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マーガレット王女&スノードン卿、世紀のウエディングを振り返る

  • 2020.6.5

ロイヤルウエディングとしては初めてテレビ中継されたことで大きな話題を呼んだエリザベス女王の妹、マーガレット王女と写真家アンソニー・アームストロング=ジョーンズ(後のスノードン伯爵)のウエディングをご紹介。1960年5月6日、ロンドンのウェストミンスター寺院にて執り行われ、世界中で3億人が視聴したというまさに世紀のウエディングをご覧ください。

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婚約

正式に発表されるまで明かされることのなかったマーガレット王女とスノードン伯爵の婚約。婚約前、マーガレット王女は16歳年上のピーター・W・タウンゼント大佐と交際していたものの、王室からの大反対を受け、残念ながら破局。その数年後に民間出身のアンソニー・アームストロング=ジョーンズとの婚約に至った。ところがこの婚約、実は、自身の婚約直前にタウンゼント大佐が王女似のベルギー人女性と結婚したことにショックを受けて衝動的に婚約したのではという噂も囁かれていた。

スノードン伯爵の伝記『Snowdon:the Biography』を執筆したアン・デ・コーシーによれば、「誰もお二人の関係を知りませんでした。噂にさえなっていなかったのです」という。「王女は誰にも知られないようにスノードン伯爵が当時暮らしていた部屋を訪れていました。スノードン伯爵は王女のパーティーに参列していましたが、王女は大勢の方とお話になりますから、どなたと交際しているかなどは特定できません。記者たちもまさか、アンソニー・アームストロング=ジョーンズだったとは考えていなかったようです」

そして晩餐会での初めての出会いから約2年後の1960年2月、マーガレット王女はアームストロング=ジョーンズとの婚約を発表。王女に送られたエンゲージリングはバラのように見えるルビーの指輪で、これはスノードン伯爵が自らデザインしたものだそう。マーガレット王女のミドルネームが“ローズ”だったことから、それをモチーフにしたのではと考えられている。

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結婚式

マーガレット王女がアンソニー・アームストロング=ジョーンズと結婚するというニュースは世界中に衝撃を与えたが、ロイヤルウエディング当日は、バッキンガム宮殿からウェストミンスター寺院までの通りに数多くのひとが集まり、新たなロイヤルファミリーの結婚を祝福した。

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伝統に従ってクラレンス・ハウスからウェンストミンスター寺院まで馬車でパレードが行われたが、マーガレット王女の父ジョージ6世は1952年に薨去されたため、義理の兄であるエディンバラ公フィリップ殿下が付き添った。式典は当時のカンタベリー大主教ジェフリー・フィッシャーによって執り行われ、王族や政治家、映画俳優ら約2000人が参列。マーガレット王女の姪であるアン王女やゴッドドーターのマリリン・ウィルズがブライズメイドを務めた。

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婚姻の署名後、一族とともにバッキンガム宮殿に戻ったマーガレット王女とスノードン伯爵は集まった人々に挨拶をするべくバルコニーに登場し、正式に王室に加わった。

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ウエディングドレス

マーガレット王女が身にまとったウエディングドレスは、1947年にエリザベス女王のウエディングドレスを手がけた王族デザイナー、ノーマン・ハートネルがデザインしたシルクオーガンザのドレス。デザイン自体はシンプルだったが、スカートの裾に30メートル以上の生地が使われたのだそう。『LIFE』誌は、「歴史上最もシンプルなロイヤルウエディングドレス」と評した。そのシンプルなドレスに合わせたのは、1870年代王室御用達のジュエリーブランド、ガラードが作ったティアラで、後にマーガレット王女を象徴する憧れのティアラとなった。

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結婚生活

挙式後、2人は王室のロイヤルヨットのブリタニア号に乗って6週間の新婚旅行に出かけ、それからさらに1年後にケンジントン宮殿にお引越し。民間人だったアームストロング=ジョーンズだが、王女との結婚に際して「スノードン伯爵」の称号が与えられ、マーガレット王女もスノードン伯爵夫人となった。1961年に長男デイヴィッド(第2代スノードン伯爵)、1964年に長女レディー・サラ・チャットが誕生した。

ここまで順調に結婚生活を送ってきたかのように思えていた伯爵夫妻だったが、マーガレット王女は再び王家の歴史を作ることになってしまう。実は結婚生活は早くから破綻をきたしていた。アンソニーは写真家として家を留守にすることが多く、さらに派手な性生活や同性愛疑惑が後を絶たず、一方のマーガレット王女もマスティク島でパーティー三昧の生活を送り、ゴシップ紙の格好の標的に。結婚から16年後の1976年にダブル不倫報道が世間をにぎわせ、その2年後の1978年、ケンジントン宮殿は遂に2人の離婚を正式発表。これは、1540年のヘンリー8世以来となる王家の離婚だった。もっとも、そんなトラブルの絶えないマーガレット王女とスノードン伯爵ではあったが、2002年にマーガレット王女が薨去されるまで親しい友人であり続けたと言われている。

Photos: Getty Images Translation: Ai OnoFrom Town&Country

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