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美しい言葉とはどういうもの? 谷川俊太郎×内田也哉子のスペシャル対談。

  • 2020.11.8
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都内の閑静な住宅街の谷川さんご自宅で行われた「言葉」「本」を巡る対談。内田さん曰く「節目節目にお会いできる」縁が醸し出す瑞々しい空気のなか、「私に日本語という『言葉』を導いてくれた」(内田さん)という谷川さん訳の絵本から話は始まった。

内田也哉子(以下・内田) 谷川さんが翻訳されたウージェーヌ・イヨネスコの絵本『ジョゼットかべをあけてみみであるく』は、私が3歳ぐらいのときに出版されて、当時モノを買ってもらえない家のなかで唯一オモチャらしき存在だったんです。私の言葉の原点で、あらゆる表現のなかで今でも私が影響を受け続けている絵本です。 

谷川俊太郎(以下・谷川) 僕にとってもその絵本は一番好きなもののひとつで宝物ですよ。

内田 そうなんですね! 絵と言葉の融合も含め、最高の表現は子どもから大人にまで伝わると思えるかっこいい絵本です。

谷川 そうだね、イヨネスコってもともと不条理劇の劇作家。ここまでの絵本はなかなかないです。 

内田 もう一冊、私が谷川さんの本で大切にしているのが、若きご両親のラブレターを谷川さんがまとめた『母の恋文』(新潮文庫)。私は自分の親の遺品整理はある程度できたんですけど、手紙は本当に難しくて見るのもドキドキしちゃう。特に私の両親は疎遠な関係だったからFAXでの業務連絡がほとんどで、それでもなかには言葉の端々に何とも言えない心のひだのようなものも書いてある。それは恥ずかしくて見られないです。

谷川 そりゃそうですね、親の手紙は。僕の両親の場合、あるときあまりにも大量に手紙が出てきて、細かい字で書いてあるから読めない。しかも大正時代の20代同士のラブレター。全部人に頼んで書き起こしてもらって、俯瞰しないと読んでいられなかった(笑)。身近な人の秘密に触れるようなことですからね。ただ、自分のなかに一種の興味があったんですね。

内田 手紙こそ言葉の原点のような気がします。特にラブレターは愛する人だけに伝えたいという本当にプリミティブなものですよね。

谷川 やっぱり、そうした切実な言葉は美しいと思います。それを教養ある人は格好よくするのがダメだよね。父(哲学者の谷川徹三氏)の手紙は、当時京大の優等生でやたら西洋のものを引用していた。そこはあまり美しくないよね。

内田 そうですか?(笑)でもお二人とも究極のロマンチスト。

谷川 大正時代の若い男女ってそういうものだったんだなと思います。でも今、「美しい日本語」「きれいな言葉」をちゃんと考えている人はあまりいないような気がします。面白い言葉や「なるほど」と思う言葉はあるんだけれど。

谷川さんのお父さんが学生時代、お母さんのために作った恋文詩集。すべて手製の文字、レイアウト、文庫本サイズの装丁の美しさに驚く。
谷川さんのお父さんが学生時代、お母さんのために作った恋文詩集。すべて手製の文字、レイアウト、文庫本サイズの装丁の美しさに驚く。

内田 谷川さんの「きれい」と「きれいではない」言葉はどこが焦点ですか。

谷川 一般的に言うのは難しくて、「この詩は好き」「嫌い」となっちゃう。さらにそのなかで、この人の日本語で書いている詩は受け入れられる、この人の詩は意味のあることを書いていても日本語の美しさとして生理的に受け入れられない、というのがある。だから言葉の美しさって重層的ですよね。

内田 自分が見聞きして育った土壌というものもありますよね。

谷川 そうそう、それはありますね。僕は自分の実際の知り合いで一番日本語が美しいと感じたのは、北京放送の日本語アナウンサーをやっていた陳真さんという中国人女性なんです。お互いの父親同士が知り合いで子どものころから面識があって、彼女が戦後初めて日本に来たとき話したら当時にして普通の日本語と違う。昭和初期の教養ある中流家庭の日本語なんです。戦後、もはやあまり聞かれなくなった話し方で、すごく懐かしく美しく感じた。

内田 日本の方でもオノ・ヨーコさんのように早く海外に行かれた方とお話しすると、すごく古めかしく懐かしくて、何だか情景が浮かんだり質感がとてもきれいな日本語を使われてハッとします。言葉には時代が止まったままというのもいいことかもしれないですね。

谷川 そうかもしれませんね。僕はあるとき、ヨーロッパに長く行っていたことがあって、意識的に日本語の新聞や本を読まないようにしていたんです。そうして帰国して久しぶりに週刊誌を開いたらあまりにも日本語が汚くなっていて驚いた記憶がある。毎日雑誌なり読んでいると気づかないんだけど、一旦そうじゃない世界にいて帰ってくると「こんな日本語になっていたんだ」とショックでした。今はもっとメディアの日本語は乱れていると思う。乱れているのは生き生きしていることでもあるんだけど、以前は実物と日本語がちゃんとくっついていたと思うんですよ。今は実態と離れている日本語が氾濫していますよね。

内田 何だか暗号のように。

谷川 そう。随分前に「言葉のインフレ」と言った評論家がいたけれど、今はインフレどころじゃなくて、ちょっと僕には言葉疲れというのがあるんです。SNSでもたくさんの言葉を見るのが苦痛だし、だから何か書くときだけでも出来るだけ言葉の少ない人間になりたいという気持ちがある。それで今、普通の詩のほかに最少の言葉で詩を作る試みを始めたんです。うんと短い言葉が3〜4行で組み合わさっている、というものです。

内田 どれぐらい短いんですか?

谷川 一語だけでも十分当てられたらアリで。

内田 一語!  例えば「あ!」とかですか?  そうして削ぎ落としたときの言葉の姿は他の人から見るとどんな印象なんでしょう。

谷川 人に通じるのかな? って(笑)。でも、最少の言葉だけど俳句にはいきたくないんですね。やはり現代詩にしたいですから。僕は一時期ツイッターを始めてみたとき、140字は長すぎると思ったの。だからもっと短いほうがいい。一種の反逆心みたいなものです。

谷川さんの詩集『バウムクーヘン』(ナナロク社)。タイトルは木の年輪をヒトの精神年齢になぞらえた。
谷川さんの詩集『バウムクーヘン』(ナナロク社)。タイトルは木の年輪をヒトの精神年齢になぞらえた。

内田 そういえば、この間トークイベントで谷川さんの『バウムクーヘン』(ナナロク社)から詩を3編朗読して、お客さんからも好評でした。この詩集はまるで子どもの本のようですが、「私の中に潜んでいる子どもの言葉を借りて老人の私が書いた大人の詩集」と書いてらっしゃる。「子どもの言葉で大人の詩を書く」って今までないですよ。素晴らしいと思って。

谷川 歳を取ると子どもに返るといいますよね。自分もそうなってきていて、子どもの言葉のほうが人生の一番大事なところに触れられるような気がするんです。

内田 つまり、子どもの言葉は削ぎ落とされたシンプルの極み。

谷川 そう。シンプルなことが、多分人生では一番大事なところだという気がします。世界に対して驚く子どもの気持ち。センス・オブ・ワンダーですよね。それが歳を取るにつれて強くなってきて、今まで当たり前と思っていたことが、すごく貴重に思えています。 

内田 また新鮮味を帯びて戻ってきたんですね。すごいなあ。谷川さんは翻訳もされますが、原作の意図を汲み取りながら自分の世界観で訳されるのですよね? 

谷川 もちろん。今『完全版 ピーナッツ全集』の訳もやってるから、今日もこの(スヌーピーの)Tシャツを着ている(笑)。翻訳は人が楽しめる日本語にしないといけないのが大きいから、時には意訳的なことも必要。でも、どっちが楽かというと詩の制作のほう。自分から出てくるものだから、自分だけ問題にしていればいい。「ピーナッツ」の場合はすでにある英語の言葉をどう日本語にちゃんと直すかという、次元が全然違う問題。ところで、あなたは今、翻訳しているのはどういう絵本?

内田 ちょうど昨日終えたばかりの『ピン』という心の伝え方がテーマの絵本です。私たちは意識せずとも何かをいつも発信していて、ピンポン球のようにピンッと投げて、ポンッと返るのは相手次第。時にその返事は期待通りにいかないし、コミュニケーションのヒントになるような本です。

谷川 それは面白そうだね。

内田 私は日本語、英語の両言語が中途半端で音で日本語を覚えているような人間なので、言葉がわからなくなったら「誰かがこういう発音してたな」と、響きの記憶で調べたりすることも。言葉って響きの重要性も大きいですよね? 

谷川 すごくありますよ。日本語はやはり七五調の短歌、俳句の韻律に若い人でも本能的に囚われていることが多いと思う。僕も詩を書いていると気づかず七五調のようになっていることがある。でも、そこで人が簡単に納得してしまう。

内田 耳心地がいいような?

谷川 そうそう。ただ、言葉とは、音や感情の激しさ、引っ張ることとか、そういうことから始まったと思うんですね。言葉のなかに今もその感覚は残っているんですよ。 

内田 そうですよね。例えば「石」という言葉が出来る前は石をコンコンと叩いて「コンコン」だったかもしれない。谷川さんはウチの子どもも大好きな『もこもこ もこ』とか、音だけの言葉で詩や絵本を作られていますよね。

谷川 オノマトペ。擬態語って僕は言っていて、体の状態とつながっている。日本語はそういうのが得意な言語じゃないかと思います。

全翻訳を手がける『ピーナッツ』の名キャラクター、スヌーピーのTシャツを着て自宅に迎えてくれた谷川さん。プライベートでも親交のある2人の心地よい距離感からは、知的で優しいムードが漂っている。
全翻訳を手がける『ピーナッツ』の名キャラクター、スヌーピーのTシャツを着て自宅に迎えてくれた谷川さん。プライベートでも親交のある2人の心地よい距離感からは、知的で優しいムードが漂っている。

内田 実は私、絵本と詩集以外の本をいまだにあまり読まないんです。英語の本も読むことが少ない。字が多いというだけで萎えちゃうんです。

谷川 僕と同じだ。

内田 本当ですか!?  言葉の神様なのに。

谷川 生まれつきですね。子どものときも模型作りが好きで、読書少年じゃなかった。でも今、この歳になって本を読むのが好きになったんですよ。既に仕事もたくさんしたし、連れ合いもいないし、子どもは皆自立して足はおぼつかなくて外出が億劫となれば、本を読むしかない(笑)。そうしたら、これが面白い。

内田 今、新たに面白い、ですか。例えばどんな本が?

谷川 最近だとスピノザというフェルメールと同時代のオランダの哲学者に関する本です。彼とは資質が似ていると思っていて、しかも僕とほぼ三百歳違いなんですよ。

内田 聞いたことがないフレーズ。“彼と僕は三百歳違い”(笑)。

谷川 『エチカ』という彼の有名な本があるんですが、それは面倒臭いから読まないで、『エチカ』の解説書を読んで大体こういうもんだと見当つけ感動しているわけ。一番感動したのは「自然と神は同じもの」という考え方。僕もいつの間にか同じようなことを思っていたから「あれ、僕が言ってることを言ってるじゃん」と、好きになっちゃった。思考の詩人っていうのかな。

内田 そうなんですね。しかし、谷川さんがあまり読書していなかったというのは意外です。

谷川 生まれたときから家じゅう本棚で、本の壁のなかで生まれたようなもので、基本的にその反感があるんですよ。本を読むわけでもなく普通に生きている人のほうが偉い、という気持ちがどこかにある。「妙好人」という言葉があって、学はないけれど、地道に何かを作っているような例えば普通のお百姓さんの言葉が禅にも通じることだったりする。そういう人のことを指すんです。長編小説よりそうした人たちの少ない言葉のほうが好きですね。

内田 より言葉のリアリティがあるということでしょうか。

谷川 やはり生きている人間に根差している言葉を読みたいんですね。現代詩もそこに作者の生活、生きていることが感じられるものが好きです。言葉に触れるときも自分の胸を突かれるような言葉に出会うのが一番エキサイティング。そこで自分が一歩変われるということがありますよね。だから、必ずしも本をたくさん読む必要はなくて、自分にとって必要な本を見つけることが大切なんじゃないですか。

今では入手困難な絵本『ジョゼット』シリーズ。「大人が子どもに滅茶苦茶なこと教える不思議な話。言葉を一度ゼロに戻してくれる」(内田さん)
今では入手困難な絵本『ジョゼット』シリーズ。「大人が子どもに滅茶苦茶なこと教える不思議な話。言葉を一度ゼロに戻してくれる」(内田さん)

内田 どうすれば自分に必要な本と出会うことができるのでしょうか。

谷川 その人がどこまでそういう言葉に飢えているかだね。手っ取り早く「解決しそうだから読んでみるか」でなく、何を読んでも満足できなくて自分の心が整理できないときに、飢え渇いて探していると見つかるんじゃないですか。

内田 いつの間にか引き寄せられて出会うことってありますよね。私は早めに子どもを産んで子育てや家事に追われ本を読むのに必要な静寂の時間が今に至るまで持てなくて。そんな頭がごちゃごちゃして「ああ、今日は大変」と思ったとき、占いじゃないんだけど谷川さんの本をパッとランダムに開いて、そのページに出てきた一編の詩に「ああ、今日はこのテーマで行けばいいんだ」と思えて、こんがらがっていた気持ちがスーッとほどけていく。足りない時間のなか、少ない言葉で、逆にその言葉の余韻を自分のなかで楽しむ。そういう言葉との関わり方をしています。

谷川 それは本当にいい本の読み方ですよ。多くの人が数を読むことに囚われていると思うんだよね。

内田 今は電子書籍もあるけれど、やはり手に取ったときのサイズ、質感を感じられるような本との出会いが一番幸福じゃないですか?

谷川 それはそうですよね。電子書籍は文字が大きくなるからありがたいんですが、どうも情報を読んでいる感覚になって、それが嫌なんです。やっぱり本はモノであることがいまだに大事ですね。 

内田 谷川さんがいつも時代の空気に敏感でいられるのはどうしてなんですか?

谷川 炭鉱のカナリヤなのかもしれないね。

内田 炭鉱で毒ガスが出るといち早くカナリヤにはわかるという?

谷川 そう。詩人にはそういうところがあるんじゃないかと思っているんですよ。自分がカナリヤのように時代の空気を感知しているかどうかは別として。

内田 でも、時代とそうありたいと思っている?

谷川 そうですね。三島由紀夫さんは「時代と寝る」と言ってたんだよね。その表現はあまりピンと来ないけど、今、自分が生きている時代とちゃんと関わっていたいと思いますね。歳を取ってくると段々それも嫌になって、時代と関係なく息をしたいという気持ちもあるんだけど。

内田 でも、確かに炭鉱のカナリヤのように谷川さんが無意識にスッと時代の空気を嗅ぎ分けられるというのは情景が浮かびます。

谷川 詩の場合は時代から超越しているものもありますけどね。

内田 そうか。詩は今の言葉ばかりじゃないですものね。でも、2020年の今を生きる谷川さんが昔の言葉や子供の言葉を縦横無尽に紡ぐ佇まいは、まるでひょいと時空超える魔法使いのようです。

谷川 自分はそれしかできないですからね(笑)。

Profile

谷川俊太郎

詩人/1931年生まれ。二十歳の頃に詩集『二十億光年の孤独』(1952)を刊行以来、70年近くにわたり言葉と向き合う。その活動は詩だけでなく翻訳や絵本、脚本、作詞と幅広い。今年で生誕70周年を迎える『ピーナッツ』の名訳でも知られる。  

内田也哉子

文筆家。エッセイ、翻訳、作詞以外に、音楽ユニットsighboatで歌や映画出演も。1976年東京生まれ。ミュージシャンの内田裕也を父に、女優の樹木希林を母に持ち、幼少の頃から欧米で学ぶ。ユニークな環境で育ち培ってきた独自の存在感は、多くのクリエイターを刺激している。

Photos: Kento Mori Text: Hiromi Yoshioka Editors: Gen Arai, Mina Oba

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