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批判するだけでは「24時間テレビ」を正しく評価できない

  • 2020.8.25
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「募金ラン」に参加した土屋太鳳さん
「募金ラン」に参加した土屋太鳳さん

夏の風物詩「24時間テレビ」が今年も放映されました。今年3月、新型コロナウイルス感染症による肺炎で死去した志村けんさんを追悼するドラマや、昔の番組の秘蔵版が放映されるなど、従来の障害者支援よりエンタメ色が濃い内容となりました。

今年も番組放送後、募金総額が報道され、出演者のギャラや番組制作費、定番のお涙頂戴的な番組内容に批判の声が上がりました。筆者は学生時代から障害者支援活動に携わり、現在は障害者支援団体を運営しています。「24時間テレビ」については、賛否を含めて話題になることから、啓蒙や教育的効果が期待できるという肯定の立場です。

日本における寄付の現状

皆さまは、チャリティーなどにおける日本の寄付の現状をご存じでしょうか。英国に本部がある慈善団体「Charities Aid Foundation」の「world giving index 2018」では、日本の寄付活動が先進国最低の128位であることが明らかになっています。

認定NPO法人日本ファンドレイジング協会が公開する「寄付白書2017」によると、日本全体の寄付市場規模は7756億円(名目GDP比0.14%)、米国30兆6664億円(同1.44%)となっています。日本の個人寄付平均額は2万7013円、米国1155ドルです。

2017年の米ドル対円相場が115円ですから、米国の個人寄付平均額は13万2825円。日本の約5倍です。日本は寄付率も1人当たり寄付額も低いと言わざるを得えません。これらを踏まえれば、「24時間テレビ」の活動意義は非常に大きいと考えられるのです。

「24時間テレビ」について、募金の使い方に異論を唱える人がいます。公益社団法人24時間テレビチャリティー委員会として、事業報告書/決算報告書/事業計画書について情報公開を行っています。批判される方は、公開されている情報を精査してください。詳細が確認できます。

「参加者の芸能人にギャラを支払うことはおかしい」と言われる人がいます。しかし、1回の放送で億単位の募金を集めることができる「24時間テレビ」の存在は貴重です。

チャリティーのあり方について議論が起こることはよいことです。しかし、単純な番組批判をしたところで何の発展もありません。公益法人、特定非営利活動法人、大学法人、社会福祉法人のファンドレイジングや、芸能人やスポーツ選手などのチャリティー参加のあり方などについて考察することで議論が深まると考えています。

募金は何に使われているか

メインの福祉支援としては、福祉車両(リフト付きバス、訪問入浴車)、盲導犬の啓発事業があります。2016年12月14日の日テレニュースによると、39年間で1万647台を贈呈したとあります。年間273台平均です。金額は5億~6億円程度で募金総額の約半分程度が充当されているものと考えられます。誰も文句をつけられない支援といえるでしょう。

テレビ局はチャリティーが本業ではありません。そのため、プロフェッショナルな支援活動には限界があります。番組には当事者の思いや願いを反映させることが望ましいはずです。そのためにも、専門家が一層の知恵を絞っていくことが望ましいと思われます。

また、募金活動は日テレが行っているのではありません。公益社団法人24時間テレビチャリティー委員会が行っています。番組制作費と募金は別会計で、テレビ局として募金そのものにはタッチしていません。従って、出演者にはギャラを払うという建前があるのだと考えます。

営利企業であるテレビ局が番組制作費まで無償で提供する必要性はありません。出演者のギャラについても同じことがいえます。テレビ局や広告代理店はスポンサーから多額の広告収入を得ています。「すべてチャリティーだと思い込む」のは視聴者の勝手なのです。

日本では、「ボランティアとは無償で運営されるもの」と考えている人がいます。そのような考え方を持つと、番組を正しく評価できなくなります。事実、「24時間テレビ」のチャリティーにより多くの募金が集まり、それが被災地や恵まれない人たちのために使われていることは間違いないからです。

「障害」とどのように向き合うのか

「障害」について、アカデミックの領域では、「インペアメント(個人の障害)」と「ディスアビリティー(社会の障害)」を系譜や概念から区別しています。米国と英国では研究が盛んですが、米国では「社会の偏見」「健康な者を中心とした価値観」、英国では「社会制度上の障害者差別や排除システム」などが該当します。

障害を「個人の属性」ではなく「社会の障害」として捉えることは、日本で話題になる「障害」を「障がい」と表記することの議論にも似ています。障害の問題とは「障害」を「障がい」に変えれば解決するような問題ではありません。このようなことが議論になること自体が「社会的障害」なのです。

チャリティーという意識が浸透していない時代、「24時間テレビ」の持つ意義は非常に大きかったと考えています。多くの芸能人が参加し、国民も番組に熱狂しました。これからも、「24時間テレビ」は時代に即した形で変化し、継続していくことでしょう。

コラムニスト、著述家、明治大学サービス創新研究所客員研究員 尾藤克之

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