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東京都庁の中に1000坪の宮殿? 30年前うわさされた「大理石風呂伝説」とは何だったのか

  • 2020.11.2

1991年に開庁した新宿副都心の東京都庁。そんな当時にうわさされていた「大理石風呂伝説」について、20世紀研究家の星野正子さんが解説します。

外観が立派な都内の公共施設

都内では現在、公共施設の建て直しが進んでいます。また建て直しではなくとも、バリアフリー化など時代に即した改装が数多く行われているため、昔ながらの「これぞ公共施設」といった無機質な建物は見かけなくなりました。

ただし区役所は公共施設のなかでも、意外に古いままです。世田谷区の第1庁舎(世田谷区世田谷)と北区の第1庁舎中央棟(北区王子本町)はいずれも1960(昭和35)年の完成で、築60年を迎えています。

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東京都庁(画像:写真AC)

とはいえ、北区のほうは手狭になってあちこちに分庁舎を造っているため、その状態を脱するため、新庁舎建設を準備しています。こうした区役所も次第に姿を消していくことになるでしょう。

建て替えられた公共施設は、立派な建物になるのが一般的です。2019年1月にリニューアルした渋谷区役所本庁舎(渋谷区宇田川町)は近未来的な印象を受けます。

現在は防災拠点としての公共施設の重要性が理解されているため、空間を広めに確保したり、頑丈で立派な建物にしたりすることに異議を唱える人はあまりいません。

地方では建て替えの際に新庁舎の位置や施設内容が問題になるケースもありますが、東京では外観を立派にすることは半ば常識と言えます。

1991年に開庁した東京都庁

そんな感覚が定着する以前の時代、役所の立派な建物はそれだけで批判の対象になることがありました。

その代表例が、1991(平成3)年4月に開庁した現在の東京都庁です。

新宿副都心に新築移転する以前、都庁は東京国際フォーラム(千代田区丸の内)の場所にありましたが、その移転計画は1970年代から始まっていました。1957(昭和32)年に完成した旧都庁は20年あまりで手狭になり、周囲に分庁舎を造っていたからです。

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1986(昭和61)年発行の地図。現在の国際フォーラムの場所に、東京都庁の記載がある(画像:時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ3」〔(C)谷 謙二〕)

こうしたなか、1979年に就任した鈴木俊一都知事は高層ビルの建設が進む新宿副都心への都庁移転を推進。1985年に「東京都庁の位置を定める条例」が可決、翌年には丹下健三の設計案が選ばれます。

官僚から副知事の経験を持ち、都知事になった鈴木俊一は死去から10年を過ぎた現在でも、いまだ評価の定まらない人物です。

当時、東京都が抱えていた財政赤字を一時は解消したと評価される一方、箱物行政の推進で再び悪化させたという批判もあります。その評価はいずれ歴史として語られることになるでしょう。

知事室にあるとうわさされた大理石風呂

移転か新築かで揺れていた東京都庁ですが、新庁舎の建設が進むとそれまでの役所にはなかった豪華さが明らかになり、批判の対象になります。

1989(平成元)年12月、東欧のルーマニアでは革命が起こり、当時のチャウシェスク政権が打倒されます。時を同じくして、チャウシェスクが私腹を肥やし豪華な宮殿を建てていたことも明らかになります。それになぞらえて、新庁舎には「チャウシェスク宮殿もどき」といったような露骨な批判もぶつけられました。

批判のなかで、まことしやかに語られるようになったのが「大理石風呂伝説」。なんと第1庁舎の7階に造られる知事室に、豪華な大理石の風呂があるといううわさです(後に誤報と判明)。

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大理石風呂のイメージ(画像:写真AC)

この知事室階は賓客などに対応するため、ほかの階に比べて天井が高く、2階分のぶち抜きに見える構造となっていました。さらに庁舎には、柱を少なくして空間を有効に使う「スーパーストラクチャー構造」も採用されていました。

さらにこのフロアにだけ、装飾に大理石が使われていました。この大理石はイタリアなどからの輸入品ですが「値段は並」のものが用いられたとされています(『週刊文春』1990年6月7日号)。

広がり続けた知事室のうわさ

ところが時代はバブルの真っ最中。地価は高騰し、庶民が家を買うなど夢のまた夢。年末ジャンボ宝くじの1等が当たっても都心に家など買えないような時代でした。そんな時代ゆえに、うわさはどんどん具体化して広がっていきます。

知事室のフロアは1000坪もあって、大理石できらびやかな宮殿のようで豪華な風呂までついている……というものです。その豪華な風呂は展望風呂になっているといううわさもありました。

実際、7階にはシャワー室が設けられていました。しかし一般に示されているのは図面のみ。そのためか、「大理石風呂伝説」を信じる人たちの想像力は止まりませんでした。

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大理石風呂のイメージ(画像:写真AC)

当時の記事を見ると、豪華な風呂があるのではないかと何度も質問された東京都の担当者が、次第に怒気をはらんだコメントになっているのがわかります。

都庁そのものを豪華だと批判する言葉も次第に洗練(?)されて、「現代版鹿鳴館(ろくめいかん)」「エンペラー都庁」といった呼び方に変化していきました。

老朽化の声も聞かれ始めた都庁

そんな批判は鈴木知事本人にも及んでいるのですが、これに対する鈴木知事の回答がさえています。

「確かに、戦争中の施設に比べたら、ゴージャスですし、すべてが新しいものになっているわけですから、昔に比べたらぜいたくになるというのは当然でしょう」(『週刊テーミス』1990年5月30日号)

鈴木知事は自宅で直撃されたため、何か面白い言葉を返そうとしたのでしょうか。何か憎めない印象を受けます。

こうした批判のなかで誕生した新都庁ですが、オープンすると一転、人気スポットになりました。その高さ(243m)は当時、サンシャイン60(240m)を抜いて日本一。展望台は2時間待ちの行列ができるほどでした。

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東京都庁の展望台からの眺め(画像:写真AC)

一種、役所を立派な建物にするという先行例となった東京都庁。しかし完成から30年近く経過し、最近は老朽化が問題となっています。時の流れは実に速いものです。

星野正子(20世紀研究家)

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