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宇佐美りん『推し、燃ゆ』で描かれる、誰かを「推す」ことの不毛さと偶像を尊ぶアイドルファンのリアル

  • 2020.11.29

――本屋にあまた並ぶ新刊の中から、サイゾーウーマン読者の本棚に入れたい書籍・コミックを紹介します。

『推し、燃ゆ』(著:宇佐見りん/河出書房)

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『推し、燃ゆ』

【概要】

2019年『かか』(河出書房)で文藝賞を受賞しデビュー、20年には同作で三島由紀夫賞を史上最年少で受賞した宇佐見りんの第2作。全力で推していた男性アイドルが、ファンを殴って炎上した。たったそれだけで、ひとりのファンの人生が揺らぎ始めるーー。

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「推しが燃えた。ファンを殴ったらしい。まだ詳細は何ひとつわかっていない。何ひとつわかっていないにもかかわらず、それは一晩で急速に炎上した」

アイドルでも声優でも俳優でも、芸能人の「推し」がいる人には端的に伝わる最低な朝の描写から始まる『推し、燃ゆ』(著: 宇佐見りん/河出書房刊)は、男性アイドルを推しながらじわじわと崩れていく女子高生の日常を、高い解像度で書き起こした中編小説だ。

アイドルグループ「まざま座」のメンバー・上野真幸を見つめ、ブログに記し、彼を“解釈する”ことに全てをささげていた女子高生・あかり。家族とうまくいかず、学校生活もままならない彼女にとって、上野真幸は人生の支柱だった。そんな大切な推しが、暴力行為で炎上。世間に飛び交う雑な“解釈”が推しの人気をあからさまに削いでいく状況に、あかりはかえって身を持ち崩すほど「推し」にのめり込むようになる。高校を退学し、アルバイトを解雇され、十分な自活能力もないまま家族から追い立てられるように一人暮らしを始める中で、「まざま座」の解散が発表される――。

『推し、燃ゆ』には、アイドルを「推す」ことで前向きになれるような出会いがあったり、奇跡の采配で「推し」と遭遇したりするような、わかりやすいドラマチックな展開は生まれない。それでも、無為に過ごした休日の夕方、荒れた部屋で「推し」だけが輝く虚無、そんな光景に覚えがある人ならこの物語に魅了されてしまうかもしれない。

本作の最も特徴的な点は、徹底的に主人公・あかりの視点で淡々と語られる独特の文体だ。彼女の興味の向く事象のみが語られるため、「推し」であるアイドル・上野真幸の容貌やちょっとした癖、彼を取り巻くSNSやメディアの動向は細やかに伝わるのに、あかり本人の容姿は髪型すらわからない。頻発する忘れ物やバイト先の居酒屋での混乱などから、彼女が軽度の発達障害を抱えているかもしれないことがおぼろげに伝わってくるが、病院で診断されたというその病名すらなおざりだ。

推しを思う時の色彩豊かで感傷的な記述も、「今やるべきこと」と「後でやりたいこと」が絡まり、行動の優先順位がなし崩しになってしまう視野狭窄気味な思考の流れも、どちらにもぴったりと沿う文体が、じわじわと引きつっていくような本作の世界観を巧みに主導する。癖になるリズムのある文章で読者を惹きつけた宇佐見氏のデビュー作『かか』(同)に続き、本作においても、映画でも漫画でもない「小説」を読む楽しみを味わわせてくれる。

オタクの生きづらさと、絶望にも似た現実

ドライブ感のある文体で浮き彫りになるのは、誰かを「推す」という人によっては理解不能な行為の一端だ。「推す」と一口に言っても多種多様で、あかりのように「推しの存在を愛でること自体が幸せ」というタイプもいれば、あかりの友人のように「触れ合えない地上より触れ合える地下」と認知と接触を求める人もいる。

「推し」を巡る、SNSを通じた交流の生ぬるい温かさも、嗜虐的なアンチの揶揄も、誰かを推した経験のある人ならたいてい見覚えのある光景だろう。そんな「推しを推す」人々とその周辺の描写を通じて、一方的で不毛な「推す」という行為から生まれる、「正とも負ともつかない莫大なエネルギーが噴き上がる」ような瞬間が、角度を変えて何度もすくい取られている。

推しに対して、「触れ合いたいとは思わなかった」「有象無象のファンでありたい。拍手の一部になり歓声の一部になり、匿名の書き込みでありがとうって言いたい」と一定の距離を保っていたあかり。「ステージと客席には、そのへだたり分の優しさがある」と思っていた彼女は、一度だけその「へだたり」を越えかけるものの全力で引き返し、その勢いのまま初めて「推し」抜きの自分自身と対峙する。

全身全霊を傾けていた推しを見つめる力が自らの荒れた心身に向けられた時、彼女が感受した世界は荒涼としたものだ。ヘビーで持て余すような日常生活に、先の見えない未来に、思うままに動かない肉体。不本意でもそれらと死ぬまで一生付き合っていくしかないという現実。それはどんなに絶望に似ていても、しかしやはり希望なのだと私は思う。
(保田夏子)

保田夏子

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