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恋愛がうまくいかない・恋人との距離感がつかめない・・・解決法はこれ!【ひとみしょうのお悩み解決】

  • 2020.8.4

“【お便り募集】文筆家ひとみしょう お悩み解決” に送っていただいたお悩みの中からひとつピックアップしてひとみしょうさんがお答えしていきます。

「すみすみれさん43歳」のお悩み

いつもためになるコラムありがとうございます!
悩みごとです。
離婚して子育てしていた30代に恋愛をずっとお休みしていたのもあり、上手く恋愛が出来なくなってしまってます。
久しぶりに彼ができたと思ったら既婚者だったり、1週間LINEを放置されたり、付き合う前には連絡がマメだった人が付き合ってエッチした途端LINEの回数が激減したり……。
もともと友達も少なく、職場での人間関係も上手くいかなくて辞めてしまったり、恋人に限らず人との距離感が上手くつかめません。
何か趣味があればいいのですが、彼氏より夢中になれるものがなく、ついつい恋愛中心の生活になってしまいます……。
毎日がしんどいです。これは甘えなのでしょうか??

〜ひとみしょうのお悩み解決コラム〜

これは甘えではなく絶望です。

「あなたは人生に絶望していますね」と言うと、おそらく大半の人が「そんなことない」と答えると思います。場合によっては怒ると思います。

が、たいていの女性は、自分の人生に絶望していて、なおかつ、その事実を自分や他人に隠しつつ生きています。きっと「あの人は絶望しているらしいよ」とか「あの人は友だちが超少ない淋しい人だ」と他人から言われることを、とても屈辱的に感じるからでしょう。

あなたの診断結果はこれ

すみすみれさんのことについて。

相談文に「30代に恋愛をずっとお休みしていたのもあり、上手く恋愛が出来なくなってしまってます」とありますが、では20代の頃は恋愛がうまくいっていたのかといえば、きっとそうでもないとぼくは推測します。

そして現在。「恋人に限らず人との距離感が上手くつかめ」なくて、かつ、「彼氏より夢中になれるものがなく、ついつい恋愛中心の生活になってしま」うということが、すなわち、端的に、自分に絶望している人の特徴です。絶望とか、なんとなく淋しいといった感情とか、あるいは世間にうまく馴染めない馴染めなさについて哲学したキルケゴールという哲学者は、そう言います。

「毎日がしんどい」というのも、絶望している人の特徴です。「しんどい」というのは、具体的には、「毎日、なんとなくパッとしない。毎日なんとなく仕事がつまらない。誰と一緒にいてもなんとなくつまらない。<みんな>わたしと違って、充実している生活をしているように感じる」といったことです。

ようするに「毎日、漠然とした淋しさに捉われている」のです。今さらいうまでもないことですが、「漠然とした淋しさ」とは、端的に絶望のことです。

「なんとなく淋しい」の「なんとなく」の正体はこれ

さて、では、「毎日、漠然と淋しい」という状態、すなわち、絶望とは、どのようなものなのでしょうか。「なんとなく」淋しいのが絶望であって、その理由は特定できない?

いいえ、そんなことはありません。これについても、キルケゴールはちゃんとその著書に書いています。

なんとなく淋しい気持ち(絶望)とは、可能性を選択しないことから生まれる――彼はたとえば、このように言います。以下に具体的に説明しますね。

わたしたちは、今この瞬間を生きています。すみすみれさんがこの文章を読んでいる、まさに「その」瞬間に、すみすみれさんは生きていますね?

その「今」とは、可能性を含み持っています。たとえば、「今」これを読むのをやめてトイレに行く、という可能性を持っていますね。でも、すみれさんはその可能性を選択せず、引き続きこの文章を読んでおられる。

「今」という時は、それがいついかなる時の「今」であっても、可能性をもっています。具体的には、たとえば「次の瞬間から、<なりたい自分>になる」という「可能性」を持っています。彼氏以外に夢中になれない、ということで言うなら、たとえば、「次の瞬間に、生け花に夢中になる生き方を選択しよう」と思って、実際にそうすればそうなれます。

がしかし、たいていの人は「それは頭で考えた<ただの可能性>であって、次の瞬間に<新しい自分/別の自分>になど、なれるわけがない」と思っていますね。

だから、次の瞬間も、明日もあさってもずっと、なんとなく淋しいのです。

つまり、わたしたちは、AとBという2つの選択肢をつねに持っていて、ABどちらも選ぶことのできる「自由」を持っています。が、「より不幸になるほうを」選ぶものだから、なんとなく淋しいという気持ち(=絶望)が続くということなのです。

「なんとなく淋しい」状態を卒業する方法はこれ

ではなぜ、より不幸になるほうを、わたしたちはミスミス選択してしまうのでしょうか?

答えは、心が過去に縛られているからです。

たとえば、「あの頃の」受験の失敗をもとに「わたしは要領が悪い」と思っている。あるいは、「あの頃の」失恋をもとに「わたしは恋愛が下手なキャラだ」と思って、自分で自分のキャラを固定してしまっている。

ということは、「キャラ変」をしてあげると、なんとなく淋しいという感情は消えてなくなってくれる、と言えますね。

わたしたちは、「わたしはこういう人間だ」と、自分で決めています。あるいは、周囲に人(家族や会社の人など)に、「あなたはこういう人」と思われている自分を「相手が設定したキャラのとおりにふるまうべきだ」と思っていますね。

そこが問題なんです。それが、「恋人に限らず人との距離感が上手くつかめ」ない原因であり、「彼氏より夢中になれるものがなく、ついつい恋愛中心の生活になってしま」う原因なのです。

抽象的にいえば、「今」という時を、過去として生きるのではなく(=過去に心縛られたまま暮らすのではなく)、「今」を「過去など関係ない<まっさらな今>」として生きると、「理想の自分」になれるのです。

そのためには、頭であれこれ考えないで、もっと感覚器官を使うことです。花鳥風月を愛でることです。なにかまったく新しいことをすることです(たとえば、資格取得のために学校に通うとか)。

類は友を呼ぶ

そういうのができない人のもとには、おなじく、そういうのができない「なんとなく淋しい人」が集まります。そういうのって「におう」から、「類は友を呼ぶ」んです。だから、「久しぶりに彼ができたと思ったら既婚者だったり、1週間LINEを放置されたり、付き合う前には連絡がマメだった人が付き合ってエッチした途端LINEの回数が激減したりという憂き目にあうのです。「もともと友達も少なく、職場での人間関係も上手くいかなくて辞めてしまったり」するのです。

今から200年ほど前に、どことなく世間に馴染めず、恋愛もうまくいかず、親ともうまくいかないことに悩んでいたキルケゴールは、今のわたしたちに十分通用する「哲学」を残してくれています。

ぼくは彼のことを、心の底から「無二の親友」と思っています。(ひとみしょう/作家・コラムニスト)

※参考:キルケゴール・S『死に至る病』(鈴木祐丞訳)講談社(2017)ほか

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