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なかなか結婚に踏み込まない男性のホンネとは?【ひとみしょうのお悩み解決】

  • 2020.8.9

“【お便り募集】文筆家ひとみしょう お悩み解決” に送っていただいたお悩みの中からひとつピックアップしてひとみしょうさんがお答えしていきます。

「いよかんさん36歳」のお悩み

こんにちは。ひとみしょうさん。
いつもコラムエッセイで男性目線の新しい発見をさせてもらっています。
わたしは30歳で今の彼氏(ひとつ年下)に友達の紹介で出会い、今年で付き合って6年目になります。
わたしは付き合ってから結婚&子どもを持ちたいという気持ちを伝え、私の両親にも何回か会ってもらいました。
しかし、彼は自分の両親に私が挨拶に行くことを拒み、わたしは一度だけ偶然に顔を合わせた彼の母親に自己紹介をしただけです。
同棲を始めて3年目になりますが、家事の分担や休日の過ごし方には特に問題はなく、2人で楽しく過ごしてきました。しかし、時だけはダラダラ過ぎてしまい、結婚の話をしても、「ケンカになるときの原因はいつも私にあり、そこが不安で結婚に踏み込めない」と彼は言い、話し合いは堂々巡りです。
彼曰く、素直に彼の意見やアドバイスに「うん』と言えないことが理由だそうですが、私が素直になれなくなってしまったことにも原因があります。それは、彼が隠れて風俗通いとマッチングアプリで女性とやり取り、場合によっては会ったりしていることを知ってしまったことです。
彼に追求し、やめてほしいことを伝えてきましたが、改善は見られていません。彼への信頼や尊敬の気持ちも薄れてきました。
私の中で気持ちの整理がついてきたので、別れを決めようと思っています。しかし、なぜ彼からは私に別れを告げることなく、日々を一緒に過ごしているのか、もはや彼の気持ちも分かりません。
彼は長男で実家稼業のこともあり、結婚にはより慎重にもなっているのかなとも思いますが、もう待つことはできません。
まだ自分の人生を考えていない、子どもなのでしょうか?
どうかひとみしょうさんのご意見、ご指南を聞かせて頂けたら幸いです。

〜ひとみしょうのお悩み解決コラム〜

そうですね、ぼくも別れたほうがいいと思います。

そう思う理由を、以下に述べます。

「ケンカの原因はいつも彼女にある」と言う彼を精神分析するなら

「ケンカになるときの原因はいつも私にあり、そこが不安で結婚に踏み込めない」と彼は言うとのことですが、ケンカになったとき、その原因はつねに相手にあると考える人は……大きな声で言えませんが、ぼくは心が狭い偏狭な人間だと思います。

ケンカの原因なんて、往々にして双方にあるものだし、もっといえば、ケンカをしてしまうふたりの精神が「子ども」なのです。ケンカって、端的にそういうものなのです。

世の中には「怒ったら負け」という言い方がありますが、「ケンカしたら負け」なのです。つまり、自分の未熟さや未分化さを自責するというのが、ケンカのあとの「正しい」態度なのですよ。

その意味で彼は「子ども」だと言えます。だから、別れてもいいんじゃないのか、と思うのです。

それと、「ケンカの原因をつくる彼女」と結婚するのは「不安」だという言い方も、ぼくはちがうなあと思います。

まあ、そう思う彼の気持ちが理解できなくもないのですが、彼女に対してそう思うということは、そもそも愛していないんですよ。

いえ、彼はいよかんさんのことを愛していますよ。でも「愛し方」が、いよかんさんが思う愛し方とはちがうんですね。

どうちがうのか? 彼は「これはこうすべき、これはこうあるべき」と考えて「あるべきものが、あるべき姿で存在すること」を美しい・愛おしいと考える人です。

つまり、自分が理想とする枠の中にいよかんさんが収まっているうちは愛してくれるんですよ。でも、ひとたび、いよかんさんがその枠から外れたら、とたんに「こんな彼女ではない!こんな彼女をおれは愛せない!」と思うのです。ようするに「子ども」なんです。

「べき論」に生きる男と、愛の世界を情感豊かに生きる女性……この落差に悩んでいるカップルはたくさんいます。いよかんさんは、そんな「答えの出ない」悩みにハマる必要はないと思います。別れよう!

風俗通い・マッチングアプリ狂の彼を精神分析するなら

次に、風俗に通ったり、マッチングアプリでヤレそうな女子をあさったりすることについて。

これはようするに、彼は自分の人生に絶望している、ということです。

絶望という言葉をほかの言葉で言い換えるなら、「誰といても、なにをやっていても、なんとなく淋しいと感じる」とか、「彼女がいても毎日がパッとしないと思う」とか、「別の自分に生まれ変わりたいと思っている」ということです。

とは言うものの、彼はいよかんさんのことが好きだし、感謝しているんです。

好きだし、感謝しているけど、でも「もしかしたら今以上のしあわせを俺は手に入れられるかもしれない」と、つい「夢を見て」しまうのです。

今以上の幸せ、というのは、いよかんさん以上の女性と出会って付き合うこと、ということも含まれます。がしかし、しつこいようですが、彼はいよかんさんのことが好きだし、感謝しているんです。

それとは独立に、夢見るクセがついてしまっているのです。

ほら、隣に美しくやさしい彼女がいるにもかかわらず、「人生真っ暗だ!」と嘆く男が、ときどき映画に出てきますよね? それが彼です。

なぜ彼は絶望しているのか?

なぜ彼は絶望しているのか?

頭でっかちに生きているから。別の言い方をすれば、感覚が死んでいるからです。

いえ、なにも心配はいりません。たいていの男は感覚器官をみずから殺して、頭でっかちに生きているから。今の社会がそう生きるように暗に強制しているんですよ。その強制を、なんの疑いもなしに受容してしまったのが彼です。だから、彼もいわば被害者なのです。

彼は、絶望が希望に変わるという、端的な事実を知りません。また、どうすれば絶望の淵から救われるのかも知りません。

だから「今この瞬間」を刹那的に生きます。具体的には、人肌のぬくもりをつかの間感じることで「今を生きているような感じ」に酔いしれます。酔いがさめるとまた淋しくなって、女をあさります。

絶望している人って、そういう「しんどい」サイクルから抜け出せないのです。だから、絶望は絶望を呼んできて、果てしなく絶望が続く――つまり、死にたいのに死ねない、その死ねなさが絶望だと、「絶望のプロ」であるキルケゴールという哲学者はいうのです。

彼がもし、いよかんさんと別れたら、彼はいつまでもいよかんさんのことを引きずるはずです。「いい女だったなあ」と思って、マスターベーションするなんて、朝飯前でしょう。

彼は、絶望の出口を自分で見つけないと救われません。見つけ方を書いた拙著が今夏、全国発売になるので、よかったら買って、彼に差し上げてください。「風俗通いの男」に向けても、ちゃんと言及しています。(ひとみしょう/作家・コラムニスト)

※参考:キルケゴール・S『死に至る病」(鈴木祐丞訳)講談社(2017)

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