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「ナチュラルな可愛さ」に、「作られた可愛さ」は勝てないのか?

  • 2020.8.22

地球上のどのような生き物にも共通して言えることなのですが、気になっている異性にアピールする際、自分をより美しく、かわいく、格好良くなど、より良く見えるようにある程度の演出を無意識に加えています。
なかでも鳥類の求愛行動は、美しい羽を広げたり、雌の前でダンスを繰り広げたりととても興味深いです。
さて、人間は何をするのか言うと、最近の言葉で言うと「盛る」ことになるわけですよね。お化粧もそうですし、ヘアースタイル、ファッション、喋り方など、気になる異性に接触する際は気合を入れていきます。私もそうです。
しかし、ごく稀に、生まれながらにしてナチュラルに可愛いひとっていますよね……。
こちらの努力が馬鹿みたいに思えるくらいです。「神様は不平等」そう思うかもしれませんが、絶対に理由があるはずです。
果たしてあのひとたちは、なんであんなにかわいく見えるのでしょうか?

ナチュラルにかわいいひととは?

そもそもナチュラルにかわいいひとってなにかと言いますと、特別何か濃い味の自己演出を行っているようには見えないけれども、なんとなくかわいい女性のことを指しています。周囲にそのような女性はいないでしょうか?
メイクや服装も無印良品っぽいナチュラルなまとめ方で、適度な清潔感も持ち合わせています。そして、性格や言動も自然で品があるので、誰にも悪い印象を与えません。
自分磨きの努力をふだんから怠らない人にとっては、とてもうらやましく見えるかもしれませんよね。
しかしこういったナチュラル女子たちは、本当に何もせずに自然体のまま、我々の前に現れ、みんなを虜(とりこ)にしているのでしょうか?

作られたかわいさとは?

基本的に可愛さとは、不断の努力のうえにつくりあげられるものです。
鏡の前で自分はどの角度が魅力的なのかを探ったり、体型を維持するためにスポーツジムに通う。また、肌の状態を美しく保つために食生活を改善するなどしたうえで、築き上げられるもの。
おそらく、本当に何もせずにそのままの状態で可愛いひと。なんていうのはほんの一握り。全人口の数%くらいしか存在しないと思います。
「じゃああの一見ナチュラルで何も作られていない、未加工で無課金で無印な雰囲気の女性たちは何なのだ?」と疑問に思うかもしれませんが、その「ナチュラルさ」でさえも作られたものだったとしたらどうでしょうか?

無味無臭という自己演出

自分を最大限に可愛く見せる手段と方向性を試行錯誤した結果、ナチュラルな雰囲気、服装、言動であったということで、たまたま自己演出が引き算だった結果なのかもしれません。
通常、自己を演出するとなると、何かを付け足していく行為と捉えられがちです。
新しい洋服、化粧品、装飾品、新たな知識や教養、交友関係、行動範囲の拡大などです。
しかし、ナチュラル可愛い彼女らの到達点は、その逆で「自分の要素を削ぎとしていく」という行為だったのです。
なので、周囲からは彼女の可愛さは見た目も、そこに至る過程も「ナチュラルなのだ」と、良い意味で勘違いされているのです。

さいごに

広告デザインやWEBサイトのデザインの領域においても、ユーザーに情報をより伝えやすくするためには要素を足してばかりでは、情報が煩雑になり逆効果になってしまうことがあります。
こう言った場合は、誌面を構成する要素を引いていってシンプルなデザインを心がけるのがセオリーです。
自分を磨いて美しく、可愛く見せたい部分にもよると思うのですが、「自分には何かが足りないかもしれない」そう思ったときには何かを足していくことばかりを想定せずに、パーツごとに切り分けて、要素引いていくという考え方も必要なのかもしれません。
そのひとによって、何をすれば輝くのか。
その方法は違ってくるかもしれませんが、目の雨に「なんだかよくわかわらないけどかわいい」という人物が現れたら、じっくり観察してみると、その人の努力や、可愛さの理由が見えてくるでしょう。
(ライター/吉田ヨシヲ)


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