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人生なんとかなる!氷河期世代の先輩に聞く「紆余曲折」ストーリー

  • 2020.5.19
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誰しも生きていれば少なからず、先の見えない不安や、思いも寄らぬ困難に直面することがあると思います。そんな時、人生に絶望することなく生き抜くにはどうすればいいのか――?

1990年代初頭から2005年頃にかけて、日本はバブル崩壊に伴う景気低迷に陥り、多くの企業が新規採用を控えました。その時代に学校を卒業して社会に出た世代を、世間では“氷河期世代(ロスジェネ世代)”と呼んでいます。

今回コスモポリタンでは、就職氷河期に社会に出た女性3名にインタビュー。様々な壁にぶつかり、紆余曲折しながらも、自分の人生を築き上げてきた彼女たちのストーリーから、迷った時のヒントが得られるかもしれません。

MAMIさん(仮名・40歳/ゲストハウス運営)
私の紆余曲折ストーリー

大学時代から京都に住んでいます。当時、世間が就職氷河期と言われているのは知っていましたが、やりたい仕事が見つからなかった私は、就職活動をしないまま大学を卒業しました。もちろん社会人になった以上、親からの仕送りには頼れないので、学生時代から働いていたバーでそのままバイトを続け、2万円の風呂無しの部屋に住み、何とか資金面をやりくりしながら生活していました。

しかし、風呂無しの生活に半年で根を上げ、当時から付き合っていたアメリカ人の彼氏の家に転がり込むような形で同棲を始めました(笑)。

その後、やはりきちんと就職しようと思い、とある会社に入社したのですが、いざ入ってみると悪徳業者に近いグレーな会社で、ストレスとお客様に対する罪悪感に悩んだ挙句、1年で退社しました…。

再びバーのバイトに戻り、お昼はカフェのバイトを掛け持ちして生活費を稼ぎました。また、その頃から毎年夏と冬は、彼の持ち家があるアメリカ北西部の小さな島に行き、そこで1~2カ月過ごすという、京都とアメリカの行き来生活が始まりました。アメリカの島での生活は、森のど真ん中に家があり、電気もガスも通っていないオフグリッド式で、今までとは180度違うライフスタイルに驚きの連続! 最初は冗談でも「楽しい」と言えるような生活ではありませんでした。しかし次第に、キャンプのような生活を楽しみ始めている自分もいました。

一方、仕事面では、その頃彼と住んでいた京町屋のオーナーに許可を貰い、外国人向けのゲストハウスを始めました。バーとカフェのバイトも続けながら、外国人専用のゲストハウスをやりくりするという目まぐるしい毎日でしたが、ゲストとの出会いはもちろん、様々な文化や考え方に触れる機会がたくさんあり、とても刺激的な日々でした。このような生活を5~6年続け、2008年にローンを組んで一軒家の町屋を購入し、正式に自分のゲストハウスをオープンしました。その後はゲストハウスビジネスを続けながら現在に至ります。

また、半年前より木工の勉強を始めました。将来はアメリカの島に自分で小さな家を建てて、ゲストハウスをやりながら、自給自足の生活をするのが夢です。

私が学んだ、人生を生き抜くためのヒント

もともと優柔不断で変化を苦手とする性格だったため、限られた中で今できること、やるべきこと、楽しめることをやってきました。

周囲からは“まともな会社に就職せず、バイトで暮らし、海外に行って好きなことやっている自由人”というレッテルを貼られ、悩んだ時期もありましたが、「私は私」と思うように心がけました。人と比べるのをやめたことで、昔はやりたいことが見つからなかった私が、少しずつ時間をかけて、ようやく本当にやりたいことに出会えたのです。自分の置かれた限られた環境の中で、紆余曲折しながらも、その時その時の小さな変化を大事にしていけば、きっと将来につながる道ができていくと思います。

MOMOKOさん(仮名・41歳/フリーランス編集者)
私の紆余曲折ストーリー

大学時代からマスコミ志望だったのですが、当時は就職氷河期真っただ中。在学中に40社ほど受けたものの全滅し、卒業後も田舎の実家から東京に遠征して就職活動を続けていました。求人自体が少なかったので、履歴書を手に持って、道場破りみたいにアポなしで企業の門を叩いたりもしましたね(笑)。

当時はまだ、「新卒カードを使わないと一生正社員になれない」という意識が根強く残っており、正社員にこだわっていたのですが、ついに貯金も底を尽いてきたので、出版社のアルバイトで採用されたのを期に上京を決めました。

その後、知人の紹介で別の出版社に契約社員として転職しました。月100時間以上残業しても残業代はゼロという、決して良い条件ではありませんでしたが、スキルは身に付きました。この頃もまだ「正社員になりたい」という思いが消えず、働きながら転職活動をしていたのですが、30代に入った頃契約が打ち切りに…ちょうどリーマンショックと、東日本大震災による大不況の真っただ中で失業者となり、途方に暮れました。

日雇いのバイトをしながら、正社員を目指して転職活動をするも全滅。あっという間に貯金が無くなり、「もう終わりかも…」と思った矢先に派遣の仕事が決まって、なんとか生活を維持できました。未経験のWEBの仕事でしたが、新しいスキルを覚えるのは楽しかったです。そうこうしているうちに、過去の人脈から、私個人に編集の仕事の依頼が舞い込むようになりました。

フリーランスになる気は全くなかったのですが、頂いた仕事をこなしているうちに、それで食べていけるようになり、現在に至ります。

私が学んだ、人生を生き抜くためのヒント

良い意味で、“余分なこだわりは捨てる”ということですかね。もちろん、正社員で安定した収入が得られるに越したことはありませんが、私の場合は正社員にこだわるあまり、膨大なお金と時間を失いました。今振り返ると、そのこだわりさえ捨てれば、スキルを磨くチャンスはいくらでもあったんです。

苦しい時期もありましたが、紆余曲折したおかげで「自分はどんな状況下でも生きていける」という自信を持てるようになりました。人生は計画通りには行かないということを身をもって経験したので、先のことはあまり考え過ぎず、今はただ、今日という日を楽しみながら毎日を大切に生きています。

ビアンカさん(仮名・40歳/レストランマネージャー)
私の紆余曲折ストーリー

氷河期世代の私ですが、経歴はちょっと異色かもしれません。高校時代、やりたいことがわからずモヤモヤしていたある日、交換留学のポスターを見て「これだ!」と思い立ち応募。無事受かって、ニュージーランドに行くことになりました。当時まだ英語が全く話せず、インターネットも普及していない時代。周りに日本人もいなかったので、持ち前の明るさを武器に友達を作って楽しんでいました。この頃に、後に結婚する男性と出会いました。また、現地のカフェで空いた時間にアルバイトを始めました。

1年の留学期間が終わり、一旦帰国したのですが、またしてもやりたいことが見つからず、結局レストランでバイトをしながら貯金に励み、1年後にワーキング・ホリデー制度を利用してニュージーランドに戻りました。すると、以前のバイト先のオーナーから「キッチンスタッフとして働かないか?」というお誘いを受けたので、お店でバリスタとして働き始めました。たまたま人手が足りない時期で、見様見真似で始めたバリスタの仕事でしたが、ちょうどこの頃からカフェカルチャーが流行を迎え、コーヒーは飛ぶように売れました。

同時に、高校時代に出会った彼とも交際を続けていました。しかし私のビザが切れて、日本に再び戻らなければならないことに。そこで、ニュージーランドで暮らすために結婚しよう、という話になりました。当時私は22歳、彼は20歳。若さの勢いとはまさにこのこと!

彼と結婚した後、知人からカフェのオープンを手伝ってくれないかというお誘いがあり、新しいカフェでマネージャーとして3年働きました。次に他のカフェに移って働き始めた頃、妊娠が発覚。出産予定日2週間前まで仕事を続けました。

子供が生まれてからは、育児のために専業主婦を5年ほどしていましたが、突然夫から離婚の申し出がありました。仲が悪かったわけではありませんが、私との未来が描けなくなったそうです。晴天の霹靂でした。

突然シングルマザーになり、とりあえず子供を預けながら、カフェでバリスタのパートを始めました。その仕事を続ける間に、常連さんや業者の方など知り合いが増えていき、途中でオファーを受けて、現在の勤務先であるレストランに就職しました。バリスタのバイトでスタートしたキャリアですが、今は正社員になり、レストランマネージャーとして働いています。

私が学んだ、生き抜くためのヒント

まずは、行動してみること。そして、1つのことを極めること。「自分にはこういう特技や武器がある」というものを持っておくと、それが後々強みになると思います。私が5年のブランクを経てバリスタに戻ることができたのは、過去に身につけた技術があったからです。まさに「芸は身を助ける」。

また、1つの業種を続けたことでネットワークが築けたのも重要なポイントでした。いろんな人と知り合う=仕事のチャンスが広がるということ。私が今まで履歴書を書くことなく働き続けて来られたのは、人に助けられてきた証だと思います。あと、仕事を探す際は、好きなことの方が上達しやすいですし、続くと思います。お給料の金額も大切ですが、まずは“自分が続けられること”に目を向けみてはどうでしょうか。

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