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夫が不倫していることに妻として絶望しています。どうすればいいのでしょうか?【ひとみしょうのお悩み解決】

  • 2020.8.10
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“【お便り募集】文筆家ひとみしょう お悩み解決” に送っていただいたお悩みの中からひとつピックアップしてひとみしょうさんがお答えしていきます。

「あゆみさん44歳」のお悩み

『不倫しまくっている彼の本心とは?』を読ませていただき、まさにこのような状況の夫を持った妻側の立場の「絶望から救われる方法」を教えていただきたいです。

多くの不倫に対するコラムを見て気持ちの落とし所を探しましたが、今回のような夫が絶望しているという視点のコラムを見たのは初めてでした。

不倫女性に対する解決コラムのはずが、不倫されて絶望している妻の気持ちにも刺さるコラムでした。ならば不倫されて絶望に追い込まれた妻の絶望からの救われ方も教えていただきたいです。

その答えを見つけられず絶望から抜け出せずにいます。よろしくお願いします。

〜ひとみしょうのお悩み解決コラム〜

絶望している人は、「自分に」絶望している――これが、キルケゴールの絶望哲学のベースです。つまり、あゆみさんは、「不倫している夫に」絶望しているのではなくて、「夫が不倫していることに絶望している自分に」絶望している、と言えます。

別の言い方をすれば、夫が不倫をやめれば、自動的にあゆみさんの絶望が消える……と、みなさん思うと思うのですが、そうではないんだよ、と、キルケゴールは言うのです。

なぜなら、夫が不倫しようと犯罪者になろうと、絶望しない人は絶望しないから。

なんだか、とても極端な話に聞こえるかもしれませんが、今回のお話の出発点はここです。絶望している人は、自分に絶望している――ここから話を始めます。

自分に絶望するとは、どういうことなのでしょうか?

さて、自分に絶望するとは、どういうことなのでしょうか?

たとえば、あゆみさんの旦那さんが不倫などしなければ、あゆみさんはきっと、「自分が理想とする夫婦関係」のなかで、「理想どおりの」生活を送れたでしょう。そして、その理想どおりの生活をする「理想の自分」、つまり、今の自分とは少しあり方がちがう自分、ようするに、今の自分とはちがう<別の自分>になることを、あゆみさんは夢見ていたでしょう。

今よりもう少しラブラブな夫婦関係を目指したい。そうすれば、今の自分よりもう少し魅力的な自分になれるはず。今の自分よりもう少し希望に近い場所で元気に生きる自分になれるはず――こういうことを夢見ていませんでしたか?

ふつうはそういう夢を見るのではないかとぼくは想像します。夫婦ラブラブで、わずかずつでもいいから、さらなるラブラブを目指し、さらに生活の質を向上させ、その結果、さらにより良い自分になりたい――たいていの人はそう夢見ているのではないかと思います。

がしかし、その<別の自分>になれなくなった。なぜなら、旦那さんが不倫したから。

旦那が不倫さえしなければ、あれもこれも思い描いていたことが実現して、その結果、理想の自分(今の自分とは別の自分)になれる予定だったのに、それが叶わなくなった――じつは、このことに、あゆみさんは絶望しているのです。

夫が不倫したことに絶望しているのではなく、理想の自分、すなわち別の自分になれなくなった、そのなれなさに、あゆみさんは絶望しているのです。

別のたとえをするなら、夫にあれもしてあげたかった、これもしてあげたかった。でも、夫が不倫してしまったから、あれもこれもしてあげることができなくなった――このことに絶望していることを「夫が不倫して絶望している」と言っているのなら、それは、「あれこれしてあげる自分=今の自分とはちがう別の自分」に、もうなることができなくなった、そのできなさに、絶望しているのです。

もっとわかりやすい例を挙げましょうか? 失恋したひとりの女子が絶望しているとしましょう。彼女は、振られたことに絶望しているのではないということです。彼氏と交際し続けていたら「理想の自分」になれたのに、振られたことによって、別の自分になれる可能性が0%になった、そのことに絶望しているのです。

自分に絶望している人は、どうすれば救われるのでしょうか?

では、自分に絶望している人は、どうすれば救われるのでしょうか?

絶望する可能性と、希望をもって生きる可能性の2つの可能性を、あゆみさんは持っていると、キルケゴールは言います。

つまり、絶望している人は、今この瞬間に、絶望するほうを自分で選択した結果、絶望しているのだと言うのです。

なぜなら、今という時は、過去とはなんの関係もなく、ただここに存在するだけだからです。

わかりますか?

済んだことは済んだことです。それとはまったく独立に、今という時は訪れているということです。

簡単に言うと、今という時は「まっさらな今」であるにもかかわらず、その世界をみずから真っ黒に塗るところから絶望は生まれるということです。

「変化」に敏感になること

では、今を「まっさらな今」として感じようと思えば、どうすればいいのでしょうか?

済んだことを済んだこととして認識することだと、キルケゴールは言います。

あゆみさんの旦那さんが不倫したのは過去のことです。ただ今現在、どこかで逢瀬中? でも、その「今」は、どんどん過去のものになりますよね?

済んだことに集中するのではなく、「今」に心を添わせること。別の言い方をすれば、頭でなにかを考えるのではなく、五感でなにかを感じること。花鳥風月を愛でる、でもいいし、おいしいものを食べる、でもいいのです。今なにかを感じること、これが大切だとキルケゴールは言います。

なぜか?

あゆみさんがこの世に生まれてきた理由や、旦那さんと出会って生活をともにしている理由――これらの理由は、つねに変化しているからです。

その変化に敏感でありさえすれば、人はたとえ絶望に陥っても、軽症で済むのです。反対に「旦那が不倫した!わたしの人生おわった!」と、毎日・毎時間嘆いていては(=つねに過去に心奪われて、変化に鈍感になってしまうと)、重症化します。絶望がさらなる絶望を呼んできて、あげく、死にたくても死ねないことになります。その、死にたくても死ねない、死ねなさのことを、キルケゴールは絶望と定義しているのです(本当にそうやって本に書いてあります)。

旦那さんが不倫していることに絶望しているのではなく、「今の自分のままこの先もずっと生きていかなくてはならないこと」に絶望している――話の出発点であるこのことは、ことのほか重要な点です。

どうか、かみしめていただければと思います。

※参考:キルケゴール・S『死に至る病」(鈴木祐丞訳)講談社(2017)

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