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不倫しまくっている彼の本心とは?【ひとみしょうのお悩み解決】

  • 2020.5.30

“【お便り募集】文筆家ひとみしょう お悩み解決” に送っていただいたお悩みの中からひとつピックアップしてひとみしょうさんがお答えしていきます。

「やあやさん36歳」のお悩み

36歳、3人のこどもがいる既婚者です。看護師で職場の医師とダブル不倫をして4年目になります。4年といっても、私の妊娠、出産を含めたり、なかなか会う時間がとれず年に数回夜にあってセックスする程度です。

私はいつでも連絡がほしいし気持ちが入り込んでいるのですが、彼からは10日に1回程度、「おはよー」とか「元気?」とか、連絡がある程度で一体何を思って私との関係を続けているのか全くわかりません。

数ヶ月前には急に、当分連絡できない、浮気がばれたと連絡があり、私ではない浮気相手との関係が奥さんにばれたそうです。私以外にも相手がいたのはうすうす分かっていましたがショックやバカバカしさもあり、いい機会だと思い、連絡先も削除しました。

しかしまた数ヶ月して奥さんに許してもらえて一段落したから会いたいと連絡がきて会いました。彼の中では私は大勢の中の一人でたまにセックスできればいいくらいに思われているなら、家族にうそをつきリスクを負ってまでこの関係を続ける意味があるのか、と思いながらやめられずにいます。別れ話を持ち出したこともありますが、もとに戻りたいと言われずるずる続いています。

奥さんからもセックス依存症ではないかといわれたと言うし、私は色々調べてサイコパスなのではないかと思い、ますますミステリアスな彼の理解者になりたい、大勢の中の一人ならばそのなかで特別な一人になりたいと思ってしまって気持ちの収集がつきません。

とにかく職場でも手当たり次第に女の子に声をかけている様子ですし、こういう男性はやはりモテたりセックスして自尊心を満たすことが目的で家庭を守りつつ何人も浮気相手をつくるのでしょうか?私のことも自尊心や性欲を満たすだけの存在と思われているのでしょうか?

長文失礼しました。よろしくお願いします。

〜ひとみしょうのお悩み解決コラム〜

彼は一見すると、モテたりセックスすることで自尊心を満たしている男に見えるかもしれませんが、本心は自分の人生に絶望しているのです。

別の言い方をするなら、彼はなにをやっていても、誰と一緒にいても、なんとなく淋しいのです。やあやさんとエッチして、物理的にやあやさんとひとつになっていても、心はひとりぼっちなのです。やあやさん以外の女性とセックスしていても、彼の心はひとりぼっちなのです。

彼は「いろんな女性とセックスできるおれって最高!イエーイ!」としか思っていないわけではないのです。エッチするために女性とアポイントをとったあと、またカネのかかる遊びの予定を入れてしまったと小さくため息をついているのです。いいホテルでエッチしているのなら、何人の患者さんを診たらそのカネを稼げるだろうとかと思っているのです。

また、エッチのあと、「エッチしてもしても満たされない気持ちがあるのだけど、それはいったいなんなのだろう」と、車を運転しながらひとり思い悩んでいるのです。

彼が感じている絶望とは?

絶望を最初に哲学したのはキルケゴールという哲学者ですが(だと思いますが)、キルケゴール的にいえば、彼の絶望は「反抗の絶望」です。やあやさんの彼の絶望は、なにかに反抗するというスタイルをとります。

なにに反抗しているのか?

「本当は自分はこう生きるべきだ」というのを知っているにもかかわらず、彼はなぜかそう生きられない、その「なぜかさ」に彼は反抗しているのです。

彼は本当は、複数の女性とセックスなどすべきではないと知っています。でも、その知っていることに素直に生きられないのです。なぜか。どうしても。

だから「自分が知っている理想の自分」と「セックスしまくっている現実の自分」のギャップに、彼は苦しんでいるのです。苦しいから、束の間楽になろうと思って、やあやさんに「来週会わない?」と連絡してきます。そして実際に会ってやることをやれば、彼もいっとき気持ちがおさまるので、やあやさんになにも言ってきません。

でもしばらくすると、やっぱりなんとなく淋しいし、なんとなくどう生きていくといいのかわからないから、ふたたびやあやさんに連絡します。

なんとなく淋しいとなぜセックスしてしまうのか?

ところで、人はなぜ、なんとなく淋しいとセックスしてしまうのでしょうか?

なんとなく淋しくてセックスしても、その時はセックスに集中しているから淋しさを感じずに済むとしても、セックスが終わったらまた淋しくなりますね。それなのになぜ、セックスしてしまうのでしょうか?

1つの答えは、セックスは手っ取り早く「ほしいもの」を手にできるような感覚にさせてくれるからでしょう。つまり、束の間、淋しさを感じずに済むように錯覚させてくれるからでしょう。

では、束の間、ではなく、根本的に漠然とした淋しさから救われるには、わたしたちはどうすればいいのでしょうか。

先に答えのようなものを書いてしまっていますが、自分は本当はこう生きるべきだと知っている「本当は」を生きるしかないのです。

では、どうすればそう生きられるのでしょうか?

済んだことを忘れると、「本当は」を生きられるようになると、キルケゴールは言います。

たとえば、もしも彼が、高校時代や医学生時代にモテない男だったのなら、モテなかったというつらい過去のことを忘れて、過去とまったく独立に存在する「今」という時を、十分生きるしかないのです。

反対に、彼が過去からモテモテであっても同じです。あの頃はモテた、遊んだ、楽しかったというのは過去のことです。今は今で彼にはやるべきことがあります。それをするしかないのです、というか、それをすることを、私たちは「今を生きる」とか「充実した今を生きる」と言うのです。

彼とやあやさんの共通点

彼とやあやさんの共通点は、漠然とした淋しさを抱えているという点です。やあやさん以外の「彼の女たち」も、きっと同じです。みなさん、生きていること自体が、なんとなく淋しい、なんとなく不安なのです。だからセックスなのです。

もっと広くいえば、なんとなく相手に不満を抱きつつも、セックスとなればその不満に目をつむって快感を味わうことを選択する人は世の中に大勢いますが、彼ら・彼女らは、なんとなく淋しい人なのです。

どうすればいいのか?

繰り返しになりますが、ただ今この瞬間を充実したものにするために、過去のことなど忘れることです。「なぜか」心が満たされないとか、「なにか」心が満たされないというのは、きまって過去の出来事に心が支配されていることから生まれる感情だからです。

たとえば、親と仲よくなかったという過去を今でも引きずっているから、なんとなく淋しいのです。

あるいは、元カレにひどい振られ方をしたという過去のことに今でも心奪われているから、今でも精神的Mで、肉体もそのようなエッチを求めてしまうのです。

むずかしいかもしれないけど・・・これが絶望から救われる方法です

もちろん、わたしたちは、過去も現在も未来も、全部ごちゃこちゃに捉えていますね。ここまでが過去でここから先が現在です、みたいに、竹を割ったように時間を捉えていないはずです。

なので、あるていど過去のことに支配されつつ生きるのはしかたのないことだと思います。

でも、済んだことは済んだこと、今は今です。

彼はあきらかに、済んだことに心を支配されています。だからセックス依存症みたいに生きているのです。

今という時はたえず動いています。夜明けの空の色が刻々と変化するように、今という時は動き続けています。なぜかわからないけど動き続けていますね。

対して、過去に心奪われている人の時は固定的です。ずっと「あの頃の」モテを意識し、ずっと「あのときの」セックスの快感を心の中で反芻しています。

簡単に言うと、固定的に生きるとセックス依存症みたいになるし、動的に生きるとさわやかに生きられます。

動的に生きるというのは、過去の済んだことは済んだこととして、つねに「今」自分が変化し続ける生き方のことです。

それを実践するのはむずかしいかもしれないけど、でも心を過去から解き放つことによってしか、善く生きられないように、わたしたちはなぜか生まれついているのです。

お互いがんばっていきましょう!

※参考 キルケゴール・S(鈴木祐丞訳)『死に至る病』講談社(2017年)

(ひとみしょう/作家・コラムニスト)

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