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「ステレオタイプな家族観を押し付けないで」──クィアな私が抱える孤立感。【アンコンシャスバイアスを探せ! 】

  • 2020.11.20
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Illustration: AUTO MOAI

私は生物学的には女性として生まれ、シスジェンダー、ヘテロセクシャルを自認してきたが、女性に恋愛感情を抱いたこともあり、自分のセクシュアリティは流動的だと感じている。若い頃から愛読しているのもBL(ボーイズラブ)小説や漫画などだ。だからいつも、社会で異性愛のみが標準とされることへの違和感や抵抗感を抱えてきた。そのため、「クィア」というジェンダーの表現に出会ったときには「ひとつに決めなくてもいいのだ」と思えて、プレッシャーから解放されたのを覚えている。

一方で、生活の至るところで「女性らしさ」に対するアンコンシャスバイアスに遭遇しては悩み、自分に向けられるジェンダー・ステレオタイプに傷つけられてきた。振り返れば、そうした経験は幼少期からあったと記憶している。例えば、弟たちは遊んでいてもいいのに、自分だけは娘として母の家事の手伝いをしなければならないことが多かった。母が留守のときに家事をする私は「ちびママ」と呼ばれ、性別役割分業の不公平さだけでなく、それに紐づく「将来子どもを産む人」という決めつけに苦しんだ。

Photo_ 123RF
Female hand with a wedding ring from a rainbow ribbon on a pink background. Lesbian marriage proposal.Photo: 123RF

さらに、深く傷ついた言葉があった。それは大学生の頃、親戚の集まりで生まれたばかりの従弟を抱っこしていたら泣かれてしまったときのこと。70代の祖父や40代の叔父からこう言葉をかけられた。

「女なのにそんなことでどうする。将来自分の子どもができたら困るだろう。練習だ」

女性である以上、将来男性と結婚して子どもを産むのが当然と思われているとわかった瞬間だった。このとき、周りには祖母や母など女性もいたのに誰もフォローしてくれず、孤立感を覚えた。

「異性同士が恋愛し、結婚して子どもをもつ」というステレオタイプな恋愛観、家族観を信じて疑わないのは、多様性を尊重しようとする現代の時流に反するのではないか。異性と結婚し子どもを持つ以外の選択肢があることを、もっと広く訴えていかなければいけないと思う。

日本の社会が「結婚」や「家族」に対する伝統的な価値観から解放され、同性婚の合法化をはじめ、より多様なジェンダーに対応するための法や制度が整備されることを心から願っている。そうしてはじめて、公正な社会としての一歩を踏み出せるのではないだろうか。

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Text: Yoshiko Yamamoto Editor: Mina Oba

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