである。 その後、先生は天からのご褒美のようにすっかり回復した。

が悲劇はここからが本番。

セーフゾーンに入ると人は気がぬけて一挙に下降ラインに入ることがあるが、私の身の上にも同じことが起こった。

無理をかさねた疲れからか鬱状態になった。 食欲を失い、春だというのに目に映る景色はモノトーン、配色がない。

そんな時に母から連絡がきた。

惨状を訴えると静かな声で「いいじゃないの。もう一番どん底なんだし、あとは野となれ山となれ。」というようなことを言う。 声は静かで澄んでいたが、話の内容のギャップに、なんだかガラリと舞台が変わった思いがした。

近くの公園まで歩き萌える若葉を見つめながら、これから先も生きることが許されることに心の底から感謝した。

私はこの体験から死にたいほどつらい人の気持ちが何がしか分かるようになった。 死にたいと思う人は心が弱いのでも卑怯でもない。

成功体験をひけらかし、幸運を自慢話にして生きている人の言葉のむなしさと悲しさを知った。 辛い思いは同じ経験をした人には、よく分かるものなのだ。

望まぬ道への選択を余儀なくされている、理不尽なことを押し付けられて辛い、生きていることは時としてしんどい。

そんなときには、私の母が言ったように「あとは野となれ、山となれ」的な意識の切り替えで、いったん辛い状況をデリートしよう。 ものの観かたが変わると心にはうれしい化学変化が起きてくる。

年末に向かい心の中が辛い思いで占領されているあなたは12月こそ意識転換のチャンスです。

太平洋戦争に巻き込まれ自分の意志ではどうにもならない生き方を強いられた私の母。 それでも、明るく楽しく(そんなフリかもしれないが、生涯そうのようにふるまっていたので、いつしかフリの方が本当になってしまった。)生きぬいた母。 その人が言ったことなので私には信じられる。

今日ここで書いたことは、ノンフィンクションです。 本当に切なくて、もう・・・どうしようもない・・・、そんなあなたに捧げます。

一年の終わりだからこそのお話でした。 どうかよいお年をお迎えください。

エミール

2月を前にハイキングに出かけました。

初冬の風情を感じたひとときでした。

お話/神野さち(エミール・シェラザード)先生

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